無責任賛歌
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2002年12月23日(月) |
料理は好きなんだけどね/『帰ってきたウルトラマン大全』(白石雅彦・荻野友大)/DVD『アリーテ姫』/DVD『椿三十郎』ほか |
天皇陛下、もう69歳か。 体調もよくないようだし、平成もそう長くはないだろうなあ。あと10年前後と見て、さて、私がくたばるのととどっちが早いか。 きっと今の皇太子が践祚したあとで皇室典範の改訂が行われるんじゃないかな。女性の即位を認めるように。となると未来の「玉の輿」は男か。ハタ、と気付いたが、女性が天皇の場合、その夫の呼称はどうなるんだろう?
岡田斗司夫さんがいよいよ食玩プロデュースに乗り出すそうである。 ここまでありとあらゆるバラエティーなものが出回っているのに、ここでもう一つ、というのはなかなか大変じゃないかと思うのだが、さてどんな企画なんだろう。 「岡田斗司夫」の名を関する限りはオタク度の高いものでなくてはならないし、かと言って売れそうにもないものじゃしようがないし。関西人の悪い癖で、ノッちゃうと「オ○コマーク事件」とかトンデモナイ発想をしたりするからなあ、岡田さんは。海外SFドラマコレクションの類なんかだといかにも「らしい」んだけど、今一つインパクトが薄いしなあ。 もしかして岡田さん自身のフィギュアとか(^o^)。オタアミで売ろう♪ なんにせよ、そのうち具体的な発表があるだろうから、期待して待ちましょ。もちろん私はオトナ買いしちゃいますよ。
今日は一日、日記書きと昼寝。 しげが「料理作ってくれたら、片付けはするよ」と、今まで1億5千万と飛んで3回は繰り返した言葉を信じてカレーを作ってやる。なんで信じるかな、オレ。 市販のカレー粉を混ぜ合わせ、予めバターで炒めた肉汁で再度炒めて、醤油とフルーツジュースと牛乳で味をまろやかにする。近所のカレー屋のカレーよりよっぽどコクがある。 しげ、「美味い美味い」と食って、皿に山盛り二杯おかわりするが、やっぱりそのまま片付けもせずに放置。食ったらもう約束を忘れているのである。シナプスの切れる速度が常人の三倍は速いんじゃないか、こいつ。
マンガ、藤子不二雄A『黒ベエ』2・3巻(完結/ブッキング・410円)。 全11話で完結しているが、白眉は8話の『黒ベエ、白ベエになる!』。 かわいい少女に出会って、悪行の数々をたしなめられる黒ベエ。少女に惚れた黒ベエは、悔い改めて黒い服を脱ぎ捨て白服にイメージチェンジ、「白ベエ」としてよいことをしようとするが、やることなすこと大失敗、かえって周りに迷惑をかけまくってしまう。それを見た少女が黒ベエに投げかける言葉がスゴイ。 激情するわけでもなく淡々と冷静にこう言うのだ。「君の心は服ぐらい変えてもどうにもならないほどシンまで黒くそまっているのだわ」 いや、確かに黒べエはそういうキャラクターなんだけど、そこまで身もフタもない言い方するのか(^_^;)。その少女は水鉄砲で黒インクを黒ベエに浴びせ、「きみにはやっぱり黒い服の方がよく似合うわ!!」と言って去る。 黒ベエの頬を伝う涙。けれど、これはそれで正解だったのではないか? 人の持つ欲望を含めたドス黒い部分、これをキレイゴトだけで否定してしまうことは人間のありうべき尊厳自体を否定しかねないのだ。 いいじゃないの、悪人で。自分を善人だと信じてる既知外より、よっぽどマシだよ。
白石雅彦・荻野友大編著・西村祐次資料・円谷プロダクション監修『帰ってきたウルトラマン大全』(双葉社・2310円)。 「誕生30年&DVD発売記念」とオビにある。オイ、もうそんな昔か。感覚的にはついこの間なんだがなあ。初期ウルトラ世代の感覚だと、もう「帰りマン」以降は世代が代変わりしてるんだけど、もう今の若い人にとってはこれすら「古典」なんだよなあ。しげですら『80』以降の記憶しかない……ということは、今の10代、『ティガ』が最初のウルトラマンってことになるのか。うーん(-_-;)。 しかしハヤタとモロボシダン、郷秀樹が出会う設定上の矛盾について、何か解説があるかと思ったら全然なかったなあ。これ、もう「今さら触れるなよ」ってことなのかね。私ゃ未だに納得してないんだけど。
DVD『アリーテ姫』。 結局、福岡までは来なかったんじゃないかなあ、世評はすごく高かったというのに。というわけで今回見るのが初めて。『名探偵ホームズ』の片渕須直氏の初監督作品ということで興味を持ってたんだけど、片渕さんの名前知ってる人も少ないんだろうなあ。 原作はダイアナ・コールスの『アリーテ姫の冒険』。と言っても映像化に当たっては結構アレンジがされているらしいが、未読なのでよく分らない。映画の方は一言で言ってしまえば、深窓のお姫様が、魔法使いに攫われたのち、ただの一人の人間として生きて行く決意をするまでの物語である。 非常に丹念な作りがされてしいるし、中世の世界のように見えたものが、実は失われた科学技術の崩壊したはるか未来世界の話、とわかって驚くような仕掛けはあるのだが、全体的にひたすら地味である。作画は丁寧、演出も堅実で、CGIのさりげない使い方も見事なのだが、アニメーションとしてのカタルシスには乏しい。同じようなテーマを映像化するなら、1960、70年代の東映動画だったらもっと楽しく派手に演出してくれたものなんだが。 もちろん本作は、惹句にもある通り、「自分に迷い、自分にできる何かを探しているすべての世代の人たちに見てほしい、こころの冒険の物語」である。私のように「今さら自分に迷ってるほどヒマ人じゃねーよ、自分にできることなんてもともとない、そんなふうに考えるのはただの思い上がりだ」と思ってる人間にとっては無用の物語である。私にできることはせいぜい「アリーテちゃん、がんばれ!」とかげながら応援することくらいだ(^o^)。 けれどやはりこの映画は「今」の人に見てほしい、そして感想を聞いてみたい、と思わせる物語である。具体的に名前を上げはしないが、この日記の読者であるあの人やあの人が見たらどう思うかなあ、とか想像しながら見た。 アリーテは美人ではない。求婚し夜這いしてくる隣国の王子たちも、別に人間としてのアリーテを求めているわけではない。それを知悉しているアリーテは、門番の目を盗んでは街中を身分を隠して歩き、自分がここで何をして生きていけるかを模索する。それはまさしく「自分探し」の彷徨だ。 しかし、本来、文学や芸術はそういった個人のさ迷いの果てにある「世界」を描こうとすることに主眼があった。そう考えると、この『アリーテ姫』の物語は、ラストに至ってようやく「物語」が始まるのであって、本編自体は「文学以前」を描いたものとしか言えない。もっとはっきり言えば、「人間」の物語はようゆくこのラストから始まるのである。 そういう物語を現代の若い人が本当に欲しているとすれば、そういった人たちはまだ「人間ではない」ということにもなる。「あなたはまだ人間じゃないでしょ?」と言われて、若い人たちはそれでもこの物語に感動してしまうのだろうか。実際、私が「すべての世代の人たちに」という言葉を不遜に感じてしまうのは、「いいオトナがさあ、今更自分探ししてるようじゃ、人として情けないじゃん」と思ってしまうからである。 だから私は、こういう映画が作られてしまう「時代」が悲しいなあ、と思うのだ。まあ、太宰治や三島由紀夫にかぶれる人を哀れむのと同じような感覚なのね。
DVD『椿三十郎』。 黒澤明『用心棒』シリーズの第2作(第3作は監督が代わって稲垣浩監督の『待ち伏せ』。岡本喜八の『座頭市と用心棒』は番外編と見るべきだろう)。 原作は山本周五郎の『日々平安』で、メイキングで小林桂樹が語っているところによると、本来、主演は小林さんの予定だったそうである。確かに原作のイメージなら小林さんのほうがうってつけだ。チョイ役出演の小林さんが、タイトルロールでは三船敏郎、加山雄三に続いて三番目なのにはそういう理由があるのだろう。 もちろん、その主役交代は前作『用心棒』の大ヒットで「三十郎ものをもう1本」と東宝から頼まれたためである。そのせいで三船敏郎の三十郎、いかにも山本周五郎的世界を体現している入江たか子や団令子の間にあって実に居心地が悪そうであった。居心地が悪いのは仲代達矢演ずる室戸半兵衛もそうであって、本来、彼がその悪辣な知恵を弄するのは、藩を乗っ取ったあとであったはずである。三十郎に「あいつは虎だぜ」と言われちゃいるが、その虎としての本領を全く発揮しないまま物語は終わってしまう。 だから、あの有名な血飛沫のラストシーンは、全く山本周五郎的でない二人のキャラクターの憤懣が爆発した瞬間であったのだ。さて、原作者はあれをどう見たことか。 仲代達矢がインタビューで「ラストではあの血飛沫が出た途端に記録の野上(照代)さんが逃げ出してねえ」と笑っていたのが楽しかった。
2001年12月23日(日) 幸せを配る人/映画『アメリ』/『あひるの王子さま』2巻(森永あい)ほか 2000年12月23日(土) 天皇誕生日スペシャル/『本格推理マガジン・絢爛たる殺人』
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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