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パシュパティナートで観光として見るものはほぼ見たらしい。時計を見るとここに来てから1時間半経っていた。タクシーを待たせるのは2時間の約束である。少しまだ時間があるというと、ガイドの男は貧しい人々の住まいや病院を見ていけとしきりに勧める。貧しい人々を見物するようで少し気が引けたが、従うことにする。 河に沿って下流へ歩いて行った。河の水は汚く濁っている。 この河で水を浴びる とは…。インドのガンジス河の汚さは有名だし、聖なる河ではそういうことを気にしないのかなと思っていると男が振り返って、 「この河は汚い。信じられるか、両親の時代はこの河の水は飲めたそうだ」 という。上流から汚いものが流れ込んでいるらしい。今はバイパスを建設中で汚水は迂回するようにするという。昔みたいにきれいになることを期待している、といって笑った。 男は歩きながら話し続ける。 「ネパールは貧しい国だ。国連で世界で2番目に貧しい国だといわれている。ネパールの子供たちは学校に行けない。日本はどのくらい学校に行く? 90%以上だろう。ネパールは48%だ。半分以下しか学校に行けない。とても貧しいからね、働かなくてはならない」 カーストの上から二番目の位の出身だという彼は、さまざまな事を実にわかり易く説明してくれる。この国を良くしたいという彼の熱い気持ちが伝わってくる。 貧しい人のために政府が提供しているという宿舎の前に来た。 彼らは昔巡礼者のための宿舎であったところに無料で住んでいる。働いていないわけではないという。しかしあまりにも収入が少なすぎて家賃が払えないのだ。皆汚れた服を着て、壁にもたれて立っていたりしゃがみこんだりしてじっとしている。必ずしも子供は走り回るものではない、と気付いた。 戸口に14、5歳の少女が一人たたずんでいる。大きく澄んだ瞳が印象的だ。中庭を覗くと、子供達が高齢の修道女の回りを取り囲んで何かをもらっているようだ。彼女もマザーテレサ と同じ、白地に青い縁どりのついた修道服を着ている。 それにしても、ヒンドゥー教の本山のすぐ近くでカトリック教徒であるマザーテレサが病院を設立することに対して、なんらかの問題はないのだろうか。 疑問に思って尋ねると、まったく問題ない、という。 「マザーテレサはネパールの貧しい人々を救うためにここに来た。そのことと宗教は関係ない。それに本山の近くといっても、正確には本山の中ではないからね。ネパールは人口の95%ヒンドゥー教徒だ。残りの5%は仏教徒、キリスト教徒、イスラム教徒、いろいろいる。仏教はヒンドゥー教の一派だからここにも仏像がある。同じように仏教寺院にもヒンドゥーの神が祭ってある。それにヒンドゥー教徒である国王の住いの近くにはイスラムのモスクがあるんだぜ」とニヤリと笑う。 「もっともこれはネパールだけの事情だ。バングラデシュなんかはそうじゃない。だから争いが起きる。ネパールは宗教の違いで争ったりしない」と言って胸を張った。 病院の敷地に入っていくと猿が数匹、粉の入った大きな袋をやぶいて、中身を食べている。猿は神の使いである。あたり一面粉だらけだが、誰もそれを咎めない。 行った時はちょうど食事時だった。入口近くに数人がしゃがみこんで、大皿から直接手で食べている。通ろうとするとニコニコしながら、話しかけてくる。60歳以上の身よりのない老人たちが、廊下のような細長い部屋に左右25人ずつ暮らしている。入口から見て右が男、左が女のようだった。 ガイドは事務所に案内して責任者に会わせ「よければ寄付をしてくれ」といった。貧しい人の暮らしを見ることを彼があれほど熱心に勧めたのはこういうことだったのか、と合点がいった。彼は観光客に総本山のガイドをきちんとし、さらに貧しい人々の窮状を訴え、いくばくかの寄付を募るのだ。彼の真面目なガイドぶりに感服していた我々は彼の人柄を信じて少額ながら寄付をし、彼の仕事は完結した。 別れ際に彼は、ネパールという国の一部でもあなた方に伝えられたことを喜びに思うと、誇らしげに言った。そしてここで実際に見聞きしたことを帰国して他の人達に伝えること、またここに戻ってくることを期待していると付け加えた。 ガイド料は2時間で千円ほど。支払いは日本円か米ドルがいい、といわれたが持ち合わせがなく、希望はかなえられなかった。 帰りの車中、われわれは言葉少なに座っていた。頭が混乱したのか、目の奥が少し熱っぽかった。
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