無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2003年03月01日(土) パニック・イン・トキオまたはJ○A金返せ凸(`0´)凸/舞台『愛とバカユージ』

 雨こそ降っていないが、朝からどんよりである。うう、今日はいよいよ東京行きの当日だってのになあ。
 私もしげも、雨男・雨女とまでは言わないが、旅行中に雨に降られることは結構ある。私は土砂降りででもない限り、雨降り自体はそんなに気にならないのだが、ともかくしげが傘を差したがらないのが困るのである。雨で体が濡れるより、傘を差すほうが面倒臭くってイヤだと言うのだが、そこまでせっかちなのも周囲に気を遣わせるばかりだし、やめてもらいたいんだがなあ。

 曇天を眺めながら、ふと、もう30年も昔のイヤな記憶を思い出してしまう。
 小学校の修学旅行のバスの中、やはりそのときも雨に降られていた。篠突く雨、というほどではないが、外を出歩くのにはやはり躊躇せざるをえない程度の降りだ。何気なく、「ぼく、外に出るとよく雨に降られるんだ」と呟いた。
 途端に、前の席にいた友達が「こいつ、雨男だ!」と叫んだ。全員ではないが、結構な数のクラスメートが、私の方を振り向いた。その目はみな、私への非難の色に満ちていた。
 まあ、私もクラスの中であまり好かれていた方だとは言えない。昔からリクツっぽく、歯に衣着せぬモノイイをする方だったので、「でしゃばり」と見られていたのは確かだからだ。
 しかし、私がそのとき驚く、というより呆然としてしまったのは、雨天のためにいくら不自由を強いられているとは言え、その憤懣を「雨男」などという非科学的な迷信に帰結させて誰かに責任を取らせたがった、その心理にである。私に対して「ナマイキなヤツ」という印象を持っていたとしても、そんなくだらない、明らかに偏見としか言えない理由で人を憎める、というのが私には信じられなかったのだ。
 そのときの私はどう反応すればよいか分らず、ただ俯くしかなかったが、「雨男だ!」と叫んだ友達も私が悔しがってるとでも判断したのだろう、それ以上はからかうことをしなかった。
 オトナになって、人には自らを慰めるための「偏見」もまた必要なのだなあ、と思うに至って、あのときのクラスメートたちの理不尽な視線も許せるようになった。まあ、怒ってたわけではないから。
 それ以来、ずっと許し続けてる気がする。

 「私は天気を自由に操れるんですよ」と称する人と知り合いになったことがある。
 「明日の天気を自由にできるって言うんですか?」
 「できますよ」
 「それは何かこう……念力とかで?」
 「ええ。信じないんですか?」
 「いえ、信じる信じないではなくて、どうしたらそういうことができるかなあって……」
 「やっぱり信じてないんですね。そんなことはありえないって頭から否定するんですね」
 「……ああ、泣かないで下さい。凡人にはなかなかそういうことは信……ピンとこないものですから」
 「じゃあ、信じてくれるんですか?」
 「明日、ちょっと遠方に出る用事があるんですが、晴れにできますか?」
 「『できますか』って……やっぱり信じてないいい!」
 「ああ、信じます信じます。明日、晴れにしてください」
 もちろん、次の日は雨であった。一応、その人を信じることにして傘を持っていかなかった私は、ぐっしょり濡れネズミになった。
 そしてさらに翌日。
 「昨日はどうでした? 雨は降らなかったでしょう」
 「ええ、降りませんでした。ありがとうございます」
 直前まで、正直に「思いっきり濡れちゃいましたよ」と言おうかどうか迷ったのだが、その人の顔を見たら、何も言えなくなった。

 なんだか、雨に関してロマンチックな思い出がないなあ。


 午前中は大仕事。12時には終わる予定が、長引いて1時を回っても全然片付く気配がない。
 飛行機の出発時刻は2時半なので、このままでは乗り遅れてしまう。気ばかり焦るが、焦ったところでどうにかなるものではない。ようやく仕事にひと区切りをつけて、職場を出たのが1時半。外はやはり雨になっていた。
 バスを使っていては、到底空港に間に合う時間ではない。しげは空港でいい加減、痺れを切らせているはずである。
 携帯の電源を入れて、着信記録を見てみると、やはり3度ほどしげから連絡が入っている。怒ってるだろうなあ、と思いつつも、連絡を入れないわけにはいかない。しげの携帯番号を震える手で押す。
 「ああ、しげ? やっと仕事終わったから」
 「……ああ」
 しげの声、心なしか元気がない。でもなぜか怒っている様子でもない。
 「今からタクシーすっ飛ばすから」
 「ああ」
 「大丈夫だよ、間に合うよ。駆け込みにはなると思うけど」
 「ああ」
 ……確かに反応がおかしい。気が抜けているというか、上の空と言うか、そんな感じだ。しかし、今は疑問に頭を捻っているヒマはない。とにもかくにも、ただひたすら空港を目指すしかないのだ。

 拾ったタクシーの運ちゃんが、私の「急いでください」の越えにお気楽に「(1時)40分には着きますよ」と答える。「えっ? 40分もかかるんですか?」と聞き間違う私。「いえ、10分くらいで着きますよ」と言って運ちゃんは時計を指差す。私も相当焦っているのである。
 ぴったり40分には着かなかったが、45分過ぎには福岡空港に到着。港内に駆けこむと、丁度そこにしげがいた。
 息せき切りながら側に駆け寄って、声をかける。
 「搭乗手続きはした?」
 うなづくしげ。
 「じゃあ、急いで行こうか。もう乗りこまんといかんやろ」
 「まだ乗れんよ」
 ようやくしげの表情がヘンなのに気がついた。いつもヘンな顔だが、それがどうももっとヘンなのだ。
 「出発が遅れてるの? 雨のせいか?」
 「違うと。コンピューターのシステムエラーで、全然飛行機が飛んどらんと」
 「はああああ?」
 「あんたに連絡しても全然繋がらんし、帰ろうかと思ったけど……」
 そう言って、しげは、ごそごそとチケットを取りだした。
 「予約しとったのは4時過ぎにならんと飛ばんのよ、だけん、一つ前の便に切り替えてもらった」
 その「一つ前の便」も、本当は12時40分に出発の予定が、2時40分に遅れているとのことである。しかし、決して今日の芝居の公演に間に合わない時間ではない。4時なら絶望的だが。
 多分、慌てて前の便に切りかえた客もほかにたくさんいたと思われる。殆どの便が飛んでないとすれば、そうそう座席に余裕があったとも思えない。飛行機が欠航、と聞いた時点でしげ、すばやく席を確保したのだ。
 これが普通の人間なら、「おお、よくやったじゃん」のヒトコトですむところである。しかし、ここで機転を働かしたのは、あのしげなのである。血の巡りが人より五倍は遅い、しげなのである。結婚以来、いや、出会ったその日から数えても、ここまで臨機応変に対応できたことなど一度もない。なんという奇跡か。私の脳裏にいきなり「花のワルツ」が響き渡った。
 思わずしげを抱きかかえて、空港ロビーでフラメンコを踊りたい気分になったが、体力がないのでやめる。目線だけはしげに熱く熱く送っといたから、多分私の喜びに気がついてくれたことであろう。
 
 搭乗手続きを済ませて、発着ロビーに移動。大荷物をそのまま持ちこもうとする私を見て、「手荷物四つも持ちこめないんだよ」としげが心配するが、無視。荷物を全部預けてたら、到着口でやたら待たされるのは経験済みである。第一、空港の係官も実際には3、4個の手荷物を持ってても文句はつけないのだ。
 昼食を食べてなかったので売店を覗くが、これと言って食べられそうなものがない。サンドイッチ一つないのだ。仕方なく、フグのカマボコを買って、お茶で飲む。しげにも食うかと奨めるがクビを横に振る。とても落ちついていられないらしい。「もう間に合わんよ」とボソリと呟く。
 「間に合うよ。オレ、こういうときの運は強いから」と慰めるように言うが、しげ、「ナニ根拠のないこと言ってやがんだこのクソオヤジ」といった目で私をギロリと睨む。どうも気休めが通じる心境ではないらしい。
 離陸予定の2時40分を過ぎても、搭乗カウンターは閉鎖されたまま。「搭乗予定の飛行機が到着」とだけアナウンスが流れたが、今、飛行機が着いたばかりなら、点検でまだまだ時間がかかるはずだ。
 スチュワーデスが無線を片手に行ったり来たりしてるが、聞こえる声は「まだ準備中」とか「お子さま連れだけ先に」とか、希望に繋がるものではない。しげの顔がますます暗くなる。
 ようやく搭乗できたのが3時。機内アナウンスで機長が「1時間10分で東京に参ります」と、いつもより猛スピードで飛ぶことをアピール。「遅れてすいません、許してえな許してえな」ってことが言いたいんだろうが、必ずしも低姿勢に聞こえないのは日頃空飛んでて人間を低く見てるのに慣れてるせいか。そんなアホなことを考えてしまうのも、私の心が疲れているせいであろう。いつもは飛行機に乗ると必ず機内放送で落語を楽しむ私も、今日は音楽ひとつ聞く気になれなかった。
 しげは席に着くなり、着かれきった顔で寝息を立て始めた。夕べも仕事で、多分まる一日くらい寝てないはずである。
 芝居を見終わったら、ホテルでぐっすり眠れるから、今はゆっくり寝てなさい。……と言いつつ、私も寝る。おかげで二人とも、機内サービスのジュースを飲み損ねたのであった。

 羽田到着、4時20分。ホントに1時間10分ほどで着いた計算になる。がんばったな機長。翼がやたら軋んでて、空中分解するんじゃないかと、ちょっと怖かったが。
 しげ、着陸の案内に目覚めて、「寝とった……」と呟く。目をつぶって、そして目を開けたらもう福岡から東京に移動してしまっていたような感覚か。
 しげが相当腹をすかしていたので、まずは空港のレストランで食事でも、と誘う。定食が1500円くらいするが、東京のしかも空港内ならこんなものだろう。
 しげは食事中もまだ、芝居の時間を気にしているようだったが、自嘲するような口調で「どうせ最前列はもう無理だろうから、ゆっくり行くんでいいよ」とちょっと泣き顔でブツブツ言っている。でも、モノレールから山の手線への連絡時間を計算に入れても、芝居のあるラフォーレ原宿まで、1時間もかかりはしないだろう。しげはいつでも悲観主義過ぎるのである。
 と考えた私は楽観主義に過ぎたかもしれない。
 モノレールに問題はなかった。浜松町から山手線に乗り換えて、ひと駅先の田町まで来たところで、突然、電車が動かなくなった。
 「人身事故がありまして、山の手線はただいま復旧の目途が立っておりません」
 思わずしげを見た。固まっている。トンカチで叩いたらそのままバラバラになつて崩れ落ちそうだ。
 ああ、こうも悪い偶然が重なることってあるのだろうか。金田一か。
 書いてる私自身、これをドラマにしたら絶対「リアリティがない」って突っ込まれるよなあ、と思うが、これは全て実話なのである。
 何があったのかよく分らないイラン人だかインド人だかって感じの外人が喋りかけてくる。そんなもんを相手にしている余裕はない。首を横に振って無視すると、この外人、「ケッ、こいつ、英語もわからねえかよ」みたいな軽蔑のまなざしを向けてくる。そいつの後ろ頭をちょうど手に持っていたチェーンソーで輪切りにしてやりたくなったが、グッと我慢。今はともかく、少しでも先に進むことのほうが先決だ。
 ちょうどやってきた京浜東北線に乗り換えて、大井町まで。そこから更にりんかい線に乗り換えて、大崎まで。そこでもう一度山の手線に乗り換えたところで、ようやく山の手線が復旧。
 結局、ふた駅ほど遠回りしてもとに戻っただけのようだが、これでもただ待っているよりは5、6分は先に着けるはずである。今はその、5、6分が惜しい。時計はもう、6時を回っているのである。

 ラフォーレ原宿に辿りついたのは開場の6時半ちょうど。傘をカバンの中から出すヒマもなかったので、駅からラフォーレの間の100メートルほど、二人ともずぶ濡れになる。なあに、どうせ会場に集まったお客さんの熱気で、こんなのはすぐ乾いちまうだろう。
 入口には長蛇の列が出来ていたが、予約チケットの整理番号の通りに並んでいたので、開場時間に間に合いさえすれば、まあまあ前のところに並べるのであった。
 開場して、たいていのお客さんがパイプ椅子に座っていく。でもよく見ると前に座布団がたくさん敷かれてあって、桟敷席扱いになっている。だったらそこで見たほうがいい、と最前列に陣取る。舞台を見上げる形にはなるが、多分、中村有志さんも前まで出て来てくれるんじゃないか。
 それにここなら、靴を脱いでも怒られやしないだろう。


 舞台『愛とバカユージ』。
 舞台には幕はない。シティボーイズのみなさん他からの献花が舞台の両端に立てられているが、これがちょうど袖の役割を果たしている。
 舞台の4ヶ所にマネキンが立っていて、中村さんが着るらしい衣装を身にまとっている。一人芝居だから、着替える様子も舞台上で見せてしまおう、という趣向なのだろう。イッセー尾形の舞台もこんな感じだ。考えてみたら、イッセーさんもゆーじさんも福岡出身。福岡出身者は一人芝居のスケッチをしたがる傾向があるのかな。

 舞台が一瞬暗くなり、音楽とともに中村有志さん、いきなり全裸で登場。
 と言っても、腰回りはバスタオルで隠している。そのバスタオルの中央が、急にムクムクと盛り上がってくる。
 マジックの初歩、「ボールのマジック」をもじった、「ポール(^o^)のマジック」というところか。つかみのスケッチとしてはまあまあ。

 続いて、「夫婦一人浴衣漫才」(適当なタイトルつけてるだけで、チラシにこんなことが書いてあるわけではありません。以下も同様)。右手だけを浴衣に通して、それを自分の相方の奥さんに見立てて、一人芝居をするのである。結婚する前の昔の彼女の話なんかをして、つねられたり叩かれたり、○○○○揉まれたりするのだが、こういう単純なギャグは、タイミングが上手くないと白けてしまう。その点、中村さんは安心して見られる。
 どうやら今回の舞台、一貫したストーリーがあるわけではなく、様々なスケッチを手を変え趣向を変えて見せるのが主眼らしい。ちょっと前のシティボーイズと同じような構成だな。

 一人二役による、オー・ヘンリーの『賢者の贈り物』のパロディ。貧乏な夫婦が、お互いに贈り物をしようとする。夫は自分の時計を売って、妻に櫛を買ってあげる。妻は髪をハゲにして、夫の時計のバンドを買ってあげる。賢者じゃなくて、「愚者の贈り物」って感じのオチ。話だけならつまらないので、これが笑えるのはまさしくゆーじさんの演技力によるものだ。
 いや、笑うと言うより、引きつってたかな。なんたって、私ゃ、ゆーじさんが裸エプロンで「ああっ!」て号泣するのを真正面で見せられてんですから(^_^;)。

 「仁義なき三姉妹」とでも題すべき今回最大の爆笑スケッチ。
 三姉妹がマンションで拾ってきた猫を飼うかどうかってのを言い争うのだが、その3人を菅原文太、金子信雄、田中邦衛で演じるのである。名前はそれぞれ、広子、山子、槙子。広子と槙子はともかく、山子はねえだろ(^_^;)。もちろん、『仁義なき戦い』から取ってるわけだからそういう名前にするしかないんだが。
 いやもう、どう面白いかって、こんなの説明のしようがないよ。ともかく「似てる」んだから。
 最後に猫が死んじゃって、山子ねえさんが「わ、わしのせいやないで!」と叫びながら、それを無視するように広子が「何で猫が死んどるんじゃあああ!」と叫ぶあたり、マジで舞台に3人が同時に立っているように錯覚した。
 上手い。

 「呪いのサンダル」を履いたものが、次々と殺戮を繰り返す。
 ホラーとコメディは髪一重ってところをゆーじさん、よくわかってらっしゃるなあ、と感心しちゃう、これも傑作スケッチ。
 「カピターン、カピターン、カピターン、カピターン……」とサンダルの音がするたびに、その人は心の奥底に隠していた自らの邪な心を発露させてしまうのだ。なにより、滑稽と恐怖が見事に融合している擬音がスバラシイ。中村さんの言語感覚って、やっぱ凄いよな。

 ラストは、イブニングドレスのゆーじさんが花びらを散らしながら歌い踊る「ひとり上手 韓国語」(^o^)。いや、韓国語かどうかよくはわからんが、そう聞こえたから。ともかくヘンな言語です。
 で、私も、花を一輪、頂きました(^_^;)。

 時間はほぼ1時間半。シティボーイズの芝居は2時間から2時間半が普通なのだけれど、一人芝居だと、この長さが限界なのかなあ。確かに、もう最初の10分くらいで、中村さんは汗びっしょり、時々飛沫がこちらに飛んで来ていた。でも、もう一つ、あと一つ、スケッチを見たくなるような濃い1時間半であった。


 雨はまだ止まない。けれど今度はカバンの中から折りたたみ傘を出す余裕があったので、しげに差しかける。しげ、晴れ晴れとした笑顔で、ほんの数時間前までの焦燥ぶりがウソのようである。いったんは本気で東京行きを諦めていたみたいだから、よっぽど嬉しかったのだろう。
 ホテルは渋谷の東急イン。芝居が意外に早く終わったので、辿り着いたのは、9時ごろ。チェックインして、まずはこうたろうくんに電話を入れる。今日いちんちがどれだけ大変だったかを報告。と言っても喉元過ぎればなんとやらで、つい、面白おかしく「もうエラい目に遭いましたわ」みたいな感じで喋ってしまう自分がちょっと情けない。明日の待ち合わせ時間を確認、寝過ごさないよう、モーニングコールを頼んだら、わざわざホテルまで来てくれるとのこと。全く、いいトシをして私も友達に甘えっぱなしである。
 コンビニで食料を買い込み、マクドナルドで夜食を済ます。東京まで出て来てマクドナルドかって感じだが、渋谷の名物料理店なんて知らないんだから仕方がない。ヘンなところに入ってボッたくられるより、ずっと安全である。そのころには、今日一日の疲れが一気に押し寄せてきた。肩の重さを実感する。4個も荷物を持って歩きまわってたんだから当たり前だが。時間に遅れなければ、先にチェックインして身軽になってから芝居を見に行くつもりだったので、これも誤算である。
 ホテルに戻って、風呂を溜め始めたはいいものの、ついウトウトしていたら、湯舟から湯が溢れてしまった。一応、風呂桶(バスタブって言えよ)に湯が溢れないための排水口はあったのだが、湯の勢いが強かったか、排水管の流れが悪くなっていたか、どちらかであったらしい。
 慌てて、バスマットで床を拭くが、よく考えたら、こういうのもホテルの人があとで片付けてくれるのだ。どうも庶民ってやつはホテルなんてとこには泊まりなれてないから、こういう突発事態にはうまく対処できずにオロオロと焦ってしまいやすい。それとも私だけ?
 あとは、爆睡。(∪。∪)。。。zzzZZ

2002年03月01日(金) 福岡デパート事情/映画『吸血鬼ハンターD』(1985)/『20世紀少年』8巻(浦沢直樹)ほか
2001年03月01日(木) ダブルマインド/『ブギーポップ・パラドックス ハートレス・レッド』(上遠野浩平)



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