無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2003年03月03日(月) 東京始末&ニュースの森(^^)/舞台『奇跡の人』

 3月2日の日記の続き。

 シアターコクーン、初日だけあって、大混雑、花輪の類も目新しい。
 まずはパンフレットを買って、パラパラとめくる。大竹しのぶの公演記録が載っているのを見て、こうたろう君が、「あれ? 大竹しのぶ、ヘレン・ケラー演じたことなかったっけ?」と首を捻る。
 実は大竹しのぶ、『奇跡の人』でヘレンを演じたことはない。『ガラスの仮面』での劇中劇でヘレンを演じているのだ。でも、デビュー当時の『青春の門』や『事件』のころの大竹しのぶの演じるヘレンを見てみたかったなあ、と真剣に思う。それはパティ・デュークを越えていた可能性があるのだから。
 座席に着くなり、こうたろう君、「さあ、オレの鈴木杏はがんばってるかな」とかなんとか、世迷言をほざく。いったいいつから私の鈴木杏がこうたろう君のモノになったというのか。勘違いも甚だしいのである。

 舞台『奇跡の人』。
 『ガラスの仮面』で有名な、って言ったら、20年前なら「ふざけんな」と演劇関係者からドヤしつけられても仕方がなかったんだけれど、今やそっちのほうが通りがよくなってないかな。
 でもやっぱり私は「三重苦から立ち直ったヘレン・ケラーと、その先生のサリバンさんの実話だよ」と、フツーの説明がしたい。何たって、私が子供のころ、ヘレン・ケラーはまだ生きてたんだから。歴史上の人ではなく、今を生きる偉人だったのである。
 これは、そのヘレン・ケラーがサリバン先生との「戦い」の末に「言葉」を手に入れるまでを描いたウィリアム・ギブソン作の戯曲であり、アーサー・ペン監督によって、舞台化・映画化もされた文句なしの傑作である。
 舞台・映画の両方で主演・助演したサリバン先生役のアン・バンクロフトと、ヘレン役のパティ・デュークは揃ってアカデミー賞を受賞した。
 これだけの名作だと、そんじょそこらの役者ではとても勤まるものではない。冗談ではなく、サリバン先生とヘレンの戦いは真剣勝負となる。これまでサリバン先生はずっと大竹しのぶが演じていたが、ヘレンの役はその都度変わっている。1986年・安孫子里香、1987年・荻野目慶子、1992年・中嶋朋子、1998年・寺島しのぶ、2000年・菅野美穂、そして今回の鈴木杏である。
 これまでの『奇跡の人』は一本も見ていない。ずっと福岡にいたんだから仕方ないのだが、記録を見ると、98年版は福岡にも来てたのである(気がつかんかったなあ)。
 評判を聞く限り、大竹しのぶのサリバン先生は絶賛の嵐であった。「ともかく一度は生で見ねば」。これはここ10年ほどの私の強い思いであったが、菅野美穂の時には上京する気が今一つ起きなかった。菅野美穂がいい役者だということは分る。けれど、ああいう「入り込む」タイプの役者がどういう演技をするかはだいたい見当がつくのだ。大竹しのぶも「入りこむ」タイプではあるが、あの人はそれでいて自分を突き放して見ているところがある。「入りこむ」人は、そこで満足して、それ以上の輝きを見せられぬままに終わることも多い。「自分が観客の眼にどう映るか」。それが計算できないといけないのだ。それを捉えることが鈴木杏にはできるのではないか、『六番目の小夜子』『ジュブナイル』『リターナー』の鈴木杏になら。そう直観したのである。

 結論を言えば、私は大竹しのぶにはもちろんのこと、鈴木杏にも充分以上に満足した。ヘレンを演じる上で、何が一番重要か。三重苦の彼女が傍若無人に振舞うための武器は、嗅覚、触覚、そして「慣れ」である。
 鈴木杏は、ちゃんと、人形にはそれを突きつけられるまで反応せず、食料には鼻を突き上げて反応した。部屋の中を移動するときには、テーブルの縁を腰で辿りながら自然に動いた。広いところに出ればしゃがんで床を頼りにした。三重苦だからといって、そこはもう何年も住みなれた我が家なのである。不必要に手探りをするとかえって不自然になる。ヘレンは「自分がどう動くか」を知っていなければおかしいのだ。
 演出の舞台配置が凄い。回り舞台に、中空の二階。目明きでも、いや、目明きならばこそ、膝ほどの手すりしかない高い場所で演技をするのは足が震え体が泳いでもおかしくないのに、鈴木杏は自然に、しかも大胆に飛び撥ねる。もちろんそんなことは、装置を「信頼」していなければできることではない。鈴木杏は、舞台と装置もまた自らの相手とすべき演技者であることをちゃんと知っていて、見事に自分との間に一つのコードを作りあげたのだ。絶賛されてしかるべきだろう。
 大竹しのぶについては言葉を尽くせない。
 外国の戯曲が日本化された場合、どうしても違和感が生じるものだが、どう見ても生粋の日本人にしか見えない大竹しのぶがなぜアニー・サリバンに見えてしまうのか。その一挙手、一投足が、観客を弾きつけるワザとして作用し、ムダがない。私にとっては、『屋根の上のバイオリン弾き』の森繁久彌のテヴィエ以来の感動であった。

 ほかの役者さんについても触れておかねばね。
 辻萬長(アーサー・ケラー)。ただ頑迷なだけではない父親としての威厳を好演。ヘレンとサリバンを引き裂こうとする張本人だから、ヘタな役者が演じると「憎まれ役」になってしまうのだが、彼は絶対憎まれてはならないのである。
 しかし辻さん、太ったなあ(^o^)。
 キムラ緑子(ケート・ケラー)。これも決して嫌われてはいけないのだが、そこがやや弱い。「サリバン先生にヘレンを預けるのが正しいとは限らない」と思わせるくらいに自らを律する冷静さをも表現してほしかった。
 松金よね子(エヴ伯母)。井上ひさしが、パンフの解説でこのキャラクターがステロタイプ過ぎるのが欠点、と言っているが、そんなことはない。アーサーとケートの夫婦の人間としての深みを表すためには、こういう底の浅い人間が対照的に必要となるのだ。底の浅い人間にはその辺がよくわかんないんだよな(^o^)。松金さんのヒステリックな声は役にぴったり。
 吉田鋼太郎(アナグノス校長)。サリバン先生の師であるから、普通レベルの人間ではいけない。ご本人はパンフで「ヤンキーっぽく演技した」と語られているが、演技の質は浅草軽演劇に近い。鼻を啜るクセとか、こういうのをセリフの間に使うの、森繁久彌とかのお得意芸だし。悪くはないが、もう少し年上の人の方がよかったんじゃないかと思う。イメージは名古屋章かな。
 長塚圭史(ジェイムズ・ケラー)。まあ、これはバカでいい役だから(^o^)。
 お父さんの長塚京三さんが見に来られていて、幕間にロビーですれ違ったのだが、すごく険しい顔をされていた。息子さんの演技にもしかしたら腹を立てていたのかも。
 それにしても京三さんは背が高い。異相でもある。黒いマントを身に纏い(ホントに全身黒づくめだったのだ)、悠然と闊歩する姿を見ていると、まるでメフィストフェレスのようだ。この人の迫力をドラマや映画は全然生かしてこなかったのだな、ということが、ご本人を目の当たりにしてよーっく、わかった。意外に『魔界転生』の宮本武蔵役、合うかもしれない。

 終了は10時。3時間とちょっとだが、その間全く退屈しなかった。
 昨日今日と、全く毛色の違う芝居を二日連続で見て、どちらにも大満足というのは滅多にあることではない。ああ、東京に来てよかった! どっちの芝居も福岡で公演してくれたらもっとよかったのだが。
 見終わったあと、私もこうたろう君も「ええもん見させてもろうたわ」という顔でホンワカしていたのだが、しげは今一つ、という感触である。
 悪いとは思わないが、鈴木杏の動きが自然過ぎるのが気に入らないらしい。
 「階段から転げるときはホントに怪我するくらいじゃないと」
 ……って、それじゃ、次の公演できなくなるじゃん(^_^;)。

 外に出て、近くのレストランで、遅目の夕食。
 イタリアンっぽい店で、スバゲティやらハンバーグやらをゴタ混ぜに乗せたサービス定食みたいなのが美味そうだったので、それを注文したら、しげが「自分もそれを頼みたかったのに」という顔をする。頼めばいいじゃん(^_^;)。
 食事をしながら、ひとしきり『奇跡の人』を誉めあったあと、こうたろう君ともお別れ。
 別れしなにこうたろう君、しげに向かって、「こいつ(私である)さあ、今日は大人しかったけど、こないだ来たときはあぐにさんやあやめさんにお触りしまくってたんだよ」と、ありもしないデタラメを言う。
 しげの目が、途端に三倍くらいに見開かれたので、慌ててこうたろう君に向かって、「ウソつくなよ! こいつ(しげである)、どんなウソでも信じるんだから!」と怒鳴る。
 しげも、サラリと「私をだますの簡単ですよ。エロの冒険者さんの『銀河パトロールのジョンさん』も実在してるって信じてましたから」と笑って言うが、それ、全然威張れないって(-_-;)。
 こうたろう君、「オレもカミさんからいつも言われてるんだよ。『どうしてそんなにウソばかりつくの?』って」。そりゃあ、舌から先に生まれてきたからだろう……と言ったらまたしげは信じるにちがいない(^o^)。

 ホテルに戻って、風呂に入って寝る。
 しげも疲れていたから、ウトウトする間もなくストン、と寝たようだ。「枕が変わって寝れん」と言って、いつも泣いてるしげにしては珍しい。旅行先では適度に疲れるのがやはりいいようだ。



 ここから3月3日の日記。

 そう言や、今日って雛祭りだな、全く意識になかったが。
 飛行機の時間を考えて、5時に起床、6時にホテルをチェックアウト、の予定だったが、準備に手間がかかって6時半に出る。しげがまたいつものごとく焦って「間に合うかな、間に合うかな」を連発するが、これでも時間的には充分なんである。だからどうして8時半出発の便に、6時半に渋谷を出て間に合わないと考えるかな。
 夕べ寝たのが12時くらいだから、5時間くらいしか寝ていない。
 飛行機の中では行き同様、爆睡。機内ラジオの落語もクラシックも聞かず、『ちびまる子ちゃん』も見ず。昔はこれが旅の醍醐味の一つに感じてたんだがなあ。
 福岡に着くと、今度はこちらが雨。急に冷えこんできて、飛行機から降りるなり、慌ててトイレに走る。ところが、ロビーから出口のトイレまでの距離がひたすら長い。走って走って走って、やっとトイレに飛びこむ。軽く200メートルはあったのではないか。
 しげを置いてけぼりにした格好になったので、追いついてきた時の恨みがましい顔といったら。けれど、狭いトイレにゃ兄弟も夫婦もないのである。
 バスを待っても時間がかかりそうだったので、タクシーで帰宅。ゆっくり旅の疲れを癒したいところだが、しっかり午後から仕事なのである。
 やっぱり東京に行くなら、三連休とか、そういうときじゃないと、ごっつしんどいですわいなあ(疲れて言葉もオカシクなっているのである)。


 お出かけしてたんで、その間にありゃりゃと言いたくなるようなニュースがいくつか。
 まずは、2月28日に東京地裁で判決がおりた「ウルトラマン」訴訟について。
 円谷プロが、タイの映画制作会社チャイヨープロの会長、サンゲンチャイ・ソンポテ氏を相手取って、著作権の確認などを求めたんだけれど、「著作権は円谷プロに帰属する」と認定しておきながら、27年前に当時の円谷プロの先代社長(皐さんだよ……)とソンポテさんが結んだライセンス契約は有効だってことで、「日本国外ではソンポテさんに独占利用権がある」って判決をしたんだって。それって、著作権の意味がないじゃん(-_-;)。
 ああ、当時の様子が眼に見えるようだよなあ。
 胡散臭いタイ人の(きっと顔は黒く塗っているのだ)シャチョーさんが「たいデーハ、うるとらまん、大人気デース。映画一本、作ッテ、たいノ子供タチニ、見セテアゲテクダサーイ」なんてアヤシイ日本語で喋りかけるとさ、皐さんがニコニコ嬉しそうに「タイの子供たちのために作りましょう」なんて言っちゃうんだよ。
 「映画、うるとらまんダケデハサビシイデース。たいニハ、はぬまあんイウまんがカ……ジャナクテ、スクイノひーろーイマース。映画ニはぬまあん出シテクダサーイ」
 「いいですよいいですよ」
 「はぬまあんノ人形、子供タチノタメニ作ッテ売ッテアゲタイ、オモイマース。ケレド、はぬまあんダケデハサビシイデース。うるとらまんノ人形モ、イッショニ売リタイデース。イイデスカ?」
 「いいですよいいですよ」
 「たいノ子供タチ、ミンナビンボーデース。つぶらやサンニオカネハラッタラ、人形ノネダン、タカクシナイトイケマセーン。子供タチノタメニ、オカネトラナイデクダサーイ」
 「いいですよいいですよ」
 「デハココノトコロニさいんシテクダサーイ。コマカイトコロ、目ガワルクナルカラ、読ンジャイケマセーン」
 「いいですよいいですよ」
 とかこんな感じだったに違いないのだ。おのれタイ人。山田長政の恨みをまだ忘れてなかったか。
 それにしても円谷さんとこって最近トラブルが多いよなあ。ウルトラシリーズ以外の財産が殆どないとこだから、今度の判決は相当痛いに違いない。裁判官何考えてるんだ。お前だってウルトラシリーズ見て育って来たんだろう。あれのどこにタイ人の権利が生じるってんだ。詐欺を見逃して、それで法律家と言えるか。円谷を潰したいのか、こんちくしょう。
 ……と私が怒ったってどうにもなんないのである。今度の映画が終わったら、円谷さんとこ、どうなっちゃうんだろう。次の企画、ちゃんと立ってるんだろうか。


 これも随分、旧聞に属する話であるが、私は今知ったんだから仕方がない。
 しりあがり寿原作・庵野秀明監督の短編映画(実写だ)『流星課長』が、1月31日から2月8日までの9日間にわたって行われたフランスの「クレモン-フェラン短編映画祭」で、デジタルワーク部門のCANAL+AWARDを受賞したというニュースである。
 私もこういう映画祭があるってこと自体、初耳だったのだが、この映画祭、決してレベルの低いモノではなさそうである。世界60ヶ国以上から1500本以上の作品が参加しているとのことだから、庵野監督、充分誇ってよいのではないか。
 けど私、見たい見たいと思ってたのに未だに見られないのよ、『流星課長』。いつどこで上映してたんだ。公民館でも回ってたのか。
 その前の『式日』も東京と山口でしかやらなかったから見てないんだよねえ。あと確か、自衛隊の戦闘機かなんかのドキュメンタリーの監修みたいなことも庵野監督はやってたと思うんだけど、そういうのも殆ど世間じゃ知られてないよなあ。
 庵野さん、『エヴァ』以降は、自分の仕事が世間に露出するのをあえて制限してるような感じがするんだが、さて、いったいどういう意図でやってんだろうか。
 『エヴァ』のころはあれだけテレビアニメに拘ってたのが、『カレカノ』で途中リタイアして以降は、急にマイナー路線に行っちゃったのは、結局、どんなヒット作を作ろうと、アニメや特撮を認めない人間は決してその考えを改めない、という悲しい現実に嫌気がさしちゃったんじゃないかという気もする。
 実際、新聞やテレビ、雑誌などのメディアは、もう「今の」庵野監督の動向になんか全く目を向けてないんじゃなかろうか。ネットをあっちゃこっちゃ散策したからこそこういうニュースもなんとか入手できるんだが、新聞読んでるだけじゃあ、多分、こんなこと知らないままで終わってたろう。もう新聞なんか一次資料としての価値は10年前、20年前に比べて、著しく低下してるんである。
 新聞もテレビも、自分たちがメディアの王様みたいな顔してると、自らのプライドのせいで潰れることになっちゃうかもよ。


 更にも一つ、こっちはいかにも眉唾なニュース。
 『ルパン三世』のハリウッドでの実写映画化権を、『シンドラーのリスト』のプロデューサー、ジェラルド・R・モレン氏が取得して、「米国でヒット作にする」と意気込んでいるんだとさ。
 確か、何年か前にも、ジム・キャリーが主演するとかいうウワサがなかったか? 「映画化権取得」だけじゃ、実際の映画になるとは限らないって事実を、悲しいかな我々は何度となく見聞きしてきているのである。
 こういう「先走り」情報がリークされるマンガ家ってのにはある種の傾向がある。言っちゃなんだけど、「かつて大ヒットマンガを生み、今はその遺産だけで食ってる」人たちね。松本零士とか永井豪とか。作品を描いてないわけじゃないけど、とても「作品」と言えるようなものは生み出せなくなっている。かつては熱心なファンだっただけに、その敗残ぶりがもう悲しくってねえ。
 仮に本当に『ルパン』が実写化されるとして、それを喜ぶファンがどれだけいるんだろうねえ。だいたいハリウッドで映画化って、ルパンは何人になるんだ? わざわざフランスの役者を連れて来るのか? 次元や銭形、不二子はアメリカ人に変えられるのか? さすがに五右衛門を外人に変えるのはムリとしても、英語は喋らせられるんだろう。となると演じるのは誰になるんだよ、ショー・コスギかケイン・コスギかソニー・チバか藤岡弘か。『ラスト・サムライ』がヒットしたら真田広之ってセンもあるよな。
 で、面白くできるのかよ。原作者が喜んでるらしいのがねえ、どうにもねえ、逆にプロデューサーとか名乗ってるやつから何やかやと搾取されちゃうんじゃないかって気がして仕方がないんだけどねえ。いや、このモーレンさん、一応『シンドラー』や『マイノリティ・レポート』なんかのプロデューサーだってことは事実なんで、あまり疑っちゃ悪いんだけれど、日本人はジェフ・シーガルって山師にまんまと騙された過去があるからねえ(^_^;)。
 ま、話半分に聞いとくのが無難じゃないかね。


 最後に「なんだかなあ」なニュース。
 復縁を拒んだ女性を、「セーラー服姿で駅に来い」などと言って脅した容疑で、奈良県警は1日、大阪市の無職、水野勝正容疑者(24)を逮捕。
 記事を読んでもどうもよく経緯がわからないんだが、この男、去年の夏ごろからつきあってた22歳の女性から別れ話を切り出されて逆上し、先月の2月25日に「オレと別れるんなら家に火をつけるぞ、それがイヤなら、明日の朝、セーラー服を着て三郷駅に来い」と電話して、26日にその女性を無理やり呼び出したんですって。まあ怖い(いろんな意味で)。
 もちろん女性はセーラー服を着ていったのである。
 学生時代の着て行ったのか? よく持ってたよなあ。
 いや、そうではなくて。
 22歳でセーラー服って、回りからヘンな目で見られて恥ずかしかったろうなあ。それともまだまだ充分女学生に見えるタイプだったんだろうか。
 いや、そういう問題ではなくて。
 じゃあ、どういう問題かと問われると全く困っちゃうんだが、この男がどういう意図で女性にセーラー服を強要したのか、その真実は本人に聞かない限りわからんことなんだが、でもやっぱり世間は圧倒的に、その目的からこいつの精神的背景に至るまで、勝手に「こうだろうな」と想像すると思うんである。そんなふうに思われてもよかったのかよ犯人。
 というか、やっぱりそれがアタリなんだろうなあ。
 もう、捕まったあとの恥なんて考えてないのである。ともかく男の心にはセーラー服しかないのである。ブレザーでも看護婦の白衣でもスッチャデスの制服でも靖国神社のあたりをよく通りがかっている九段幼稚園の女の子の制服でもダメなんである。そういうシュミがもう、天下に余すところなく晒されちゃったのである。
 ……既にもう罰を受けているよなあ。
 いや、別に赦してあげなよって言いたいわけじゃないんですが、ここしばらくで一番「人生って悲しいね」と思わされた事件でありました。

2002年03月03日(日) ぼくらの7時間戦争/ドラマ『シャドウ商会変奇郎』/『真・無責任艦長タイラー外伝 LOVE&WAR』1巻(吉岡平・森小太郎)ほか
2001年03月03日(土) オトナの会話/アニメ『サウスパーク・CHINPOKOMON』



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藤原敬之(ふじわら・けいし)