昨日・今日・明日
壱カ月|昨日|明日
2005年11月15日(火) |
いつかは想像をこえる日が待っているのだろう、か? |
金曜日の夜に、友人が車で自宅にやってきた。借りていたビデオデッキを積み、そのまま一緒にスーパー銭湯に行った。 週末なのに、週末だからか、銭湯はとても空いていた。露天風呂をしばしの間占領し、プカプカ湯につかって遊んだあと、車で友人宅まで戻り、酒を飲んだ。 ふたりでキリンのラガーを3リットルほど、焼酎ボトル1本、ワインを半分ほど空けた。お互い、ままならない人生を抱えて鬱屈しているので、いくらだって飲めるのだ。頭は朦朧とし、会話は反れて、まわりの風景は歪んでゆくのに、いつまでも自意識が消えてくれないのが、辛いといえば辛い。 そんなわけで、頭痛と吐き気に悩まされながら、土曜の朝に電車で家に戻り、昼すぎまで寝ていた。
週末から昨日にかけ、新刊古本とりまぜて、またまたアホみたいに本を買った。買いすぎて、もう書名を挙げ連ねるのもはばかられるほどだ。 なぜか急に小川国夫に目覚めて、『アポロンの島』とか文芸文庫の短編集などを、フムフムと読んでいた。それから、平凡社ライブラリーから出た『シュルツ全小説』を、もったいないから毎日ちょっとづつ読んでいる。 しかし、なんといっても小山清の『落穂拾い』に、わたしは深く感動した。 えーん、と声をあげて泣きたい。
『その人のためになにかの役に立つということを抜きにして、僕達がお互いに必要とし合う間柄になれたなら、どんなにいいことだろう。』
昨日は、仕事のあと試写会に行き、帰ってきたのは22時を過ぎていた。 玄関前に放置してあった宅配野菜を整理して、ほうれん草を茹でたり、人参とゴボウのキンピラを作ったり、カボチャを煮たり、夜中まで台所で働いた。働き者である。 深夜の台所で、灯りをひとつだけ点け、テーブルでゴボウを刻みながら『ローズマリーの赤ちゃん』のサントラを聴いた。コワイ。水道の蛇口をひねると血がでてくるかも、と思ってしまう。出てこないけど。
気をとり直して、ぼちぼちまたやっていこうかなあ、という気持ちになってきた。だって、そうするより仕方がないから。 この先、何があっても、何がなくても、日々はただ続いていくんだし。
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