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1997年12月20日(土) 第12話 パシュパティナート

パシュパティナート はネパールにおけるヒンズー教の総本山であり、空港からのタクシーで教えられたところでもある。
前日ハヌマンドゥカで出会った現地の大学生が、人いきれで参っていたわれわれに「あそこなら静かでいい」と勧めてくれたので行ってみることにした。
タクシーで乗りつけたとたんに、そこらの人々が好奇の眼差しを向けてくる。みな貧しいみなりをしている。タクシーは我々が見学している間ここで待ってくれるという。2時間の約束でタクシーを降りると、とたんに物乞いが寄ってきた。

歩き出すといつの間にかガイドが横を歩いていた。断ろうかとも思ったがさっぱり様子がわからないので、そのまま案内してもらうことにした。「カソウバを見るか」と言ってずんずんと歩いて行く。
火葬場と行っても日本のようにかまどがあるわけではなく、河岸に薪を積む石の台があってそこでいきなり燃やすのである。我々が行った時には、3つある台のうち2つで盛大に炎が上がっていた。もう一つには布でくるまれた遺体が火葬されるのを待っていた。
ガイドは構わないから写真をとれ、とさかんに勧めるが、さすがに遺族のいる前でカメラを向ける気にはならない。

ショッキングな光景に気をとられていたが、そういえばガイドは英語が達者で、日本の火葬の方式と比較しながら説明してくれる。かなり勉強しているようだ。日本と違ってここでは死後2〜3時間で火葬する。火葬したあとの灰は、ガンジスにつながっている唯一の河であるこの河に流し、5つの元素に還る、という。
じゃあ、向こう岸にいこう、向うからまた火葬場の写真をとればいいと、ずいぶん火葬場の写真を勧めるものだ。日本人の観光客は喜ぶのだろうか。

途中で生け贄のとさつ場を説明し、本山の脇を抜けて向こう岸に渡る。本山はヒンズー教徒以外は立ち入り禁止である。向こう岸から本堂を見ながら説明してくれる。川の上流である本堂の下の河岸には、王族や金持ち用の火葬場がある。作りはほとんど同じだが、一応王族用は金のメッキがしてある。
本山のすぐ下にはホスピス「死を待つ人の家」がある。本山のすぐ近くで死を迎えることは幸せなことで、貧しい人も、王族も同じようにここで死を迎えるという。「死を待つ人の家」といえば、先頃亡くなったマザーテレサを思い出すが、ここにもマザーテレサの作った病院があり、身よりのない人々のケアをしているという。

河岸にはいくつも洞窟があり、お坊さんたちが住んでいるそうだ。そのうちの一つを覗くと80歳を越えているというお坊さんがいた。遜悟飯のようなファンキーなおじいさんである。杖をつきながら現れて「わしゃ19の時からここに住んでる。独身じゃ」といってお茶目な笑顔でカラー軍手をはめた手を振った。オレンジ色である。ヒンドゥーでは赤やオレンジが尊い色とされているという。火葬するのも炎の色で清められると考えているらしい。
もう一人、何十年もミルクしか飲まず、髪の毛も切っていないMILK BABA というお坊さんにも会いにいった。世界中に弟子を持ち遊説をしまくっているという偉い人らしい。住まいの前にはMILK BABAの似顔絵が描かれた看板もある。入口から覗くとお客人がいて世間話をしているようだった。なんか普通の人だった。さっきのファンキーじいさんといい、MILK BABAといい、少しも尊大なところがない。人々も気軽に相談しにいったりしているという。カースト制の話を聞いたりしながら一巡してまた火葬場前に戻ってきた。

さっきの火葬はほとんど終り、薪ごと灰を河に流している。
先ほど布にくるまっていた遺体もすでに炎に包まれている。頭を丸めた白装束の男たちが3人河から上がってきた。親を亡くした男たちだという。彼らはひげも剃り落して、これから一年間の喪に服する。塩を断ち、縫ってある服は着ないて、専用の寺で祈りを捧げるそうだ。

宗教は人々の暮らしに深く根付いている。彼らは親を大切にし、善業を積めば来世はよく、悪業を積めば来世は悪く生まれ変わると信じている。貧しい国とされながらも治安はよく、人々の顔つきが穏やかなのは宗教に依るところが大きいということか。


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