ぽあろの音楽旅日記
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2002年01月23日(水) |
第80回 チャイコフスキー 交響曲第4番(その2) |
久々のクラシックです(苦笑)。しかも2度目の「チャイコの4番」。
この前、突然聞きたくなったんですね、「チャイコの4番」を。なぜだかはわからないんですが。僕はこの曲のよさを上手に言い表せなくて、前回も困り果てた経緯があるのですが、なんだか好きな曲です。最近閉まりっぱなしだったクラシックCDの棚を開けて、久々に聞きたくなった「チャイコの4番」CD選びをしました。何しろ複数枚持っていますから。しかも何枚か把握していない(笑)。そんなに多くはないのに。結果として、僕が引っ張り出したのは・・・
☆小澤征爾指揮 サイトウ・キネン・オーケストラ
これを引っ張り出してなければ、今回この旅日記はかいてないですね、他の主だったCDは紹介済みですから。とはいっても、ここで書くためにこの一枚を選んだわけではありません。選んだ時点では「なんとなく」だったのですが、聴いていく内にわかってきました。僕がこの曲に惹かれているのは「歌舞伎的」な要素なんだな、と。歌舞伎的、とはまた大上段に構えた表現ですが(笑)、この曲には何度となく「見得を切る」場面があるように思うんです。交響曲のくせに場面転換がある、というのもへんですが、やや唐突とも思える終結、主題の移行、思い出したような盛り上がり(笑)など、理屈抜きに聴かせる要素があるんですね。 以前紹介した盤を思い出してみると、カラヤンやデュトワはその「不自然さ」をなるべく「自然に」提示している、歌舞伎的に言えば流れるような芝居、「成駒屋!」と叫ばせない隙のなさ(笑)。バーンスタインはその「不自然さ」をとことん賞味する、歌舞伎というより「下町の玉三郎」(懐かしいなあ)。無論いずれも僕の好きな演奏ですし、けなしてるわけではありません。そういう印象がするというだけで。 一方、小澤&サイトウ・キネン(僕はこのオケはどうしてもなじめないんですが)はメリハリのある、僕のイメージどおりの「4番」を演奏しています。第一楽章の冒頭、金管勢が重く、しかもきっぱりと主題をかき鳴らす、聴衆はいきなり心臓をえぐられるわけです。歌舞伎で言えば幕が明け、主人公がツカツカツカ、と登場する、観客がその一挙手一投足にくぎ付けになる。後は全楽章を通して聴き手を飽きさせずに突っ走っていく。 サイトウ・キネンが好きになれない理由はその「同窓会」的なノリが僕の中でぬぐえないからなのですが、逆にいえばそういうオケだからこそのこの演奏なのかもしれません。大掛かりな宗教曲や歌劇、これらジャンルは僕がそもそも好きでないせいもありますが、これらを演奏するサイトウ・キネンには微塵の魅力も感じられないんです。むしろこの曲やベートーベンの7番、のような曲に魅力を強く感じてしまうのは、彼らの「余裕」がそうさせているのかもしれませんね。
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