無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2003年03月15日(土) まあ、便出しゃ痩せた気にゃなれるか/映画『タキシード』/『神恭一郎事件簿2』(和田慎二)

 ここんとこ、見たい映画が随分重なっちゃってて、ちょっと調整にくたびれているのである。このトシになるとそうそうハシゴはできないが、それでも映画はできるだけ映画館でじっくりと見たい。そう思うのは、私が映画館のことを「コヤ」と呼ぶ最後の世代だろうからだろう。このへんの感覚はもう文化の問題だから、「周りのウルサイ客を気にして集中できないから、一人で自分の部屋で映画を見てる方がいい」とのたまう人とは相容れまいなあ、と言うしかないのである。
 本当は朝のうちに映画に行って、夕方にはゆっくりしてるのが私にとっては都合がいいのだが仕事で疲れ切ってるしげ、昼まで寝こいて起きてこない。生活リズムがもう全然違っちゃってるんだものなあ。ようやく2時ぐらいになって、キャナルシティに向かう。 
 映画は4時からなので、その間、福家書店、マツモトキヨシ、マクドナルドで時間を潰す。
 マツモトキヨシじゃ、しげ、ダイエット用品を血眼になって探している。痩せ様という情熱だけは買うが、本気で痩せる気なら、毎日ジョギングでもすればいいのである。運動しないで痩せようって根性自体、初めから間違ってると思うけどなあ。宿便出しただけで痩せれるものなんかね。


 映画『タキシード』。
 『キネマ旬報』に「アメリカはジャッキー・チェンを発見するのが遅過ぎた」と書かれていたけれど同感。結局、「カンフーと言えばブルース・リー」という固定化されたイメージだけでしか香港アクションを見られなかったせいで、ハリウッドは20代のころのジャッキーの才能を見抜けなかったのだ。
 もっとも、ヘタにハリウッドに渡っちゃって、適当に使い捨てられてしまってたら、ジャッキーがあれだけの作品を残せなかったかもしれない。『プロジェクトA』や『ポリス・ストーリー』が作られなかった可能性もあるのだ。そう考えると、ハリウッドの無能もジャッキーにとってはよい方に働いたと考えるべきなのかな。
 だってねえ、この『タキシード』を見て思ったことなんだけどさあ、結局、ハリウッドって、カンフーアクションに対して未だにリアリティを見出してないんじゃないかねえ。ごく普通の青年が、ハイテク満載のタキシードを身につけることによって超人に変身するって設定、つまりは「作られたもの」としてしかあのアクションを見てないんじゃないかって思えてねえ……。
 まあ、それはいくらなんでも考え過ぎだろうな、とは思うんだよ。けれど、アクションシーンが激減、あっても昔ほどのキレはない、部分的には吹替えも使ってる、それどころかCGでエフェクトかけてるところすらあるってんじゃ、往年のジャッキーアクションを知ってる身にしてみればただただ寂しくてねえ……。
 いつかジャッキーが引退する日が来るのは間違いないんだけれど、でもそれも遠くないんだなあと実感しちゃった映画でした。
 
 帰りは「金龍」でラーメン。
 しげは普通のラーメンで、私は油そば。こってりしてるので、しげは油そばを避けたのだが、でも我慢しきれなくなったのか、何も言わずにいきなり私の器から麺を一本だけつまんで食べる。この「せめて一本」って感覚がイジマシイよねえ。


 マンガ、『神恭一郎事件簿2 オレンジは血の匂い』(メディアファクトリー/MFコミックスフラッパーシリーズ・620円)。
 だいたい、既に持ってる単行本を、新編集の新装版が出たからと言って買いなおすのは馬鹿げているのである。じゃあそれほど和田慎二が好きな作家なのかというと、そうでもないんだから何をか言わんや。
 だいたいこの「神恭一郎」モノも、高校時代の女友達に奨められて読んだはいいものの、あまりにつまらなくてバカ正直にその子に真実を告げてしまい、大喧嘩をしてしまったという、私にとってはイワクつきの作品なんである(どうして私はこうおべっかを使うということができないのか)。つまんないならなぜ買うか。魔がさしたというしかないんだよねえ。さしすぎじゃん。
 第1巻の『愛と死の砂時計』同様、この『オレンジは血の匂い』も某有名ミステリのパクリ。といっても、これはもう腐るほどパクられまくってるパターンだから、もう一つのジャンルと言ってもいいのかもね(-_-;)。

2001年03月15日(木) ナニワの謎/『怪盗対名探偵 フランス・ミステリーの歴史』(松村喜雄)ほか



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