WELLA
DiaryINDEXpastwill


1997年12月18日(木) 第14話 空白の一日

やられたと、思った。ついにやってしまった。
ホテルに戻って来て、体の具合がひどく悪いのに気づいた。実を言えばパシュパティナートで観光をしているときから鈍い腹痛があったのは知っていたが、自分でそれを認めたくなくて知らんぷりをしていた。雨に打たれて体が冷えたのがいけなかったのか、いやそれ以前に朝から胃がもたれていたのは事実である。
その日は朝も昼もホテルのカフェテリアのブッフェで食事をして、なんだか食欲が旺盛なのを感じていた。ネパールの食事は香辛料を使ったものが多い。私はその手の辛いものが苦手なので、慣れない食事で胃腸が働いていないせいかとも思っていたのだが、単なる胃のもたれではないようだ。
飲み水はミネラルウォーターだけにして、極力生水は飲まないように気をつけていたのだが、サラダの生野菜などは水道水で洗っているだろうから、防ぎきれるものではないのだろう。
ホテルのラウンジで温かいミルクティを飲んだが、効果がない。昨日はあんなに魅惑的だったアフタヌーンティのケーキ類にも全く食指が動かない。
早々に部屋に引き上げる。浴槽に浸かって体を温めると、転がり込むようにベッドに横たわった。胃のあたりが腫れた感じがして、腹部の表面が痛い。押したりうつぶせになると痛みを感じる。そのままうつらうつら眠り続ける。
夫は学会のレセプションがあるというので部屋を出ていった。「ナマステディナー」だかいうナイスなネーミングのレセプションであるらしい。

しばらくすると、下痢が始まった。熱はないらしい。相変わらず腹部は表面が痛い。痛みと下痢は別物の感じがする。
なぜ体温計や強力ワカモトなどの薬を持ってこなかったのか、痛烈に悔やむ。大した荷物ではないのに。どこかこの旅行を甘く見ていた自分に気付く。去年の夏に「急性腹膜炎」という大げさな、しかし原因不明の病気で高熱を出しつづけて入院したことを思い出した。あの時の腹部の痛みと似ている気がして不安になる。医者にかかるような病気なのだろうか。
眠り続けながら幾度となくトイレとベッドの間を往復する。トイレの都度一口二口ミネラルウォーターを飲む。こうした場合、水分をとるのがいいのか悪いのか分らないが、このままだと体中から水分が抜けきってしまう気がするのだ。
夜半すぎトイレから出てくると、夫が戻って来ていた。「具合どう?」と尋ねる夫に一言、「悪い」と言い捨ててベッドにもぐり込む。

明け方近くになってぐっすり眠ったらしい。夫の「じゃあ、学会に出てくるからゆっくり休んでて」と言う声で目が覚めた。夫はすっかり身支度を終えている。時計を見ると8時半である。食事をしている暇はない。「食事は?」と聞くと「あんまりお腹が空いてないから、要らない」と言う。
「へ?」である。
私の方は昨夜から何も口にしていない。さすがに何か食べないとへばってしまう。せめてヨーグルトぐらいは食べたいと思っていたが、夫は自分が食べたくない時は他人も食べたくないと思うタチらしく、私の様子などお構いなしである。
せめてアスピリンを買ってきてくれるようにたのんで、小銭をおいていってもらう。しばらく横たわっていたが、どうにも落ち着かないので部屋の冷蔵庫を開けてみる。紙パックのマンゴージュースがあった。一口飲んでみる。おいしい。一昼夜ぶりの食糧である。ベッドの脇に置いて、このマンゴージュースの味を私は一生忘れないだろう、などと感傷に浸りながら昼休みで夫が部屋に戻るまでちびちびと飲み続けた。

夫が戻ってきた。自分も具合が悪いという。昼時だが食事する気力がないらしい。半ば強引にマンゴージュースを飲ませる。
買ってきてもらったアスピリンは見慣れたバイエル社のものではなかった。錠剤が入ったシートむき出しで4錠分、確かに表面にはASPIRINと書いてある。多分大丈夫だろうと判断して早速服用する。外は晴れらしいが、半分カーテンを引いて二人共倒れである。
午後のセッションが始まる時間になり再び夫は出ていった。今日は学会の遠足でちょっと離れた古い街、 バクタプル に行くことになっている。下痢は収まったようだし、なんとかそれには行けるだろうか。再び昏々と眠り続けた。


れいこな |MAILBBS