無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2003年03月13日(木) スターと役者のはざまで/『田口ランディ その「盗作=万引き」の研究』(大月隆寛編)

 「吉永小百合展 五つの扉」ってのがが11日から、日本橋三越本店で始まってて、大盛況なんだそうな。初日から一万人の来場というから、サユリスト健在なりってことか。こんな言葉もう死語かと思ってたが。
 その目玉展示ってのが、約30年前に御夫君が撮られたという、本邦初公開、吉永小百合のビキニ姿。もっとも普通のスナップなので、色っぽさとかは全くないんだが、これがそれだけ話題になるってことは、吉永小百合って「キャラクター」がどれだけイメージが固定されて来たかってことの証明みたいなものなんで、役者としては決して嬉しいこっちゃないと思う。
 なんたってねえ、『青春の門』でセックスシーンを演じた時に(でも脱いでない)、それまで80本以上の映画に出てたってのに、「演技開眼」とか言われちゃったんだから。演技者としてどうかって意見は多々あろうが、決してどヘタクソというほどじゃないんで、こりゃいくらなんでもヒデエ、と当時も思った。「キレイなだけで演技力なし」なんてイメージを持たせるに至った原因は、サユリストの狂熱ぶりに確実にあったよな、と思うんである。
 まあ、確かに少女時代の吉永小百合の代表作というと、『キューポラのある街』ばかりが挙げられて、ほかのプログラムピクチャーは軒並み評価が低い。リメイクものに出たときなんか、どうしても同じ役を演じたほかの役者と比較されちゃうので、損なのである。
 『青い山脈』の寺沢新子役、杉葉子(1949)、雪村いずみ(1957)、吉永小百合(1963)、片平なぎさ(1975)、工藤夕貴(1988)、とあるわけだが(テレビシリーズでは加賀まりこや坂口良子も演じてたらしいが私は未見。どんなんだったんでしょうね?)、これは映画自体の完成度(だいたい戦後すぐという設定でないと意味がない物語だし)もあって、杉葉子が他を圧倒している。
 も一つ、『伊豆の踊子』の薫役も並べてみると、これがまた錚々たるメンバーである。田中絹代(1932)、美空ひばり(1954)、鰐淵晴子(1960)、吉永小百合(1963)、内藤洋子(1967)、山口百恵(1974)(テレビ版は島本須美(声)、小田茜、早瀬美里、後藤真希。島本版以外は未見)。「大人に見えるけど子供」という設定を考えると、田中絹代と山口百恵がイメージに近い。大人顔と言うよりオバサン顔の美空ひばりや、「外人じゃん」の鰐淵晴子に比べれば、吉永小百合も悪くはないが、色気は全くない。吉永小百合は、後に『映画女優』の中でも「田中絹代」として薫を演じるが、これは悪い冗談だった。
 「イメージを崩したくない」「固定化したイメージを崩したい」、この相反する思いを役者は常に心に抱き、その間を揺れ動く。それは吉永小百合にもきっとあったに違いないし、だからこそ、後年になればなるほど「えっ? あの吉永小百合が?」と衆目を驚かすようないろいろな役に挑戦もしていたのだが(『夢千代日記』などはその最たるものだろう)、結局、ファンはその「新しいイメージ」をも旧来のものに取りこんで、どんな「汚れ役」であってもそれを純化させてしまうのである。
 「スターがいなくなった」と嘆く人は多いが、役者にとってはイメージの固定化された「スター」などはいない方がいいと思える場合もある(映画界の活性化という意味ではいてくれないと困る面もあるのだが)。吉永小百合は未だに「スター」だ。けれど、彼女が「なりたい(今でも、という意味である)」のは、スターなのか役者なのか。


 夜、突然父から電話があり、ホワイトデーのお返しをしたいとのこと。
 そう言えば、しげは父にもチョコをあげてたんだった。糖尿なんで小さめにしたとは言ってたけど。
 一緒に食事をしたそうな口ぶりではあったが、肝心のしげがもう、仕事に出かけていていない。仕方がないので、贈り物だけ持ってくるとのこと。
 「そう言や、昨日、しげさんの店に行ったとぜ」
 「姉ちゃんと? どけんやった?」
 「うん。忙しそうに働いとった」
 「なんか話した?」
 「仕事しよるモンに話しかけたりはせんが。よう動きよったし、よかったやないか」
 「……まあね〜、ああなるまでには時間がかかったしね〜」
 実際、結婚当初は本気で全く働かない、ただ食って寝るだけの文字通りのゴクツブシだったので、それを考えると隔世の感があるのである。それでもまだ全然人並になったとは言えないのだが、他人の1年を3年かけて成長するやつだから、これからもあいつが大人になっていくのを気長に待つしかないのである。
 でも、考えたくないことだけど、しげの成長、もうこのへんで止まってるって可能性もあるんだよねえ(-_-;)。

 晩飯はカネがないので、目玉焼きのみ。これでも醤油とマヨネーズをかけて混ぜて食うと美味い。なんとか腹が朽ちたところに、父が姉と自転車に乗って、プレゼントを持ってやってきた。
 食事を一緒に誘われたが、今、食ったばかりである。……しまった、高いメシたかれるチャンスだったのに(-_-;)。……って、不況で財政の苦しいオヤジに四十ヅラ下げてたかろうって根性がさもしいのである。反省しろよ。
 突然、父が、ポケットから何か平べったいものを差し出したので、「何?」と聞いたのだが、予想もしてなかったことを父は言った。
 「お母さんの通帳が出て来たったい。おまえの名義になっとるけん、引き出して使え。ばってん、ちょっとしか入っとらんけんな」
 そのとき私がどんな表情をしたのか、当然、自分には見えないのだからわからないのだが、多分、いつも以上に無表情になってしまったのではないか。本気でビックリすると、感情自体がホワイトアウトしてしまうのである。
 父と姉は用事が済んだらサッサと帰って行ったが、取り残された私はしばし呆然自失の状態が続いた。
 通帳の日付を見ると、平成6年。母が死ぬ1年前である。金額は2万円。
 母ははまだ60の坂を越えたばかりだったし、体調こそ悪かったが、すぐに死ぬものとも思ってはいなかっただろう。1年に2万円ずつ溜めて行って、5年か10年経ったら、ちょっとした旅行でもしげとさせよう、くらいのことを考えていたのではないか。そう思えるのは、母が死ぬ直前に行った沖縄旅行の金10万円を、私が出しているからである。
 母が死んで8年になる。最後に小遣いを貰ったのがいつだったか、もう覚えちゃいないが、もし母がまだ生きていて、本だの映画だのDVDだのと散財している今の私の様子を見たら、「余計な世話をするんじゃなかった」と自分のためにさっさと使っちゃってたかもしれない。
 そうしてくれてたほうがよかったのにな。


 大月隆寛編『田口ランディ その「盗作=万引き」の研究』(鹿砦社・1680円)。
 内容よりもその分厚さにちょっと驚嘆。っつーか、引いちゃったんだけどね。
 田口ランディは『コンセント』しか読んでないし、確か庵野秀明と対談してたときは一方的に自分の感情をぶつけてたなあ、という印象しかない。だもんで盗作がどうの人格がどうのということは特に感じちゃいなかったのだが(『コンセント』は理屈っぽいポルノだと思っている)、まあこの本、実に詳細に田口ランディの剽窃癖を暴き立てている。
 そのなかには「こりゃ確かにマズいよなあ」ってものから「どこがどうマネ?」と首を捻ってしまうものまで、随分細かいところまで追求しているのだが、どっちかと言うと、田口ランディを蛇蝎のごとく憎む筆者たちのエネルギーがどこから来るのかなあ、ということの方が気になっちゃうのね。いや、盗作がイカンというのを批判するのはいいんだけど、なぜここまで粘着質的に絡みつづけなきゃならないのかって考えるとどうにもその理由がサッパリわかんないのよ。編者の大月さん、「深い理由はない」「けったくそ悪いだけ」と言い放ってるけれど、その程度のことでわざわざネット仲間に声をかけて、一冊の本まで作るものなのかね?
 やっぱり動機は「嫉妬」なんだろうな、と思う。大月さんはやたら「ブンガク」に拘っている。田口ランディの小説、冷静に読んで見れば傑作とは言わないがまあ、普通の出来ではある。けれど「あの程度で作家になれるのかよ」と一旦、思いこんでしまうと、心の内に生じたジェラシーの炎をどうにも抑えきれなくなっちゃうんだろうなあ。
 でも、大月さんの目的が「田口ランディを潰す」ことにあるのなら、それはちょいと難しいと思う。本文中、栗原裕一郎さんが記事にしているが、昔ならいざ知らず、今や「盗作」は作家生命を脅かすほどのスキャンダルではなくなっているのである。むしろ、「無意識でやった」と謝罪して改訂すれば、それが宣伝になってまた本が売れる。
 こういう批判本を出すことが、ますます田口さんの作家生命を永らえさせることになると思うんだが、大月さん、そこまで考えてるのかね。

2002年03月13日(水) 「かろのうろん」ってわかる?/『博多学』(岩中祥史)ほか……“NEW”!
2001年03月13日(火) 少女しか愛せない/『NOVEL21 少女の空間』(小林泰三ほか)ほか



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