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2004年12月28日(火)
  in 九州−大分・阿蘇・高千穂編 <画像あり>

 早起きしてひとっ風呂浴びてから出掛けようと思ったのに、寝過ごしました(−−
 起きたら7:30。前日にコンビニで買っておいたおにぎりを食べ、出発。今日は大分市内で豊後国一宮の2社に参拝してから、阿蘇と高千穂を巡ります。別府から大分へはすぐです。

 まずは柞原八幡宮へ。海沿いの道を折れ、山の方へ。神社も南面した斜面に鎮座しています。神社拝殿とほぼ同じ高さにある駐車場に車を停めてから今車で上ってきた坂を下り(下にある鳥居や建造物も見たいので)、正面から階段を上って参拝。途中あった南大門(通称日暮らし門)には見事な彫刻が施されていました。やっぱり駐車場からショートカットしなくてよかった。社殿は本殿と拝殿に廻廊が付属し、靴を脱いで廻廊に上がって、そこから拝殿越しの本殿を拝む感じ。昇殿しての正式参拝でもないのに靴を脱ぐのは珍しいです。初詣なんかで混雑する時はどうなるんだろう(^^;)

 続いてもうひとつの一宮・西寒多神社へ。旧社格は柞原八幡が国幣小社、西寒多神社が国幣中社なので、こちらの方が一応上です。西寒多山(本宮山)の山頂に奥宮があり、その奥宮に背を向けている(つまり奥宮を拝む形)所為か、神社は南面せず、太陽が後ろに来てました。寧ろ北面。
 神職の方が大変ご親切で、これから阿蘇に行くと言うと、御丁寧に道を教えて下さいました。まあナビ(新品)があるんですが、好意は素直に受けるもの、ちゃんとお話を伺いました。

 ナビが示した道と神職さんが教えて下さった渋滞回避の抜け道はどうやら同じ。なのにダンナは「こっちから抜けられるんじゃないか」と神社すぐ前の新興住宅地に突っ込んで行きます。が、敢え無く撃沈。素直にナビに従え。とにかく、一路阿蘇へ。途中、前回訪れた時にガイドさんが「綺麗に見える日は少ない」と言っていた阿蘇五岳と思しきものが、またしてもくっきり見えました。二度来て二度とも拝めたあたしってスゴイ? それともガイドさんの言葉が眉唾??

 阿蘇ではまず外輪山の麓(内側)に位置する国造神社へ。阿蘇国造の先祖を祀る神社で、阿蘇神社の北にあることから「北宮」とも呼ばれます。境内には鯰を祀った鯰宮という珍しい社があり、秋篠宮殿下もお見えになったそう。特に観光地でもなく、有名でもないと思うんですが、私たち以外にも若いカップルがいたりして意外でした。思ってるほどマイナーではないのかも。

 それから阿蘇神社へ。前回はすぐ前を通過したのみ。バス車中から大楼門だけ見ました。その大楼門は神社建築としては珍しい二層建築。拝殿では御祈願が行われていました。取り仕切っている年配の御神職が、祭神・建磐龍命の91代目に当たられる大宮司様なのかしら、とかちょっと思ってみたり(違うか?)。
 門前で蕎麦を食し、そのまま高千穂へ。阿蘇山に登っても良かったんですが、ダンナも阿蘇には来たことがあったし、何より冬場は枯れ草で、見ててイマイチなんですよ。また青草が繁った夏場に、馬でも乗りに来たいです。出来れば火口も見れそうな時希望。


左から柞原八幡宮(廻廊から拝殿を撮影)、阿蘇で見かけた看板(標識?)、
またしても拝めた阿蘇五岳(多分)。ここに前回の写真アリ。今回は噴煙出てます。

 そういう訳で、阿蘇で昼食後、まっすぐ高千穂へ。
 高千穂町に入ってしばらく行ったところで、「この先トンネル内片側交互通行」と電光表示が。工事でもしてるんだろうと思ってたのに、現場では何やら消防や警察がウロウロ。消防のホースがトンネル内に続いています。トンネル内では消防車やパトカーが1車線占領。何があったのかは判りませんが、何かあったようです。

 また少し行くと、突如SLが見えました。道の駅ならぬ「トンネルの駅」という物産館のようなものが。ダンナがそういうの好きなので、休憩を兼ねて立ち寄りました。
 何でも、ここに鉄道を通そうとトンネルを掘ろうと試みたけれど、地下水が出過ぎて計画が頓挫したよう。その未貫通のトンネルを焼酎の長期貯蔵庫として再利用し、引退したSLも置いて道の駅みたいな施設にしたようです。トンネル内はワイン蔵のように樽が並んでいて、ひんやりしてました。
 トンネル横の物産館様の建物内で焼酎の試飲もやってましたが、数が多くてどれを試飲して良いものか判らず、ましてやダンナは運転手なので、今回はやめておきました(^^;)

 さてさて高千穂です。日向国の高千穂の峰、それは天孫降臨の地。まず目指すは天岩戸神社西本宮。日本で育ち日本で教育を受けた日本人ならばまず知っているであろう天の岩戸の神話。太陽の神・天照大神が天岩戸にお隠れになったために世界が闇に閉ざされ、困った神々が集まって知恵を絞り、天照大神を再び外に連れ出したという神話。その舞台・天岩戸を御神体とするのがこの神社です。社務所で天岩戸の拝観を申し込み、神職の方に案内して頂きました(無料)。
 まず神職にお清めしていただき、拝殿より参拝。その後、拝殿右側の入口より拝殿裏に回ります。神職が指し示した岩戸川対岸の崖に天岩戸はありました。現在は上の部分が崩落して洞窟状にはなっていないそう。ここは撮影厳禁の為、どのパンフにも天岩戸の写真は載っていないそうです。拝殿左の出口から出て、すぐ横の神楽殿の説明で案内は終了。参拝客は結構多いのですが、天岩戸の拝観まで申し込む人はそこまで多くないようで、もっと大勢でまとめて案内されるのかと思ってたんですが、ダンナと私の二人だけでした。それにしても、案内して下さった方の思想がやや偏ってる気がしたのは私だけなんだろーか。
 境内を通り抜け、500m程先にある天安河原へ。ここが天照大神がお隠れになった時に神々が相談に集ったと言われる所です。ここに至るまで少々河原に作られた遊歩道のような道を歩くのですが、淵なんかは物凄い深い碧色をしていました。綺麗というか、神秘的。それでも敢えて云えば、プチ高千穂峡(笑)。
 社務所で東本宮の場所を訊き、そちらにも参拝してから槵觸(くしふる)神社へ向かいました。

 「古事記」で邇邇藝命が天下ったとされるくしふる峰の麓に槵觸神社は鎮座しています。すぐ傍には「高天原入口」の標識。高天原は天上の世界のハズなのに、ここには現実の地として存在している。地上と天界、現実と神話。それらがすぐ近接した所に存在しているのが、この高千穂なんだなぁ、と実感。

 本日の〆は高千穂神社。秩父杉(源頼朝の代参として秩父庄司畠山重忠が参拝した折に植えたという樹齢800年の杉)や夫婦杉といった木々に覆われ、鬱蒼とした境内。本殿脇にある彫刻は、祭神の一・三毛入野命(神武天皇の兄)が土地の悪鬼「鬼八」を退治する場面を刻んだものなんだそうで。そういう征服の物語が高千穂にも語られていたのね。考えてみれば、天孫降臨前からここには誰かが住んでいた方が自然で、鬼八も熊襲、隼人や粛慎(みしはせ)、蝦夷と云ったまつろわぬ民の一人、もしくは一族だったのかもしれないなんて思いました。抑も、天から人(天皇の先祖なんだから、天皇が人である今、先祖もやっぱり人だろう)が下りてくるなんてことは有り得ない訳で、そこにはやはり侵略の歴史があったと考える方が自然よね。ホントはどうだったのか、知ることは出来ないけどさ。


左からトンネルの駅の長期焼酎貯蔵庫、天岩戸神社の灯籠(梟付き)、天安河原。

 夕飯は大分市内で食べようと思ったんだけど、あまりに何もなくて断念。結局、別府市内のロイホに行きました(笑)。大分駅前、デパートとかパルコにレストラン街ないんだよー。大分ではそれが当たり前なの??


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・過去の「今日」。

2003年12月28日(日) 義務
2001年12月28日(金) 大掃除なんて

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