WELLA DiaryINDEX|past|will
小学校だかの国語の時間に「ですます体」「である体」というのを習った記憶がある。つまり、語尾が「です」「ます」で終るのが「ですます体」、「である」で終るのが「である体」ということである。だからどーしたという区別ではあるが、文章を書く時「ですます体」と「である体」は混在させてはいけない、といった規則も習ったように思う。 ここに載せる文章を書こうと思い立って、書き始めてから約一カ月、しみじみ分かったことがある。私は「である体」で文が書けないのである。 のである。 である。 「である体」だけでなく、「なのだ体」でも書けないのだ。 いのだ。 のだ。 何だ、今書いてるじゃないかといわれそうだが、そういうことではなくて、筆が進まないということである。何かについて書き始めようと思うと、始めの書き出しは確かに「である体」で思いつくのだが、その先が続かない。結論も「である体」ですでに用意されているというのに、そこまで行きつかない。これは、いったいどうしたことか。どうも、断定するのが苦手らしい、ということらしい。(ほらね) そこで試みに「ですます体」に変えてみた。 するとなんとなく、書ける気がしてきます。なんとも不思議。で、つらつらと書き続けていくうちになんとなく書き終ります。なんとなく書き終るというのは、大げさか。ゴールにたどり着いてもそれなりに推敲したりはするんですが、「である体」に比べると、ずいぶんと手がさくさく動く気がします。とはいえ、書き始めた時にふりかざしていた結論にくらべると、なんとも気の抜けた結末になっていることが多いのは事実です。 ということは、その日のファッションによって気分や立居振舞いが変わるように、文体によって文章の内容が変わるということでしょうか。ならば、私が「である体」で押し通したら、逆に引っ込みがつかなくなってどんどん断定的な方向にいってしまったりもするのでしょうな。う〜ん。今度はちょっと変えてみるか。 こんな気の抜けた文章を書くにも、いろいろと苦労が(どんな苦労だ)あるものです。
|