昨日・今日・明日
壱カ月昨日明日


2006年05月07日(日) PATHETIQUE

4月25日(火)。
休日。夜、シネ・ヌーヴォで『No Direction Home』を観た。ようやく。これを観たい観たいと念仏のように言い続けて、何ヶ月たっただろう。時間とはいったい何だ。
3時間半もあったけど、全く長さを感じなかった。大衆とマスコミはバカだと思った。『自由の鐘』に心底感動した。あんなにいい唄だったなんて知らなかった。映画なのに、ライブに行った後のような興奮があった。スクリーンで観られてよかった。

26日(水)。
ジュンクにて、武満徹特集の『芸術新潮』と保坂和志『途方に暮れて、人生論』(このタイトル、どうなの?)を買う。
アントニオ・カルロス・ジョビン『Em Minas ao vivo-PIano Voz』を聴く。ライブ盤。先週はこのアルバムと、トン・ゼーにずっぽりとはまっていた。
戸惑うことも歓びのひとつかもしれない、と感じた日。ゴネゴネ迷わず、前に進むことを考えよう、やっぱり。

27日(木)。
法善寺で飲む。会社の人と。話題を見つけるのに苦心し、疲れる。

28日(金)。
南森町で飲む。友人と。7時間ほどしゃべり続けて、疲れる。

29日(土)。
休日。久々に土曜日のお休みで嬉しい。昭和天皇がこの日に生まれてくれて本当によかった。
テアトルで『美しき運命の傷痕』を観る。キェシロフスキの遺稿だというので勇んで初日に観に行った。観葉植物、ミルクの中の溺れるハエ、ゴミを捨てに行くおばあさん、など、キェシロフスキへのオマージュと思しきシーンが多々あった。出来はともかく、個人的にはけっこう好きだ。偶然と運命。
旭屋にて、岡田温司『「ヴィーナスの誕生」視覚文化への招待』を買う。『一冊の本』と『波』をもらう。『図書』がまだ置いておらず、少なからず絶望する。

30日(日)。
休日。姫路にて『熊谷守一展』鑑賞。あたたかい絵だ、実に。亀と猫の手が愛らしくてたまらない。会場を三巡ほどする。
広場で弁当を食べる。鯉のぼりがはためいていた。
帰り、梅田のアーバンリサーチでパンツを購入。うどんを食べて帰る。

5月1日(月)。
5月ですよ。信じられない。
『大阪人』を買う。オダサク特集のため、久々に。織田作に熱を上げていたのは、いつ頃だろう。なぜかすっかり過去形なのだが、そんなことはない、今でも好きよ。だって全集まで買ったんだし。

2日(火)。
歓迎会。本当に歓迎されているのだろうか。まあどっちでもいいけど。

3日(水)。
休日。日傘をクルクルまわしつつ京都へ。古本市。古本もいいが、陽光の下南禅寺で食べた、自分でつくったお弁当の美味しさに感動。
買ったもの。
マッカラーズ『心は孤独な狩人』、カバーなしで250円。とうとう見つけた。人間、粘りが肝心だ。ちょっとヨロッとしててカバーがないが、もういいの。カバーを読むわけじゃないから。
小島信夫『漱石を読む・日本文学の未来』(福武書店)2500円。少々高いが致し方ない。分厚くて二段組だし。字がたくさん並んでる本、大好き。希望を感じる。
ロラン・バルト『映像の修辞学』(朝日新聞社)700円。
原章二『加藤一雄の墓』(筑摩書房)1500円。加藤一雄について書いている本があるとはしらなんだ。
『美しい水死人』(福武文庫)500円。ラテンアメリカ文学アンソロジー。
なあんか、大散財、かも。

4日(木)。
休日。焼き肉を食べに行ったあと、テアトルのレイトショウで『ふたりのベロニカ』を観る。キェシロフスキの映画において、ゴミを捨てに行くおばあさん、ってどういう意味があるんだろう、とかなんとか、考える。
やっと『図書』を手に入れる。

5日(金)。
休日。本の整理と読書に明け暮れる。
ミートソースを大量につくり冷凍。タケノコも茹でる。
マトモスを聴く。

6日(土)。
仕事。帰りに『本城直季写真展』に行く。この人の写真を見てると、ああ地球に生きてるんだなあ、って実感する。写真集はずいぶん前に購入済み。
『未来』をもらう。

一か八か、ってわたしのためにある言葉かな、と最近思う。それから、これも。
『わたしはモラルには興味がない。
 興味があるのは美と感情だ。
 しかし、もっとも大事なのは愛だと思う。
 愛を失ったら、生活は指の間からこぼれ落ちてしまう。
           クシシュトフ・キェシロフスキ』




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