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■ 2005年08月07日(日) 広島の苦悩・日本の苦悩 <画像あり>
 >>60年+1日+7時間40分
昨日8月6日は広島に原爆が投下されて60年目の日。1日遅れた今日、私は爆撃目標とされた相生橋を通った。 写真は、相生橋から原爆ドーム。爆心地は、もう少し東側(写真では左)。長崎の爆心地とは異なり、街の中に石碑だけが建つ。
原爆を落とされたのは世界中で此処広島と長崎だけ。そんなことは百も承知だ。でも私は「ヒロシマ」「ナガサキ」とそのことを象徴化するのには嫌悪感を感じる。確かに原爆という新型爆弾による被害は、今までの焼夷弾なんかとは比べものにならないほど後々まで尾を引くもので、未だに原爆症で苦しむ人は多くいる。 でも、沖縄の地上戦だってとても悲惨なものだった。東京大空襲だって酷い有様だった。あの戦争で愛する人を失った人たちの悲しみは、原因で左右されるものではないし、その精神的な痛みも等しく変わるものではないと思う。 広島では「被爆六十年」という言い方をするけれど、それじゃ「2005年」の持つ意味が狭すぎる。今年は「戦後六十年」だ。
広島のメディアは、昨日は原爆の日一辺倒だった。そりゃあそうだろう。それは別に構わない。 広島の学校は、例年、8月6日は登校日らしい(余談だが、私は人生に於いて夏休みに登校日があったことがない。高3の2月に数回あっただけだ)。 でも、広島市内及びその近郊とその他地域では、恐らく温度差があるんじゃないだろうか。県内でも温度差があるのだから、広島県とその他の都道府県では言わずもがな。それは広島の人も(恐らく)感じていて、このまま風化してしまうことを恐れている。
でもそれは何も広島に限ったことじゃないワケで。
思い切って言ってしまえば、私は、いつ何処で何があったかなんて、忘れてしまってもいいと思う。ただ、爆弾が落とされて街が焼けてしまったり、その爆弾の所為で酷い後遺症を負ってしまう人がいたり、とにかく多くの人が死んで、もっと多くの人が悲しい思いをしたんだってこと。それは戦争の所為で、だから決して戦争なんてしてはいけないってこと。 それだけ判っていれば、細かいことなんかいいじゃないか。
原爆が落とされた日を忘れていたって、原爆が落ちた時間に黙祷しなくったって、「過ちは繰り返しませぬから」その誓いが守れればいい。
それじゃ駄目なのかな。
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・過去の「今日」。
2004年08月07日(土) 今年初浴衣 2003年08月07日(木) 夕方の空は秋の気配
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