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1997年09月29日(月) 遠くへ行きたい

「遠くへ行きたい」という言葉は、多分にロマンティックで甘い響きを持っています。
日常生活からの逃避というか、ストレスの解消の手段というか、それだけで救われるような、山のあなたの空遠くになにか待っているような気がします。
ところで、本来「甘い」という味覚に関する形容詞を「響き」という聴覚に関するものに使うのも不思議なものですが、
ま、それはともかく。

それでは、ただ遠くに行きさえすれば、そうした日々のうざうざとした呪縛から逃れられるのでしょうか。
ふと遠くへ行きたくなる人は、賑やかな都会に住んでる人だろうと推察されます。「遠くへ行きたい」という言葉から連想されるものとしては、「うらぶれた」とか「北」とか「波止場」とか「しみじみ」とかいうキーワードがありますからね。ただ遠くったってねぇ…。

さて、遠くに行くにあたっては移動手段も重要です。飛行機でピュンっと行ってしまったら、感慨も薄れようというものです。例えば香港2泊3日のお買いものツアー。海の向うで「思えば遠くへ来たもんだ」など感傷に浸れるでしょうか。仮に「どこでもドア」を使ったとしたら、たとえ火星から青い地球を見たとしても、ケッ…てなもんでしょう。

じゃあ、自動車や列車ならいいのかというと、それもギモンです。「休みをふるさとで過そうとする人たちの帰省ラッシュ」の人たちが新幹線のホームにどっと吐き出される様子を見ると、皆うんざりしたような疲れ切った表情をしていますな。サービスエリアで休息しているお父さん達もそうです。これからの道のりとそれにかかる時間を考えて、休息もそこそこに車の列に戻って行きます。せっかく遠くへ行くというのにです。
ところで、人が自主的に電車から歩いて降りているのに、「吐き出される」というのはすごい表現ですね。後ろの人から押されて出る、「押し出される」ことは往々にして多々ありますが。


ま、それはともかく。

となると、私のようにもう遠くに住んじゃってる人はどうすればいいのでしょうか。この場合の「遠く」っていうのは首都圏から遠い、とか生まれ育った場所から遠いってことなんですけど。
「遠く」に住んで数年経つと最初の旅行気分もずいぶん薄れてくるので、少し遠出をしようかという気になるのですが、これがどうも。
やっぱり国土の九割が山岳地帯である島国だけあって、日本の田舎ってどこも似てるんですよね。ま、目的地につけばそれなりに違いを楽しむことができるんすけど。そこに行きつくまでの風景がなんか自分の住んでるところと似てて、遠くへ行く過程があんまり非日常じゃなくなってきたんです。ええ。

うちを出発して、高速に乗ってわくわくわく…、で、高速降りてしばらく走って、あれぇ?なんかうちの近所と似てる…。「ねぇねぇ、そこ曲がったらうちの裏だったりしてね、ははは」なんてことになるわけです。
だったら近場でも遠回りをすれば、時間がかかってそれなりなのでは…?というわけで、この夏は全然遠出をしませんでした。遠くて片道1時間ですね。もぉ、十分湛能致しましたわ。近場の「遠出気分」。

中でも白眉だったのは、町内ですね。山一つ越えたところに山魚料理のお店があるというので、行ってまいりました。
ここはいくつかの村が合併して出来た町なので、かなり広く集落はそれぞれ離れています。行ったのは山に囲まれた、町内でも1、2を争う開けていないところ(笑)なんですが、それでも家から車だと5分もかからないところです。
そう、美化センターの向うです。本学関係者は行かれるとよろしい。

通りから案内板に従って細い道をうにゃうにゃっと行った、小さな普通の民家なのですが、中にはいってびっくり。「日本びいきの外国人」が好きそうな内装で、オリエンタルゥ〜です。「人里離れてひっそりと山魚料理をいただく」とか「自然の恵みに抱かれて」とか「趣のある一軒家で楽しむ昼膳」とかいう女性誌風のキャッチコピーを彷彿とさせます。
岩魚を自分たちで焼いて、果実酒をや薬草茶を飲んで、珍味を楽しんでおよそ2時間。すっかり「遠出気分」でした。

さてさて十分楽しんだのでおいとまです。
「遠くへ行きたい」我々は、お店の人のどこから来たのかという問いにきっぱりと「町内です」と答え、自宅とは反対方向へと、車を走らせたのでした。

次なる目的地は同じく町内のスーパーです。
食料品を買い出さねばなりません。 鳴呼、日常。


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