檸檬屋新宿,緑考

 10時頃サウナを出て新幹線で帰る。行きの駅弁は「竹の子ご飯」、帰りは「五目釜飯」。
東京駅に着く直前に「鉄(KUROGANE)」を読了。満喫。

 檸檬屋新宿店主の住枝さんは40日振りの休日。
母の日で一家団欒なのかお客さんが来ない。
大学の同級生I君に「気が向いたら来て」と電話。「気が向いたよ」とのことでご来店。

 I君のGW稚内ふらり一人旅の話。私が行きそびれた夜の陶芸教室の話。
私の友人、アーティスト西澤緑さんの話。
I君はPC環境にないので4月13日以降の経過を知らない。
私が読んで号泣した高橋玄監督の日記を見せる。「座礁しちゃったな」とI君。
意味を聞くと「俺自身が」。彼にも感じるところがあったようだ。

I君を送るビルの階段で立ち止まって更に話す。
「俺は自分のこと『閉じてる』と思う(4月30日の日記参照)。
自分ではわからないんだよ、どうしたら開けるのかって。
緑さんは頭がいいと思うけど、殻のようなものは感じる。
難しいね、一季節ぐらいかかるんじゃないか」

 そろそろ店を閉めようかと思っていたところへお客さんが来る。
I君もこのお客さんもほとんど飲み食いできない状況ながら5,000円頂く。
何度も「そうかあ、そういうシステムなんだ。いやあ、知らなかったなあ」
と言われて心苦しい。

 (た)ちゃんから電話。緑さんの話。
私と(た)ちゃんとは緑さんより長い付き合いであり、激しい喧嘩をした仲であり、
(た)ちゃんは「閉じている」ことを自覚して選んでいるアーティストである。
(た)ちゃんが緑さんの立場に立って言うアーティストの繊細さ、
もの作りを邪魔されたくない気持ちは理解できる。

しかし「緑さんは障害者だから、真理ちゃんにはわからない」という言葉には引っかかる。
(た)ちゃんだって健常者。実際私が障害者になっても全然わからないかもしれない。
私は「子供のいない人にはわからない」とか「金持ちにはわからない」とか
決め付ける言葉は嫌いだ。
「自分と違うからわからない」と思考停止するのは嫌だし、タブー視するのは良くない。
わかろうとした方がよいし、わかるかもしれないじゃないか。

「でもね、真理ちゃんはちょっと抑え目に言った方がいいよ」と(た)ちゃん。
心配してくれてありがとう。しかし結局(た)ちゃんともロンドン時代の友人Mとも
私の言い方で通した。持って回って言わない方が良いというのが私の結論だ。
相手の言うこともストレートに聞けばいい。

緑さんのことは関西突破塾でも話題になった。
「HPを見てオランダの画家エッシャーを思い浮かべました」とか
「次回の個展はぜひ見たい」とか。

やはり私は緑さんの回路を開きたいし広く外部と繋がって欲しいと願う。
緑さんが閉じることを望むのでなければ、だが。
2002年05月12日(日)

抱茎亭日乗 / エムサク

My追加