無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年12月25日(水) ねくたい綺譚/『恋に唄えば♪』(たむら純子)/『黒蜥蜴』(江戸川乱歩・JET)

 WEB現代での唐沢俊一さんのエッセイ、『近くへ行きたい』第12回に、唐沢さんが『ウッチャきナンチャき』に出演した時のレポートが。
 しまった、出演してるって事前に知ってたのに、つい見損なってた! と慌てたが、本文を読んでホッと胸をなでおろした。要するに、「結構喋ったんだけど、テレビには映らなかった」らしいんである。映ってたのは「何も喋ってない優香ばかり」とのこと。
 脱がない優香には何の興味もないので、だったら見なくても全然惜しくない。考えてみたら、多少シリアスなところがあるとは言え、ウンナンの番組ということは結局はバラエティである。ああいう番組に呼ばれる「文化人」というのは、例えば「北野大」とか「大槻教授」とか、「文化人のクセに意外とトンチンカンなことを言う人」でなければならないのだ。ホントにアタマのいい人で、ヘタに知性的なこと言っちゃうと、バカな視聴者の反感買っちゃうもの。実際の北野大さんは、多分アタマがいい人じゃないかとは思うんだけど、テレビで見る限り私ゃあのヒトのアタマのいい発言なんて聞いたことがない。多分カットされているのだろう。タレントが知性的なことを言うのは許されてるのに、もともと評論家とか大学教授とか「文化人」の肩書きを持ってる人は、決して知性的な話をしてはいけないんである。これも差別の構造だよねえ。
 唐沢さんがテレビに映るためには、トンチンカンなことを言ってくれないといけないんじゃないかと思うが、もちろんそんな道化を演じてまでテレビに出たって、唐沢さんにたいしたメリットはなかろう。
 それこそ、と学会主催の番組をまるまる作るとかしないと、唐沢さんの見せ場はないだろう。それだけの度胸のあるプロデューサーがテレビ界にいたら面白いのだが。


 しげからのクリスマスプレゼント、ネクタイとハンドタオルであった。
 なんで二つかというと、私の誕生日とのセットだからだそうである。……あの、結婚記念日のは?(・・;)
 これで私が「こんなん要るか!」とネクタイをつけていかなかったりした日には、またしげは泣きじゃくり、ご近所中に聞こえるほどの悲鳴を上げ、すわ人殺しでも起こったかとお隣さんが飛んでくるような事態になりかねない(一度ホントにあったのである)。
 自らの恥晒しと、家庭崩壊のいずれを選ぶかと聞かれて、後者を選ぶバカもいまい。私はとうに覚悟はできているのである。と言うわけで、早速、職場に買ってもらったばかりのネクタイを付けていく。
 私の家庭の事情を先刻ご承知の方もおられようが、いったい私が何を懸念しているのかご不審の読者の方のためにご説明せねばなるまい。実はしげは私にマトモなネクタイを買ってくれたことなど一度もないのだ。と要っても安物だとかインドかエジプトあたりの妙な文様が描かれてるような珍品と言うわけでもない。その全てが、あるときはドラえもん、あるときはウルトラマンと言った、キャラクターグッズなのである。
 ……想像していただきたい。私はもう四十になるのである。四十でデブでビンゾコメガネの中年オヤジの首からぶら下がったネクタイには、何人ものドラえもんが微笑んでいるのである。そんな光景、誰が見たいだろうか。そんな悪趣味なヤツは世界広しと言えど、しげただ一人であろう。
 そして今回、しげが選んだのは、いつの日かこいつと出会うことになるだろうと覚悟していた究極のキャラ者であった。
 そう、西原理恵子も大好きというあの、「ミッフィ(akaうさこちゃん)」である。
 職場に着くなり、案の定、若い子から「ミッフィですね」と指を差される。それ以上、何も言わないのはある意味私のことを恐れているのではないか。
 いや、あの、私はただ単に恐妻家なだけであって、○○○○でも○○○○でもないんだが。と言っても信用してもらえないか。
 多分、また一つ、私に関する黒いウワサが流れたに違いない。……本気で今の職場、移れんかなあ(-_-;)。

 有休休暇が余ってたので、半日で帰る。
 あとはひたすら寝たので、特に書くことなし。


 マンガ、たむら純子『恋に唄えば♪』(角川書店/アスカコミックスDX・588円)。
 優香主演の“あの”映画のコミカライズである。
 絵柄がかわいらしかったので、つい買ってしまったのだが……いいじゃん、これ。まさしく正統派少女マンガ、映画版のストーリーと全く同一でありながら、マンガ版の方が圧倒的に面白い。
 実は堀田あけみが書いた小説版も読んではいたのだが、その甘ったるい自己陶酔型の文章に閉口して、とても感想を書く気になれなかったのだ(貶してるように見えても私ゃ書く価値のある作品しかレビューはしないよ)。
 ところが、小説よりも映画よりもよっぽど甘ったるいかと思っていたマンガ版が、メリハリの利いた「作品」として仕上がっているのに驚いたのだ。
 まず主役のユミが優香のようにバカに見えない、これが実に大きい。
 壷男がテレビのクイズ番組の司会者に成りすまし、ユミをサトルのいるオーストラリアに旅立たせようとするシークエンス、映画版じゃどうしてユミが旅立つ気になったのか、心の変化が全く見えて来なかった。しかしマンガ版では、ユミ自身がサトルに会わないではいられないことを自覚する心理変化の過程を、サトルに贈るはずだったクマのぬいぐるみを見つめる視線で語らせているのである。こういう普通の演出ができれば金子修介も少しはマトモな監督になれるんだけどねー。コメディは、コメディだからこそ、キャラクターの演技には真実味がなきゃ訴える力は生まれないという基本的なことを押さえてほしいのである。
 壷男のデザインも三頭身でかわいらしい。やっぱ竹中直人じゃ感情移入できないよ(~_~;)。『恋に唄えば♪』に関してはこのマンガ版だけ読んでおけば充分。まあ、ドラマツルギーなんかどうでもいい、オリャあ、生身の優香が見られる映画の方が断然いいんだ! と主張するのなら、そりゃもう勝手にしてくださいませ、としか言えまへんな。


 マンガ、江戸川乱歩原作・JET作画『名探偵登場! 黒蜥蜴』(朝日ソノラマ/眠れぬ夜の奇妙な話コミックス・840円)。
 恥ずかしい角書を付けてくれてるなあ(-_-;)。
 金田一にエラリー・クイーンにシャーロック・ホームズと来て、ついに明智にまで手を出しましたか。誰が何しようといいけど、JETさん、どんどん作画技術が低下してるのはなぜ? コマワリは読みにくくなるわ、背景が疎かになってキャラの位置関係すら解りにくくなるわ、そのキャラも以前に比べて寸詰まりでクドイ絵になって人間味が感じられなくなってるわ、誉めるとこまるでないじゃん。
 でさあ、明智を描くんなら、少女マンガだから美形になっちゃうのは仕方ないとしても、せめて髪はモジャモジャノ雀頭にしてくれよ。金田一はそうしてたろ? キャラデザイン、同じでいいんだからさ。
 原作にはいつも明智に協力する警視庁の恒川警部・浪越警部・中村警部・花田警部のいずれも登場しない。明智対黒蜥蜴の対決をスッキリさせるための乱歩の配慮だと考えられるが、JET版では「丸目屋警部」という警部を登場させている。こういう脇キャラを出さないと、話を転がせなかったんだろうね。
 まあ、この程度の改変はご愛嬌だが、ラストを全く変えてしまって、爆破の中で黒蜥蜴の生死がわからなくなり、明智が「黒蜥蜴は本当に死んだのだろうか?」と述懐するなんて、アンタ、『怪人二十面相』シリーズをここに持って来てどうするのよ。陳腐なだけじゃん。

 併録の『人でなしの恋』、これもネームに失敗してるよなあ、京人形がきちんと描けてないしなあ。それに夫の目の前で人形壊しちゃダメだって。「描かないことによって想像させる」ってとこにあの原作の怖さがあるんだよ?
 しかもラストをまた陳腐な形に改変してしまってる。人形を恋する夫を自殺(心中)に追いこんだ妻が、今度は自分が人形の虜になるって……そういうもんじゃないだろう(-_-;)。
 自分の個性を出そうとして原作をいじくって失敗した典型的な例だよなあ。まだ古賀新一版の『人でなしの恋』の方がよっぽど出来がいい。自分に才能ないことを自覚してよ、先輩の描いた作品をきちんと参考にしてよ、もちっと謙虚に自分の作画のどこがマズイか考える位のことはしてほしいものだね。

2001年12月25日(火) 怪獣道なんてないよ/『30独身女、どうよ!?』(岡田斗司夫)ほか
2000年12月25日(月) 男はみんなえっちだってば/『羊のうた』5巻(冬目景)



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