WELLA
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1998年01月02日(金) 1997年12月29日(月) 年の瀬に

今年も暮れようとしている。
といっても今日の次は明日であり、明日になればまたその日が「今日」という日になることそれ自体に変わりはないのだけれども、この時期になると一年の締めくくりとしてしんみりしたり、また新たな年に向けて決意したりを繰り返す。
さて今年はどんな一年であったか。
一番大きい出来事は、研究なるものに着手したこと。ホームページ作成、電子メールのやりとりなど電脳的生活の占める割合が大きくなったこと。他にも手話の活躍の場が広がったこと、カメラを始めたこと、ネパール行きが人生観を大きく変えそうな予感があること。数えあげればきりがない。

それにしても、なにより自分が驚くのはこの年齢になっても日々未知の経験と迷いの積み重ねであるということである。何をその年でそんなことを片腹痛い、と思われるかもしれないが、もっと若い時、例えば十代の頃は大人は迷いがないものだと思っていたのだ。
ある意味でこの命題は正しいのかもしれない。いまだ迷ってばかりいる自分は大人ではないのだろう。
人間三十代ともなれば経験豊富で迷いもなく日々しっかりと歩めるだろうと思っていた。と、同時にきっと未来への希望も減っていくのだろう、と思っていた。しかし今の私は日々新たなことに遭遇し、大いに迷い、いつになってももう少し大人になったら、と甘い夢を抱いている。

確かに十代、二十代の頃に比べて体は着実に年をとっている。記憶力も落ちているだろう。昔できたことができなくなっていることも多い。けれど、知恵がついたおかげで昔できなかったことができるようになっていたり、昔あきらめてしまったことをひょんなことからもう一度やる機会に恵まれることもある。何かを始めようとするとき、何かをやり直そうとするとき、いつだってそれが遅過ぎるということはないのだ。結局は自分のためにすることなのだから。
今年はこんな当たり前のことがやっとわかってきたように思う。

来年はどんな年にしよう。
いや「しよう」というのは不遜なのかも知れないけれど。
来年は、私の身に起こるさまざまなこと、いやなこともよいことも逃げも隠れもせず、かといってがむしゃらに立ち向かうこともせず、学ぶことをやめず、柔軟な心と感性をもって愉快に過ごしたいと思う。
そう、愉快に暮らす。これを来年の座右の銘としよう。

それでは皆様よいお年を。


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