<批評> 作・編 柴山健一
「自分は何故生きているか?」を「如何に生きるか?」に転ずるのは巧いと思いました。 そして価値をもたせる論法も良いです。
僕は生きてても価値を求めて生きたい人間だからとても言いたい事が解ります。 しかし、「別に無理に価値なんて求めなくてもいいじゃない。生きてるんだから」 と思っている人達にはあまり理解できないと思います。 この文は価値を求めて生きている人間が共感できる文です。 君が「価値をもって生きようよ」と言う。 僕は「うん。そうだそうだ」と思う。そんな具合に。
しかしながら、価値を求めて生きていない人達に、「価値をもって生きろよ」 と言っても聞かないでしょう。 だって価値なんて求めなくても、努力しなくとも、あれこれ考えなくても、 僕達は生きていけるんですから。 だから、「価値をもって生きなくては、こんな不都合が生じますよ」っていうことを、 価値を求めて生きていない人達に伝えられるような文が必要だと思います。 それを以下に書きます。
でも生きるというテーマでこれを考えていくことは、僕達にはおも過ぎます。 だからもっとわかり易いもので「生きる」を置き換えよう。 ・・・続く
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