昨日・今日・明日
壱カ月昨日明日


2006年05月19日(金) travelogue

明日も5時起きなので、もういい加減に寝たほうがいいだろうと思いつつも、目がランランとして、というか、ただ何となく時間を引き延ばしたいだけなのかもしれないけど、全く寝る気にならない、5月20日土曜日の午前3時半。

どうしたらいいんだ、どうしたらいいんだ、しかし、わたしはいったいどうしたいの?、と考え続けていた、ここ数日のこと。

連休明けは、眠くて眠くてしようがなくて、暇があったら寝ていた。電車の中とか、宵の口のリビングとか、昼休みのドトールとかで。

大切にしてた珈琲カップを割ったり、夜中に自転車でこけたり(べろべろに酔っぱらってた)、こけた時にすりむいた膝がいつまでも痛かったり、日傘をなくしたり(この時も酔っぱらってた)、思い返せばろくなことのない毎日だった。酒はやっぱりキチガイ水だ、ということを学びなおしただけだった。学んでも、身につかないのが哀しいところ。

11日に『ブロークン・フラワーズ』を観た。ジャームッシュの映画を観ると、「移動する」をいうことを考える。移動していく過程を撮りたいために、脚本をおこしているような。
盛り上がりそうで、でも全然盛り上がらない、気持ちが通じあっているようで、でも全然分かり合えない、もどかしいほど平板で淡々としてて、でも十分ドラマティックなわたしたちの日々、というようなことも、よく思う。
細部が愉しくて、飽きなかった。エチオピアの音楽は、どこか懐かしくて心が和む。

12日は『シャガール展』に行った。『死せる魂』の挿し絵が最も良かった。天保山で観覧車にも乗った。その日は晴れてて、海のむこうに明石海峡大橋がくっきり見えていた。オモチャみたいだった。なんでもかんでも結局、オモチャなのかもしれない。

「みすず」の5月号と、平凡社ライブラリーの新刊『世界の調律』(これ、すごく面白い)を買った。
千林の古本屋さんで『アロイス・カリジェ展』の図録を買った。
おなじ店で『哲学的落語家!』も手に入れたけど、俺は俺は、という書き方にどうも馴染めず、ほったらかしになっている。

今は、移動中に『シカゴ育ち』と『謎とき「カラマーゾフの兄弟」』と『悪魔のような女たち』を交互に読み、家では『民主と愛国』を読んでいて(これはあまりに重すぎて持ち運べない)、頭の中が混沌を通り越して、パンパンに膨らんでいる。

元気でいてくれさえすればいい、と、日夜思っている。少しでもよい環境で、安らかな精神状態で、充実した時間を過ごしていてほしい、と、祈ることが、わたしの支えになっている。
でも、何もかもがあまりに遠くて、時々、途方に暮れる。やっぱり、どうしていいかよくわかんない。


フクダ |MAIL

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