無責任賛歌
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2005年01月20日(木) |
類友な話/ドラマ『富豪刑事』第二回ほか |
職場の同僚で、映画好きの方がいらっしゃるのだが、昨日『カンフーハッスル』を見に行ったのは、この方から「もう笑えて泣けてサイコーですよ!」と勧められていたこともあったのである。でも私が実際に見た感想は「そこそこ」。映画を見た以上は、この方に感想を「報告」するのは義務であろう。けれども、そこで迷ってしまったのは、「いや、それなりでしたよ?」ということを、正直に言うべきかどうかということだった。 別段、淀川長治を気取っているわけではないが、私は「どんな映画にも誉めるところはある」と思っているので、よっぽどクソつまらない限りはたいていの映画は面白く見られる。『カンフーハッスル』だって、キラ星のごとく輝いているシーンは随所にある。凡百のクソ映画群に比べれば充分「面白かった」と言えるのだ。ただやっぱり全体の作りが雑な点は否めず、シーンとシーンの繋がりがドラマチックな高揚感を味わわせてくれるまでには至っていない。「すっげえ面白かったぜ!」ってのと「まあ、いいんじゃない?」ってのとは、どちらも「面白い」の部類に入りはしても、映画の出来という点ではレベルが全然違うのである。基本的には「つまんない」と思ったものを、「面白い」だなんて、私には口が裂けても言えないことである。 というわけで融通がきかねえなあと自分でも思いはするのだけれど、正直に「まあまあでしたね」と伝えてみた。もちろん、誉めるところもあるが、ここがこう欠点だと思う、と具体的に指摘したのである。てっきりガックリされはしないかと心配していたのだがさにあらず。その方、「なるほど、わかりますよ」と頷いてくださった。偏狭、尊大、狷介で底の浅い人間にはイヤというほど出会ってきているので、もしそうだったらどうしよう、とビクついていたのは全くの杞憂であったのだ。 映画の批評が人によって千差万別であるのは、すべての人間に個別の「文化」があるからである。すなわち、自分がどういう立場で、かつどういう視点で映画を見るかということは、その人が生まれ育った風土や習俗、知識や経験、社会的な立場などによって左右されざるを得ない、ということである。ゆえに、厳密に言うなら、人と人とが「感想を完全に共有する」ことは不可能だ。だからこそ、他人の意見が自分のそれと違っていても楽しめるのであるし、また「一人一人の違い」をこそ楽しまねばならないし、自分の好きな作品が貶されたからと言って憤慨激昂するというのは、他人とのコミュニケーションを根本的に否定しているのと何ら変わりがないのである。「角を立てない」ことを人間関係の美徳のように称揚してきたのは「和を以て尊しとなす」の完璧な誤解で、現実にはお互いの内心の憎悪を増大させる効果しかない。人生には、最終的には相手を傷つけ自分も傷つく覚悟の上で「腹を割って」話すしかない場合のほうが圧倒的に多い。たかが映画の感想の話で何を大袈裟な、と言われるかも知れないが、そのたかが映画の話程度のことでキレる単細胞なのかどうか、ということもこちらが正直に話してみないと分からないことなんでね。 ただまあ、気をよくした下さったのはいいけれど、これから先、その方が映画を見るたびに私に感想を求めて来はしないかなあとちょっと心配になる。私だって全ての映画を網羅して見ているわけではないのだ。……と思っていたら、帰宅して夜、その方からいきなり電話があった。「藤原さん、チャウ・シンチーの『北京より愛をこめて』という映画が深夜テレビであるんですが、これ、面白いですか?」。……だから見たことありませんてば(^_^;)。 しげから、「アンタってヘンな人ばかり知り合いが増えるね」と言われてしまったが、その筆頭はおまえだ。
夜、しげのところによしひと嬢から連絡がある。 実は何ヶ月か前、長らくの苛酷な労働条件と胡散臭い体質に堪えかねて会社に辞表を叩きつけていた彼女であったのだが、このたびメデタク別の会社に再就職が決まったそうだ。今時の不況を思えば転職の決断はなかなか勇気が必要だったろう。よくぞ思い切ったものだと感心したが、その時の態度が「すぱーん」としていて、実に威勢よくって、清々しかったのである。結果的に吉と出たからよかったという見方もできようが、やはり、「女は度胸」だよなあと思う。 でも、次の職場もまた「すぱーん」と辞めるようにならないように頑張ってね。
山田真哉『女子大生会計士の事件簿』。 そんなに面白くなかったので、感想は簡単に。美人会計士が仕事上で遭遇する事件を解くって短編集だけど、会計士の仕事内容をビジネスマンに知ってもらおうというコンセプトなので、小説としての深みはゼロ。 でもそれは作者自身断わっていることなので、「文芸書」として売ろうとしてる角川が悪いやな。単行本のときにはちゃんと「ビジネス書」のコーナーに置いてあったというしね。マンガにもなってるそうだけど、やっぱり「学習マンガ」になってるのかなあ。
木曜ドラマ『富豪刑事』第二回「美術館の富豪刑事」。 今回は原作にないオリジナルかな。前回も原作アリにもかかわらず、かなりひどいアレンジだったが、オリジナルとなるともう眼も当てられないくらいの讃嘆たる出来。 見てる最中から「なんだこれは」とアタマを抱えたくなるくらいにショボかったので、どこのどぐされ野郎が書いた脚本だと思ったら、『トリック』の蒔田光治だった。よりによってなんてやつに書かせるか……と思ったら、プロデューサーも蒔田さんなんだな。笑うっきゃねえな。一応、原作が好きで企画を立てて、筒井さんに頭を下げてドラマ化を了解させて、ウキウキして自分でも脚本を書いて、という経緯なんだろうけれど、こういうのを典型的な「身のほど知らず」と言うのだよ。 もうこんなヘタレ脚本ならストーリーもトリックも犯人もバラシたいくらいなのだが、一応ルールは守って書かない。でもドラマ見なくてもゲストの配役表見れば、誰が真犯人なのか、誰でも分かるよな。さて、次のうち誰でしょう? 三井隆信(七瀬美術館の館長)……岡田眞澄 大槻厚夫(七瀬美術館の職員)……伊藤正之 今村信一(七瀬美術館の職員)……蒲生純一 関口久志(七瀬美術館の職員)……松澤一之 ……だからよう、これだけは言わせてもらうけどよう、“ドラマの初め5分でどんなストーリーになってどんなトリックが仕掛けられて犯人が誰かすぐに視聴者にバレてしまう”土曜ワイド以下の脚本を「最上のミステリー」なんて宣伝するな、ボケエ!(`□´) ! 好きな役者さんもたくさん出てるんで続けて見てるけど、その演技力がこれくらい発揮されてないドラマも珍しいぞ。西岡徳馬、山下真司以下、刑事があそこまで間抜けだと、いくらリアル志向のドラマじゃないと言い訳してもシラケルだけなのである。それから深田恭子、ミスキャストなのは今更言っても仕方がないけれど、せめて滑舌くらいは練習しようよ。「みっしちゅさちゅじん」じゃねえだろがよ(T∇T)。
続けて『H2』第2話。 先週は第1回を見逃してたけれど、あだち充の原作はセリフがスラスラ出るくらい読んでるから、ストーリーに付いてけないということはないんだな(^o^)。 第2話を見る限り、シチュエーションもセリフも原作をかなり忠実で、ちゃんと原作を尊重している姿勢が見えて嬉しい。野田(中尾明慶)が柳校長(竜雷太)に「お前の息子を誘拐した。千川高校に野球部を作れ」とキョーハクして、校長が「分かった。作る」と“即答”するその“間”、これがあだち充のあだち充らしいところで好きなのだが、これもちゃんといい間で映像化してくれている。あだち充をラブコメでやわいマンガだと思い込んでるアンチも多いと思うが、その本質はすごくストイックでハードで潔いのだ。それがこういう“間”に現れてるんだけど、いやしくもマンガファンを自称する人間なら、そういうところを読みとってほしいなと思うんである。 全体の雰囲気も危惧していたほどに悪くはない。原作がマンガだから実写化する際は普通にシリアスなドラマにすることはできず、どうしても人間描写にムリが生じる部分はあるのだが、懐かしの『月曜ドラマランド』ほどにカリカチュアし過ぎてはいないので、マンガ原作の実写化に反対な人にもある程度は受け入れられるだろうという印象だ(柳沢慎吾が出てるあたりは『ドラマランド』へのオマージュがあるのかもしれないが)。 比呂(山田孝之)と英雄(田中幸太朗)、主役二人の演技も臭過ぎなくて爽やかな印象で好感が持てる。春華(石原さとみ)とひかり(市川由衣)に至っては、よくぞ原作のイメージをここまで実感させてくれたものだと歓喜の拍手を送りたい。いや、厳密に見れば決して原作のイメージ通りではないのだが、役者の熱心さが伝わってきて、これはこれで一つの「春華」だし「ひかり」だなあと思わせてくれているのである。『わたしのグランパ』の石原さとみも良かったけど、今度の石原さとみもいいなあ(* ̄∇ ̄*)。
2003年01月20日(月) 貴乃花引退/『探偵学園Q』8巻(天樹征丸・さとうふみや)/『魔法遣いに大切なこと』1巻(山田典枝・よしづきくみち)ほか 2002年01月20日(日) それでもアニメだけは見る/DVD『名探偵ポワロ エンドハウスの怪事件』/『フルーツバスケット』3・4巻(高屋奈月)ほか 2001年01月20日(土) 英雄、果つる島/映画『アヴァロン』ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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