昨日・今日・明日
壱カ月昨日明日


2006年04月25日(火) 愛することを学ぶという習慣こそが、大切なのです

毎日、5時30分に起きている。目覚まし時計をふたつセットしていたが、ここ数日はそれに頼らずとも自然に目が覚めるようになった。たとえ就寝時刻が3時とかでも。習慣というものはおそろしい。
今朝は、救急車のサイレンで起こされた。寝室の窓からのぞいたら斜め向かいの家に止まっていた。戸が開いて、救急隊員とともにそろそろと老人ばかり3人ほど出てきて、談笑しながら救急車に乗り込んでいった。誰が付き添っていくか、少しもめていた。結局担架に乗る人はおらず、誰のために呼ばれた救急車なのかわからなかった。時計を見たら5時だった。いつもより30分も早い。今日は休日なのに。

15日(土)。
会社帰りにジュンク堂で本を買った。野矢茂樹『ウィトゲンシュタイン〈論理哲学論考〉を読む』と小熊英二『日本という国』。
南森町のKOHYOで食パンを買った。好きだったタカキベーカリーの食パンが品切れでショックだった。仕方がないので神戸屋の「湯種」を買った。「湯種」は素朴で値段のわりにはおいしい、と思う。

17日(月)。
初の朝礼当番がまわってきて、皆々様の前で話をしなくてはならず、急に言われて何も考えていなかったので、とりあえずパステルナークの詩について3分ほどしゃべった。みな、狐につままれたような顔をしていた。翌日の当番の人は、斉藤孝の「なんたら力」という本について語り、その翌日の人はちびまる子ちゃんについて話していた。
なるほど、世間のまともな勤め人は、パステルナークのことなど知らないのだ。ふうん。こうしてわたしはここでも、ちょっと変わったわけのわからん人、という位置づけを与えられ、どんどん楽になっていく。
今度当番がまわってきたら、ブックオフで『ナボコフの一ダース』を250円で見つけた時の激烈な喜びのことを、話してみようと思う。

18日(火)。
この春はじめて、タケノコを茹でる。
佐藤雅子『洋風料理ノート』を熟読する。

19日(水)。
休日。ガーデンシネマのモーニングショウで、『TOUCH THE SOUND』というドキュメンタリーを観る。エヴリン・グレニーの言葉ひとつひとつが、心に残った。とてもよい映画だった。タワーで、彼女が参加しているアルバムを買った。いつも、どんな時でも、あらゆることに心を開いていたいと思う。

20日(木)。
天神橋商店街で、焼き鳥を買った。おじさんが炭火で黙々と焼いてる小さい店。一本60円。薄汚れたかっぽう着をきた店のおばちゃんに、アンタうちで買うの初めてか?、と聞かれた。初めてだ、とこたえたら、へえーと驚かれ、うちは80年もここで店やってんねんで、老舗やねんで、と言う。80年。おばちゃんの歳はいくつだろう。老舗の焼き鳥は美味しいねんで、と一本おまけしてくれた。ホントに美味しかった。とくにレバーが。しっかり鶏の味がした。老舗の味、だろうか。

21日(金)。
『世界の果てのビートルズ』を読む。
久保田真琴『世界の音を訪ねる』を買う。CDがついてたが、まだ聴いてない。

24日(月)。
島尾敏雄『幼年記』を天牛堺で買う。


後ろを振り返るのはやめよう、と決めた。この先にあるかもしれない、可能性のことを考えよう。このことに関しては、すこし強くなった。待っているものがこなくても、メソメソ泣いたりしなくなった。忘れないと言ったのだから、きっと忘れないのだろう。いつか思い出してくれるだろう。たとえそれが気まぐれでも、わたしにとっては限りなく、大切なものなのだ。





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