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■ 2005年09月24日(土) 会津古社と二重螺旋 <画像あり>
私の中学は修学旅行が東北で(東京の中学は、普通は京都奈良)、十和田湖とか八幡平とか小岩井牧場とか中尊寺とか、北東北を見て回った。南東北は、仙台近辺に親戚が2組いるにも関わらず、行ったことがない。日光以北は、中学の修学旅行以外で足を踏み入れたことがないのだ。御陰で、御朱印帳も東北はゼロ。
だから東北地方の御朱印が欲しい、ということを差っ引いても、ぜひ参拝したいし御朱印が欲しい神社が福島・会津にあります。てことで、友達を誘って日帰り会津。台風の影響で秋雨そぼ降る東京を脱出し、いざ北へ!
左、伊佐須美神社(御門内より楼門)。右、蚕養国神社(拝殿にかかる奉納額)。 ぜひ参拝したいし御朱印が欲しい神社、それは会津総鎮守・伊佐須美神社。延喜式では名神大社に列せられ、岩代国一宮とされる立派な社。御朱印は寺社参詣Blog・神籠の方を見て頂きたいのですが(御朱印帳は後日更新します)、左右2面を使用するんですよ。出羽三山系の神社もそうなんですが(分社は知らないけど)、東北には多いのかな。
境内には色んな種類の鶏が放し飼い。茂みの中には卵を抱えてそうなヤツも。丸々とした大きな鶏は、拝殿前を駆け回ってました。でも一番印象的だった鶏は、御朱印を書いて下さった年配の女性にずっとくっついていた小さい鶏。絶対すりこみされてます。おばあさん、まさか卵から孵した?
続いて会津若松市内に鎮座する蚕養国(こがいくに)神社へ。名前の通り、養蚕守護の神様とされ、拝殿には繭でデコレート(?)した奉納額が掲げられてます。もっと小さな神社かと思っていたけど、意外や意外、結構立派なお社でした。 社務所にいらしたのは若い女性。巫女さんかと思ったんですが、立ち上がった女性が身に着けていたのは、巫女が身に着ける緋袴ではなく、神職の浅黄の袴でした。この人が禰宜さんなのかなぁ。 この女性神職さんと少々お話しして、ご飯。天気が良くないので気温も低く(会津だし)、味噌煮込みうどんなんて食べちゃった。
続いて向かうは、飯盛山にある「さざえ堂」。正式名称は「円通三匝堂」と言います。元々は正宗寺というお寺の一堂宇だったんですが、正宗寺は明治に廃寺になり、今は単なる文化財の建築物で、宗教施設ではありません。でも珍しい二重螺旋構造の建物が見たかったんですよ。
飯盛山は会津の著名な観光地のひとつ。山麓にはいくつもの土産物屋が建ち並び、駐車場を無料で使用させてくれます。勿論、帰りにはお土産買ってね、ってことなんでしょうが、私は買わなくても良心痛まない派( ̄m ̄*)
飯盛「山」ですから、当然ここから登りです。めっちゃ長い階段見えてます。その階段の横に「動く坂道」・・・
・・・って有料かよ!! ちくしょーこんなんに金なんて払うかよーε=ヽ(`Д´)ノ 仕方なしに歩いて登りますが、山頂手前(だと思う)で左に折れる道があり、そちらに「←さざえ堂」の看板があったので迷わず曲がります。誰が上まで行くか! 山は筑波山で懲りたんじゃ!
最初に目に入ったのは、宇賀神堂。正宗寺が別当を務めた宗像神社(現厳島神社)の傍社として建立されたものだそうで、現在は白虎隊十九士の霊像が安置されています。その右手前には土産物屋。こんな上にまで土産物屋があるのか・・・と思ったら、ただの土産物屋じゃありません。看板には「会津飯盛山正宗寺継跡 山主飯盛本店」の文字が。「正宗寺継跡」? 「山主」? て、寺のなれの果ては土産物屋かよ!! かなり意外性のある顛末でした・・・。正宗寺最後の住職はマジでこの土産物屋を経営する飯盛家現当主の曾祖父だそうで、飯盛家の現住居が正宗寺の本堂だった建物なんだそうな。さざえ堂と宇賀神堂を所有・管理しているのも飯盛家のようです。土産物屋で宇賀神堂の御朱印を出していたので、それを頂き、さざえ堂の拝観料(400円)を払って二重螺旋の中へ。
左からさざえ堂外観、内部、内部のてっぺん(余りに暗くてフラッシュ使用)。 内部は階段ではなく、結構急な坂道(写真じゃ伝わりにくいけど)。このさざえ堂は上りと下りで同じルートを辿らない一方通行の構造なので、てっぺんは上り側から下り側に橋を渡したような格好になっていました。へーへーこうなってるんだぁ。
さざえ堂を出たら、さっきの階段ではなく元々の表参道だった坂道を下って、駐車場に戻りました。勿論、買い物はナシでw
3連休の中日なので、帰りが遅くなると高速が混みそうな気がしたため、これで会津をあとにしました。見たいもの・見るべきものは探せばまだまだあるんだろうけど(お城はそんなに興味ないの)、今日見たいものは見たから満足。
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・過去の「今日」。
2004年09月24日(金) 切なくなりたい? 2002年09月24日(火) 似非「石に泳ぐ魚」考
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