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■ 2007年02月05日(月) もののべ <画像あり>
夕方、下の部屋の人が「子供が産まれました」とクッキー持ってきました。最悪です。一気にブルーになりました。「真下なのでうるさいかもしれませんが」って言われてもねェ。そう言われても我慢ならないほどうるさきゃ窓から怒鳴るから。生まれたての赤ん坊の泣き声とか一番嫌いだから。 暮れに引っ越してこられたばかりでなんですが、一日も早く引っ越して下さると嬉しいです。
さて、関裕二「物部氏の正体」読了。高天原から天磐船に乗って天下ってきたという物部氏の祖・饒速日命。ホントは物部は吉備からやって来たんじゃないの? というのが話の本筋です。確かに吉備は古代の大国で、でも古代史に於いて「吉備出身」の豪族は見当たらない。瀬戸内の要衝を押さえ、河内に陣取る物部氏。ヤマトの祭祀(即ち「神道」)は物部の、吉備の祭祀。東征してきた神武にあっさりとヤマトを譲った理由・・・事実かどうかは別として、「藤原氏の正体」より面白かったです。順番メチャクチャだけど、「蘇我氏の正体」はこれから。
物部系の神社、好きです。何で?と問われても特に理由があるわけではないんですが、境内の空気が良い。基本、古社が多いので、その所為もあるかもしれません。
物部の「モノ」は武器説が根強いです(最も有名な物部系神社・石上神宮は武器庫と言われます)が、個人的には精霊説を強く採りたい。だって天皇家より先に天下った一族ですから。
写真左は、河内の磐船神社。右は石見の物部神社。 磐船神社は、物部氏の祖神・饒速日命が天下った地・哮峰(たけるがみね)とされ、写真の社殿の背後に写る大きな磐座が饒速日が乗ってきた「天磐船」であるとされます。ちなみに、難波宮太極殿跡から見て磐船神社はちょうど夏至の日の出の方角に当たるそうです。 物部神社は石見国一宮で、饒速日命の子・宇摩志麻遅命(物部氏初代)が主祭神です。社殿背後の八百山の頂に祭神の御陵があります。天気の所為か土地の所為か、とても風の気持ち良い神社でした。
古くからある神社仏閣を訪れると、「地脈」の存在もまんざら嘘ではないと思うことがあります。物部系の神社は、比較的それを強く感じる所です。
勿論、石上神社にも参拝しているんだけど、まだデジカメなんか持ってなかったので、画像がありません(写真は実家にはあるはず)。1996年夏、前日の雨が上がった晴天の参拝で、拝殿(国宝)内では十種祓詞と思しき祝詞が唱えられていて、檜皮葺の屋根からは白い水蒸気が立ち上り、神々しさを感じました。社殿そのものが呼吸しているようなイメージ。
十種祓詞 高天原に神留り坐す 皇親神漏岐神漏美の命以ちて 皇神等の鋳顕はし給ふ 十種の瑞宝を饒速日命に授け給ひ 天つ御祖神は言誨へ詔り給はく 汝命この瑞宝を以ちて 豊葦原の中国に天降り坐して 御倉棚に鎮め置きて 蒼生の病疾の事あらば この十種の瑞宝を以ちて 一二三四五六七八九十と唱へつつ 布瑠部由良由良と布瑠部 かく為しては死人も生反らむと 言誨へ給ひし随まに 饒速日命は天磐船に乗りて 河内国の河上の哮峯に天降り坐し給ひしを その後大和国山辺郡布留の高庭なる 石上神宮に遷し鎮め斎き奉り 代代其が瑞宝の御教言を蒼生の為に 布瑠部の神辞と仕へ奉れり 故この瑞宝とは 瀛津鏡 辺津鏡 八握剣 生玉 足玉 死反玉 道反玉 蛇比礼 蜂比礼 品品物比礼の十種を 布留御魂神と尊み敬まひ斎き奉ることの由縁を 平けく安らけく聞こし食して 蒼生の上に罹れる災害また諸諸の病疾をも 布留比除け祓ひ却り給ひ 寿命長く五十橿八桑枝の如く立栄えしめ 常磐に堅磐に守り幸へ給へと 恐み恐みも白す 「瀛津鏡 辺津鏡 八握剣 生玉 足玉 死反玉 道反玉 蛇比礼 蜂比礼 品品物比礼」の辺りで「十種神宝!!!!!」とものすごくテンション上がりました(笑)。十種神宝(とくさのかむだから)、「先代旧事本紀」で饒速日命が伝えたとされる十種の神宝「天璽瑞宝十種(あまつしるし みずたから とくさ)」のことです。天皇家の三種の神器みたいなものですな。勿論、現存してません。
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・過去の「今日」。
2006年02月05日(日) デジカメ日和 2005年02月05日(土) リニューアルしました
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