WELLA
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1997年06月12日(木) 手話と私

私は4年前に手話を始めました。

そういうと、「どうして手話をやろうと思ったのか?」と聞く人が多いのですが、そんな大層な理由などなくて、単純に「手で話す」ことに興味があったからです。そんなわけで、始めた時は聴覚障害者についても、聴覚障害者をとりまく社会の現状も、そもそも「聴こえない」ということも、よくわかっていませんでした。
週一回2時間の講習会に行って先生の真似をして帰る。それが私と手話の唯一の接点でした。クラスメートは老若男女さまざまでしたが、手話を始めたきっかけをそれぞれ「役に立ちたい」「聴覚障害者の友達を作りたい」としっかりと述べていて、「はぁー。たいしたもんだぁ」とただ感心するばかりの私でした。
そのうちに講習会で友達が増え、聴覚障害をもつ人たちにも知合いができ、知らなかったこともだんだんわかるようになってきました。聴覚障害をもった人たちの体験談を伺うと、まさに目からうろこが落ちるというか、漫然と過ごしてきた我身を振り返って恥ずかしいばかりでした。手話の技術の方はというと使いものにならないまま1年目の修了式を迎えました。
2年目になっても、自分の言いたいことの半分も表現できず、相手の手の動きも読みとれません。さすがに「このままでいいのだろうか?」という気もしましたが、なんとかなるだろうと気楽に講習会に通っていました。会社帰りに通っていたので、講習会のあとは、目がショボショボとしました。メガネを作ったのもこの頃です。

3年目になって、突然手話を生かす場面が出てきました。聴覚障害を持つ同僚と一緒に仕事をすることになったのです。
「おおお!ついにその時が来たか…」
自分では正確な表現を心がけていたつもりでしたが、「表現が固い」と指摘されていたころでもありました。隣の席同士で一日中手話を使っているうちに、表現が軟らかくなったような気がしました。なにより手話を使う度胸がついたのが大きな収穫でした。職場の有志を集めて、その同僚を先生役にして毎朝手話の勉強会も始めました。いいだしっぺの私は途中から遅刻するようになってしまいましたが、私が退職した後もほそぼそと勉強会は続き、この6月でまる2年を迎えるようです。
その仲間たちに心からの敬意を表すとともに、彼らの姿をみて手話に興味を持つ人がもっと増えてくれないかなと欲を出したりもします。

手を動かしてコミュニケーションがとれるというのは、とても楽しいことです。


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