 |
 |
■■■
■■
■ 教師 その2
教師の友人がこう言いました。 『最近のコは簡単に死んでしまう』と。 自殺した元教え子の訃報を聞いた直後の事です。
お別れの会が開かれるとの話に「めんどくさい」とも言いました。 中1の時の担任だったので、中3で死んだその子の追悼の会に なぜ私が行かなければならないの?とも言ってました。 死んだ生徒の友人曰く、中2からは登校拒否で担任とはあまり交流がなく 中1の時担任だった友人を慕っていたのでぜひ来て欲しかったそうなのですが。
こんな教師を慕っていた死んだ彼女をかわいそうに思いました。 彼女にとって、たったひとり信用出来る大人だったのかもしれないのに とも思いました。 そして、私もこんなバカ教師に出会った事を思い出したのです。
+++++++++++++++++++++++++++++
小6の時。 月曜日には、毎週朝礼がありました。 あの暴力教師が、姿勢の悪い児童を木刀で殴りつけようと 歩き回っている恐怖の時間でした。 特にやんちゃな男の子達は、いつも目の仇にされ、 何かと言いがかりをつけられ叩かれていました。 その暴力教師と共に、いつもつるんでいた奴の話です。
その日、奴が朝礼台に上がり、話を始めました。 児童を脅迫するような言葉をいつも使い 花瓶を割った犯人を知っていたら言いに来いみたいな話ばかりで 誰もがうんざりしていました。
その日は夏休み直前だった為か、 休みの間の過ごし方のようなことを言っていたように思います。 繁華街に行ったらあかん、とか規則正しい生活をしろ、とか そんなことを言っていました。 私は2学期に転校を控えていたので、 暴力教師たちのくだらない説教を聞くのもこれが最後と思い いつもより気楽に聞いてたように思います。
ところが、このあと、奴は全校児童の前でとんでもないことを言ったのです。 大人の影響を受けやすい低学年の子供たちも聞いているのに いつものヤクザ口調でこう言いました。
『最近、簡単に死による奴がおる。』 『自殺するやつはアホや。根性のない奴や。』 『死んで周りに迷惑をかけるクズ野郎や。』
いや、もっと言ってたと思います。 とにかく罵倒しまくってました。 新聞に載っていた、夏休み前に自殺した2人の子供の例を挙げたあとで。
1人は親への恨みをノートに書き綴って死んだコだったと思います。
その2人の死に自分を重ね合わせていた私は、 直立したままこぶしを握りしめ唇をかみました。 私も死ぬ事を考えない日などなく 実際に首を吊ったり、凍死を試みたりしたことがあったからです。
首を吊ったのはそれまでに2回。 団地の家ではヒモを架けるところがなく バカなことに、カーテンレールでやりました。 どちらも自分の体重でレールごと落ちてしまい 首に筋が残り、少しの酸欠を体験した程度に終わりましたが。 公園で木を見ると、真横にしっかりと伸びている枝がないかと 探していたこともあります。 Y字だと幹の方にヒモが寄ってしまい、 体がぶらさがりにくい状態になってしまいますから。 これはカーテンレールでやった時、壁が邪魔でしょうがなかったことで 証明済みでした。
家の中に、立派な欄間や天井に近い柱があったなら きっと成功していたでしょう。 なぜなら私は嫌々入っていたガールスカウトで 皮肉にも「絞める輪の結び方」を習っていましたから・・・。
小学5年の凍死計画は、真冬に締め出された時、公園で水を被り続け、 海に飛び込んだようなずぶぬれ状態で1時間位、地べたに横たわっていました。 何故か、ほほが凍っていくような感じがしたのをよく覚えています。 足が痺れていくような感覚も。 寒いのを通り越した時、どうでもよくなってきて朦朧とした事も。 最後には服を脱ぎたいという欲求にかられ、 靴と上着を脱いで肌着とパジャマのズボンだけになっていました。 犬の散歩をしていたおじさんに声をかけられ 逃げなきゃ、と走って家に帰ったので、命拾いをしましたが。
ある意味、死んだコ達も、私と同じく「自殺を試みた」だけだったのかもしれません。 たまたま、成功してしまったのかもしれません。 でも私にしろ、そのコにしろ、死にたかったことには間違いないと思います。
命を大切にしない、と言う方もいます。 両親にもらった命、と言う方も。
でも私はそんなことは思わない。 死にたい時に死ねてよかったね、と言いたい。 こんな親のもとに望んで生まれてきたわけではない、と言いたい。 少なくとも、親の虐待で殺されるよりは、よかったと思うのです。 殺した親が警察や裁判所で泣き叫んで、反省しているフリをすれば 数年の刑務所生活を経験せずに済むこともあるのですよ。 子供の家庭内暴力をでっち上げる事だって出来るはず。 私の親なら、やりかねません。
生きたいのに命が限られている人もいる、と言う方がいます。 事故で死にたくないのに死んだ人が可哀想じゃないのか、と言う方も。
じゃぁ代わってあげる、と言いたい。 親に愛されながら、少ない命で懸命に生きてみたい。 自殺する心の構えをせずに、死ぬ事が出来るなら、それもいいかもしれません。 どちらにしろ、その人の人生。 子どもの私にそんな事が理解出来ますか? 私の人生を私が背負えなくなったら、死ぬしかないのではないですか?
でも、簡単に死ぬ事なんてありえないのです。 私にしろ生きているのですから、死んだコたちがどんな辛い目に合っていたか あなた分かって言ってるのですか? あなたの背丈の2倍もある大男が現れて、毎日あなたに死ぬ程の痛みを与え続け、 どうやっても逃げだせない・・・という体験をしてみるといいです。 プライドさえも持つ事も許されない、ただ生かされてるだけ そんな中で希望を持って生き続けることがどんなに困難な事か 身をもって体験してみるといいです。
根性がないなんて・・・・ これ以上、根性を持てと言うのですか? どんなことをされても歯をくいしばり耐えていけと言うのですか? 私は死んだコが根性なしだとは思いません。 自殺出来る年令まで耐え忍んでこれたのですから。
周りに迷惑もかけてないと思います。 どうせすぐに忘れ去られてしまうんです。 薄っぺらな御悔やみを言わなければいけないことが「迷惑」なのですか? それとも私の友人のように、葬式や追悼の会に行かなければならないことが 迷惑なのでしょうか? 親にとっての葬式代が迷惑なのですか? 死ぬ程、殴り続けていた親の事ですから どうせ「せいせい」していることだと思いますよ。
+++++++++++++++++++++++++++++++
簡単に人の死を批判しないで下さい。 その人の人生、私達には決して分かる事はないのですから。
2001年07月24日(火)
|
|
 |