無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2004年07月13日(火) オタクでなくとも旧作は見よう。

 こないだダイヤモンドシティに行った時に、冷風機を買ったのだが、しげの寝部屋に設置されたそいつの恩恵に未だあずかっていない。居間にも一応、クーラーがあることはあるのだが、長年フル稼動させてきたせいで、「効き」がイマイチなのである。

 今日も残業。予定されてた居残りで、トンガリさんとも関係がない仕事なので特に文句はないのだが、昨年よりいくつかの役職から解放されているというのに(別に降格されたわけではない)、仕事自体は増えて残業する日が連日、というのは納得がいかないのである。ともかく雑事が増えたね。私の仕事は基本的に立ち仕事なのだが、ここんとこ、パソコンに向かって座ってる時間の方が長いのである。そのうち本業が何か忘れちゃうんじゃないか。……ちょっと忘れたいかな(T∇T)。


 『特撮エース』No.4、実はそんなに熱心に読んでるわけじゃないんだけど、もう4冊目も買ってしまいました(^_^;)。『ウルトラマン THE FIRST』もどうもねえ。
 どっちかと言うとコラムとか記事が楽しみで読んでるところがあって、とり・みきさんの『とりが見た!』なんか、実にイイコトを言ってくれている。「2004年というのは、後年、語り継がれる年になるかもしれない」というのは今現在でも強く感じるところである。特撮系で『CASSHERN』『キューティーハニー』『ハットリくん』『ローレライ』『鉄人28号』『デビルマン』『ゴジラFINALWARS』、アニメで『イノセンス』『スチームボーイ』『ハウルの動く城』と大作、話題作がつるべ打ち、なんて年は空前絶後だ。もちろん、その出来云々について、「ちょっとどうもな」と思う面がないわけではないが、『CASSHERN』や『ハニー』にしたところで、映画スノッブや自称「濃いオタク」が貶すほどヒドイ出来、というほどのものではない。『ハニー』はともかく(^_^;)、『CASSHERN』のヒットが「宇多田夫効果」だけではないことは確かだ。
 とりさんが書かれている通り、じゃあ、我々がかつて見てきた特撮、アニメが現在の作品よりはるかに優れていたかというと、そんなことはない。『ゴジラ』第1作にしたところで、人間ドラマ部分の絵作りは、旧来の日本映画に多かった単調で古色蒼然とした正面バストアップの切り返しが多く(小津安二郎かい)、特撮部分と比較した時の違和感は拭えない。バストアップは「人間」を描くには効果的だが、怪獣映画は基本的に「世界」を描くものであるから、「人間」はジャマになることがしばしばなのだ。宝田明と河内桃子と平田昭彦の三角関係は要らなかったと思う。芹沢博士が犠牲になる理由はそれがなくても成立するし。
 「怪獣映画にも人間ドラマを」というのは、オタクのくせに一般作品だのゲージュツ作品だのに対するコンプレックスがあるものだから、自分の好きな作品であるにもかかわらず、堂々と誇りを主張することのできない根性なしのタワゴトに過ぎない。怪獣映画だからと言って、人間描写が不自然であってはならないのだが、人間をドラマの中であえて機能させる必要はないのである。他のシリーズとは一線を画する第1作にすら、その「腰砕け」は見受けられるから始末に悪いのである。
 シネマスコープになってからはそのあたりの違和感は軽減したが、今度は脚本自体がどんどんおちゃらけていった。『三大怪獣』もなあ、あのラストのゴジラ・モスラ・ラドンの会話さえなけりゃあなあ(~_~;)。正直な話、ゴジラシリーズを、今まで全く怪獣モノを見たことがない普通の若い人に「見ろよ!」と勧める勇気は私にはない。恥ずかしいからではなくて、マトモな感覚の持ち主ならばあんなのがツマラナイのは当然だからである。馬鹿馬鹿しさ、つまらなさの楽しさを喜ぶ感覚(馬鹿にして楽しむのではないぞ)がなけりゃ、怪獣映画のようなイロモノ・ゲテモノを楽しめるはずがないのである。
 平成シリーズ以降は、またぞろ沢口靖子や峰岸徹や土屋嘉男や阿部寛に(この役者さんたち自体は好きなのだが)ヘボな演技をさせて、せっかくの怪獣映画をだいなしにしてくれていたが、怪獣だけでドラマを作ることができない製作者たちの力不足なのである。人間はせいぜい怪獣バトルをお膳立てする程度のただの傍観者でいいんだってば。
 こんな具体例を挙げていけばキリがないのだが、いつの時代でも珠玉の作品よりもクズの方が圧倒的に多いのは事実なので、昔の作品を若い人に見せたいと思うときには、「面白いところもあるけれど、今見ると古臭くてつまらないところは当然ある。けれど、だからといって、今見ても面白いところを無視していいことにはならない」と注意することが必要だと思うのである。その上で「妥当な評価」というものを求めたい。それが、とりさんの書いてる「『バット・グッディーズ』(=過去を全く知らない若い人たちが聞いても感銘できる曲)は確実にある」という言葉に繋がっていくことだと思うからである。
 『ゴジラ』シリーズは確かにかなり「イタイ」。けれどあの、怪獣たちが街を破壊し、全ての希望を蹂躙していく悪魔の所業とも言える行為に、我々は人間の浅墓な知恵を越えた絶対的な運命の力を見出し、喝采を送ってはいなかったか。我々はなぜ恐竜型、爬虫類型、昆虫類型の怪獣たちにより心惹かれるものを感じていたのか。植物や哺乳類より、原初的な暴力と性を体現した存在として、我々が無意識のウチに怪獣たちに「その形」を求めていたからではなかったか。怪獣映画の「見所」は決して少なくはないのである。
 だから、若い人には「古い」というだけで旧作を敬遠しないでほしいのである。『ウルトラシリーズ』が、『怪奇大作戦』が、『ゴジラ』も『ガメラ』も、みなDVDで見られる時代になっているんだから。
 だいたい、我々だって、親から聞いて「面白いぞ!」と言われた映画なんかを後追いで見て、感動してきたクチなんだから。クロサワだって、MGMミュージカルだって、親の薫陶を受けてなきゃ見ようって気にはなっていない。中村獅堂の『丹下左膳』の新作が面白かったのなら、ぜひとも大河内伝次郎の左膳や大友`柳太朗の左膳も見てほしいのである。チャップリン、キートン、マルクス兄弟は、今見たらまるで見るに堪えないか? もしそう断言する若い人がいたら、そりゃ人間として何かがケツラクしてるとしか私には思えないのである。


 連日のDVD三昧、今日は『みんなのうた』を9集まで。実はこいつも一曲ずつコメント付けてコンテンツに挙げたいと思っているのだが、いったいそんなことが可能なものなのか、見当もつかないのである。


 既に2億ドル(約215億円)の予算を注ぎ込んでいて、未だに制作開始の目途も立っていない映画『スーパーマン5』、一度は監督を引き受けた『チャーリーズエンジェル』のMcG監督が降りてしまった。ティム・バートンやら、ブレット・ラトナーやら、いずれも製作開始までこぎつけての降板ばかりだから、ムダガネがここまで膨らんだのも当然なのである。映画が公開された時はこのムダガネ分も当然のように計上されて「製作費○億ドルの超大作!」とか宣伝されるものだから(『スタートレック』第一作の時がそうでしたね)、みなさん、騙されないように(^o^)。
 McG監督が降りた理由は、予算削減のためにニューヨークでの撮影を拒否されて、オーストラリアで撮れ、と製作元のワーナー・ブラザースに命令されたからだ、と説明しているそうだが、確かにこれだけ待たされた新作スーパーマンが、お膝元のアメリカを舞台にしているのではなく「オーストラリア出張編」では、あちらのお客さんは拍子抜けだろう。日本出張編だったら完全にイロモノになるな。「製作費○億ドルのイロモノ」ってのも見てみたい気はするが。
 ワーナーは、次の監督に『アルマゲドン』のマイケル・ベイ監督や、『X‐MEN』のブライアン・シンガー監督に打診しているというウワサである。けれど、まあマトモな感覚の持ち主っつーか、リコウな監督ならば、普通、こんな自分のキャリアを下げることが分かりきってるような「ババ」は引かないものだ。逆を言えば、この期に及んでもなおコイツならババでも平気で引くだろうって思われてる監督ってのが、アチラの業界でどんな見られ方をされているのかが分かる、ということでもある。……『X‐MEN』は1も2も好きなんだけどねえ。実力が買われてアプローチされてるってわけでもなさそうなのがどうにもねえ。つか、シンガー監督が候補に挙がってるってことは、ハル・ベリーが出る出ないでモメてた『X―MEN3』はやっぱり頓挫したってことなのか?
 どうもウワサに踊らされてやたらヤキモキさせられるのは居心地が悪いのである。もういっそのこと『ジャスティス・リーグ』を実写化しちゃってよって。

2003年07月13日(日) 虚構に生きる人々/DVD『プリンセスチュチュ 雛の章』/『Go West!』1巻(矢上裕)ほか
2002年07月13日(土) 病院への長い道/『エンジェル・ハート』4巻(北条司)ほか
2001年07月13日(金) ふ、ふ、ふ、ふ○こせんせぇぇぇぇぇ!/『悪魔が来りて笛を吹く』(横溝正史・野上龍雄・影丸穣也)ほか



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