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1997年10月09日(木) おぼえがき

聴覚に障害をもちながら、夫妻でトライアスロンにチャレンジし続けている 高島良宏さん の講演会が、10月のある日、地元の高校で開かれました。
テーマは「障害も今では誇り」、 印象深かった部分を、記憶を頼りに(勝手に)抜粋してみました。

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僕は昔、ラグビーに憧れていた。
でも、聴こえないから、声を出し合えないから危ないと、断られた。

上京して働きはじめた頃のある日、僕は落ち込んで、東京に住んでいる聾学校時代の先輩に相談に行った。先輩は体育大学に通っていた。先輩は言った。「耳」は聴こえなくても、音を感じる「目」があるじゃないか。

僕はエアロビクスを始めた。
音は聴こえなくても、体でリズムを感じることはできる。インストラクターを目指して数年間頑張ったけど、聴こえないからインストラクターにはなれなくて、結局あきらめた。
僕達はいつもあっちこっちで壁にぶつかり、夢に破れている。

「音」は僕にとって憧れなんだ。

そして僕はトライアスロンを知った。
トライアスロンを始めるのに僕はなんの抵抗もなかった。トライアスロンは確かに苦しい。苦しいけれど達成した時の満足感がある。大会に出るために外国に行けるのも楽しみだ。

日本では聴こえないという理由で参加できないことも多い。大会に申し込むたびに、必ず聞かれる。
「日本語が話せますか?」「日本語がわかりますか?」

僕は、日本の中の、どんな小さくてもいいから、独立した島が欲しい。そして、そこには聴こえない人だけが住む。島の人みんなが聴こえなければ、コミュニケーションはもっとスムーズになる。その島ではお医者さんも、学校の先生も、警察官もみんな聴こえない人がやる。
もし、島に聴こえる人がやって来たら、僕は尋ねてやりたい。
「あなたは手話ができますか?」、と。

…普通の人、聴こえる人にとってはスポーツはレジャーだと思う。でも、僕達にとっては常に乗り越えなければならない壁がある。
僕達にとっては、レジャーじゃなくて、チャレンジなんだ。チャレンジだからこそ、成し遂げた時の喜びは大きいんだ。


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