無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年09月27日(金) トンデモさんがいっぱい/オペレッタ『マリツァ伯爵夫人』

 平日だけれど、お仕事休みでゆっくり朝寝。
 こないだ休日出勤した振替だからサボリじゃないよん。
 ああ、三連休は気持ちがゆっくりできるなあ。

 しげは昨夜、職場の飲み会とやらで、サンドイッチやら野菜炒めやらを作って持って行った。仕事が終わるのは3時過ぎなので、当然、店なんて開いていない。だもんで、それぞれか食料持ちよりってことになったんだけど、何となくピクニックみたいだよな。
 帰宅して、余ったサンドイッチやらおでんやらを分けてくれたんだけど、考えてみたらこれが久しぶりのしげの手料理。いったい何ヶ月ぶりだよ。ヘタすりゃ数年食ってないんじゃないか。


 しげの機嫌が随分悪いので、てっきりまだ私の東京行きのことをグズってるのかと思ったら、私がしげの留守中にゴミを出すのを忘れたのを怒ってたのだった。
 「重くて運びきらんから出しといてって言っといたやん!」
 「ああ、ごめん、今度出しとくよ」
 「先週も疲れたとか言ってしてくれんやったやん。どうせまた忘れるっちゃろ!」
 しょっちゅう物忘れしてるしげからは言われたくないセリフだ。
 「忘れんからもう言うなよ」
 「オレが忘れたときは怒るくせに、自分のときだけそう言うやん!」
 「比較するなよ。お前が家事忘れるのは毎日で、オレはたまにやん」
 「たまじゃない!」
 「たまだよ」
 何を夫婦でタマタマ言い合ってるのか。


 昼飯は昨日の残りのカレー。
 しげも食うかと二人分作っといたんだが、ちょっとしか食べてないので、まだ丸々一人分くらい残っている。せっかくしげに合わせて甘口に作ったのに。
 「甘くなかったよう、辛かった」
 としげは不満たらたらだが、牛乳とリンゴジュース、かなりぶちこんだぞ。そりゃ、もともと辛口なんだから、多少の辛味は口に残るだろうけれど、口当たりは悪くなかったはずだ。しげの舌、いつまで経ってもオトナにならないなあ。

 ふと、思いたって、父に電話する。
 写真家の天才アラーキーこと荒木経惟氏が、今、「日本人ノ顔」プロジェクトとして、「福岡の顔」500人を募集している。こないだ誕生日プレゼントを渡すのがちょっと遅れて気が引けてたので、まあ当選するかどうかはわからないけれど、応募してみる気がないかどうか、聞いてみようと思ったのだ。
 事情を話すと、父、何だか照れている。
 「おれ、最近、写真写り悪いったい」
 最近って、そのトシで今更写真写りを気にするかね。
 「それがいいっちゃない? だって荒木さんなんだから、カッコイイ写真が撮りたいわけじゃなかろうもん」
 「そうやな、アラーキーだもんな」
 気安くアラーキーなんて言ってるけど、オヤジ、こっそり藤田朋子写真集なんて買ってんじゃないだろうな。いや、あながち否定できないのは、父の店にも自宅にも、小向美奈子の水着カレンダーがかかっているのを私が知っているからである。
 「……遺影によかろうとか考えとろう?」
 「そうそう。アラーキーに撮ってもらったら記念になるやん」
 相変わらず親子で縁起でもない発言をしている(^_^;)。でも父は特にいやだとは言わなかった。近々応募用紙を持って行くと約束して電話を切る。
 実際には肖像権を放棄するから遺影には使えないと思うけれど、父はしょぼくれちゃいるけど年輪のあるイイ顔をしているのである。全然特別じゃない、ほかの人と何か変わってるところがあるわけじゃない、けれどこれが博多の職人の、ごくフツウの親爺の顔だからイイのだ。
 応募用紙には写真を添付するから、そのへん、荒木さんが見抜いてくれると嬉しいんだが。


 山本弘さんのSF秘密基地の特別会議室、ここしばらくまたもや(今度で何度目かね)荒らしにあってたのだが、結局今まで同様、レッドカードを出されてチョン、ということに相成った。
 コトの起こりは『こんなにヘンだぞ「空想科学読本」』で、『2001年宇宙の旅』の“Grip shoes”を字幕で「磁力靴」と訳してあったのは誤訳だとし、「柳田理科雄は誤訳をそのまま信じた、第一、あんな小さな靴の中に磁力発生装置は内包できない」と批判したのを、その荒らしさんは、「発生装置は外部に作っておけば可能だ!」とやらかしたのである。
 この批判が二重の意味で的外れなのは明白で、「内包できない」ということは外部に作っちゃダメって意味じゃないから、別に山本さんは「磁力の発生装置が外部にあること」を否定してなんかいないのである。第一これは「誤訳を信じた」ことを問題にしてるのであって、「磁力靴が作れるかどうか」の問題ではない。そのことを山本さんからもほかの常連の方々からも何度も説明されてるのに、ご当人は「柳田理科雄の主張を認めなさい!」の一点張りなのである。書き込みするたびにその論旨は支離滅裂、常軌を逸したものになっていくので、これだから既知外と関わるとロクなこたあねえ、と、偏見が助長されそうで困った事態なのである。
 荒らしの心理、というのは、そのうち大学の心理学部とかの研究対象になるんじゃないかと思うが(もうなってるかな?)、異常肥大した自意識がもたらす行為だろうってことは充分推測される。まあ、負けを認めたくない心理っつーかね、誉めてもらえりゃ有頂天になるけれど、叱られたら自分を必死に正当化しなければ情緒不安定になっちゃうのだろう。私もそういう人間、イヤと言うほど見て来ました。

 「バカにされる」ことを極度に嫌う人がいる。バカにされたら怒るのって、そんなん当たり前やん、とお考えの方もおられようが、実はそれがトンデモさんへの第一歩。
 まあ、「人をバカにしちゃいけません」とガッコでせんの……いやいや、教わってきてるものだから、自分の主張に正当性があると考えちゃうのだろうけれど、そうやって腹を立ててる段階で、本人は「なぜ自分がバカにされてるのか」、自らを省みる目を無くしてしまっているのである。いや、対処してる山本さんも他の方々も、決してバカにしてるんじゃなくて、至極マットウな「批判」をしてるだけなのだけれど、自意識過剰な人間には、全ての批判が「こいつはオレのことをバカにしているのだ」と受け取られてしまうのだ。
 逆を言えば、仮に自分が誰かの批判を受けて腹を立てたりした時、それが根拠のないプライドにすがってるせいじゃないか、メンツに拘ってるだけじゃないか、と冷静に自分を観察してみる必要がある。それがオトナと言うものだ。
 で、ホントに冷静になれば、たいていの場合、「怒る必要なんてないじゃん」という結論が導き出されること、多いんだよね。
 仮に、ホントにバカにされたときだって、腹を立てる必要はないんである。
 「お前のかあちゃんデベソ」とからかわれたときに怒るということは、「デベソ」であることが母親にとってマイナス面であることを自ら肯定してしまうことになる。どうぞ私の母のデベソを差別してください、からかってください、と表明しているようなものだ。つまり「バカにするな」と怒った瞬間に、その人がバカだってことが露呈されちゃうんだよねえ。そんな簡単なリクツすら理解できないままオトナになっちまった人間が、どうしてバカでないと言えるのか。自らの愚かさに気付きもせず、似たようなヘリクツを繰り返してるもんだから、結局は誰からも相手にされなくなっちゃってるんだよねえ。

 ましてや件のトンデモさん、「自分が答えられないからうざったいとは何だ」とか、「あなたには答える義務があります」とか、「あなたがやっていることは名誉毀損です」とか、「答えられない」んじゃなくて「答えてるのにその意味が理解できないから答えたくない」んだってことにも気付いてない。これ以上、山本さんに答える義務なんてねーよ。
 名誉毀損って、ハンドルネームの人物が社会的にどういう損害を受けるってんだ。「自分の文章を削除したらあなたの立場が悪くなりますよ」って、脅迫してるの自分のほうじゃん(-_-;)。全く、トンデモさんに関わっちゃうとロクなことがないね(遠い目)。

 それにしても、相変わらず山本さんはぎりぎりレッドカードを出すまで荒らしさんトンデモさんに実に気マジメに対処されている。
 けど、以前、日本語の文章になってないデンパさんの文章を添削してあげたのはちょっとやり過ぎだと思う(^_^;)。ヘンにイジって、デンパさんが暴走したらって考えたらすっごく怖いと思うんだけど。
 
 
 あまり大きな事件じゃないけれども、なんだかなあ、と引っかかった事件。
 北海道白老町で堀川市郎さん(74)が全身を殴られ死亡した事件で、25日、妻の瞳容疑者(71)が傷害致死の疑いで逮捕された。
 まずその年齢に驚いたけどね。年齢からして、随分長いこと連れ添ってきた夫婦なんだろう、それがなんでまた殺人にまで、というのが素朴な疑問だったが、それより何より驚いたのは、その殺害方法だった。
 「瞳容疑者は、21日午前11時ごろから午後8時半ごろまでの間、自宅で棒のようなものを使って堀川さんの全身を殴り、死亡させた疑い。瞳容疑者はこの間、断続的に堀川さんを殴り続けていたとみられる」。
 えーっと、11時からら8時半ごろまでって、およそ10時間?
 相手を殴り続け? 71歳で?
 なんちゅー体力のある婆ちゃんだ!\((;◎_◎)/!
 よく、ミステリで「こんな力の必要な犯罪はか弱い女には無理だ」とかいう言質が出てくるけど、現実にはそんなことないね。女でも婆ちゃんでもやるときゃやるって実例じゃないの。でもミステリで「10時間被害者を殴り続けた婆ちゃん」を犯人として描いたら、絶対「リアリティがない」とか批判されちゃうよなあ、まさに「事実は小説よりも奇なり」。
 ご本人は「夫に昔、乱暴を振るわれた、女性問題で悩まされた」というのが動機だと言ってるけど、夫がトシを取って自分より体力がなくなるのを待って復讐するなんて、あ〜た、アドニオン諸本か(←『頑丈人間スパルタカス』)。
 これ、素直に考えれば同時に自分も体力が衰えるわけだから、きっと日頃からトシ取らないよう、健康に気を遣って、ジョギングなんかもして、「明日のために打つべし」とかやってたんじゃないのかね。うわあ、肉体派の婆さん。面白いけどちょっとイヤだ。
 あなたの身の回りに、シャドーボクシングしながら走ってる婆さんはいませんか? もしかしたら心に秘めた何やら熱いパッションがあるのかもよ。


 北朝鮮の国営朝鮮中央通信が、26日、「日朝間の問題は大局的な見地から解決されなければならない」という趣旨の論評を発表して、その中で日本人拉致事件について、「数人死亡したことをもって日本側が度を越した騒動を起こしては、事態が収拾できない状況に追い込まれる可能性がある」と警告。
 ……北朝鮮ってバカ?
 こういう言い訳が、逆に日本人の感情の火に油を注ぐことになる可能性、考えてないのかな?
 初めて拉致事件について触れたと言っても、首相訪問時の様子を正確に伝えなかった時点で、北朝鮮の底は割れているのである。「大局的な見地」なんてカケラも考えちゃいないだろうがよ。
 日本が「先の戦争で日本もいいことをした」と語れば、「侵略しといて何抜かす」と激怒した自分たちのこと、忘れてるのかね。「拉致しといて何抜かす」という感情の激化をあおってるのは北朝鮮の方ではないの。これでもうはっきりしたけど、北朝鮮は在日の人たちを完璧に見捨ててるね。
 この報道は明らかに北朝鮮の国内向けのもの。日朝の国交が正常化されれば、いやでも拉致のことは北朝鮮人民に伝わる。「わが国は拉致をしたのか!」という世論が起きることを見越して、予め「ごく一部の英雄主義者たちの暴走によるもの」という情報を民衆に擦りこんどいて、国家としての責任を回避しようってハラだね。
 あはは、かつての日本の侵略行為を「陸軍の暴走によるもの」と言い訳した論調と全く同じだねえ。こうもストレートに日本のマネをするなんて、ホントに日本は朝鮮に悪いことばかりしている。朝鮮文化のルーツは日本だね。

 「日本人が死亡したことは、その遺族にとっては極めて遺憾なことで、わが政府は彼らの痛みを和らげるために最善を尽くしていると承知している」。
 日本人が先の戦争について「遺憾」という言い方をしたら、アチラは「反省が足りない」と滅法怒ってたはずなんだけどなあ。それとも「遺憾」という言葉についても考え方が変わったのかな?
 ……で、その「痛みを和らげるために」何をしてるの? 具体的なこと何も言ってないんですけど。この態度も日本人の対応そっくりだねえ。

 「日本には日朝間の肯定的な事態の発展が気に入らない勢力がいる。今、彼らは拉致された日本人のうち、長い期間のうちに一部が死亡した問題を、感情的に極大化し、反共和国(北朝鮮)敵対意識を吹き込む大々的なキャンペーンを繰り広げている」。
 「肯定的な事態の発展が気に入らない勢力」って、北朝鮮に対して怒ってる連中って、世論調査によれば日朝の国交正常化を望んでる人間にだってゴマンといるんだけど。
 それに「長い期間のうちに一部が死亡した」って、ほとんど死んでるのに、明らかにウソじゃん。しかもこの論評子がいかにバカかってのは、「長い期間日本人を拉致したまま、本国では報道管制を敷いてた」ってこと、結局認めちゃってることに気付いてないんだもんね。
 北朝鮮の人たちもみんながみんなバカじゃないから、こんなウソを聞いてりゃ亡命者はぞぞっと増えるだろう。もしかしたら、北と南の統一、意外と早くなるかもな。

 「現在、わが国には過去、日本に強制連行されて半世紀が過ぎても生死すら分からない数百万人と、日本皇軍の性奴隷(従軍慰安婦)として連行された数十万人の女性たちの遺族たちが悲しみと苦痛に耐えながら暮らしている。こうしたむごたらしい歴史的な問題と、日本人数人の問題を絶対に対比はできず、万一、2つの問題が感情的に連結し、対峙(たいじ)した場合、想像できない事態が起きるだろう」。
 えーっと、つまり、過去に罪を犯した国は、いくら報復されても仕方がない、と言いたいわけね? 戦争は歴史だけど、日本人数人の命は歴史にも残らない無価値なものと言いたいわけね?
 で、そんな言い草しといて感情的になるなと? 仲良くしましょうって?
 そりゃ、私はならないけど、なる人間が日本人の中にドッと増えてもいいって覚悟で報道してるのかな? あんたらが、今、見捨ててるのが、その強制連行されて生死すら分らない数百万人の同胞なんだけど、自覚してる?
 これも、移民がドッチャリいるのに、アメリカに宣戦布告した日本の態度とそっくりだよねえ。自分が犯した罪を反省もしない態度までマネして、どこまでも日本に追従するその態度、これぞ皇国教育の賜物ってか?

 これでまた、在日朝鮮人差別が陰湿化しちゃうよ。いったいこれをどうしたらいいんだろうね。
 ともかく、あの「国」は他国にいる「同胞」を見捨ててしまった。在日の人は頼るすべを失っちゃったのだ。もはや自ら身を守る手段を必死で探すしかない。
 一つ提案なんだけどね、露骨に差別するやつが出てきたら、「あいつ、実は北朝鮮人なんだぜ。自分がそうだと思われたくないために、ワザと差別して北朝鮮人でないフリをしてるのさ」とかウワサを立てたらどうかな。
 このリクツ、説得力があるから信じるやつ必ず出てくるぞ。そのうち、「あいつもこいつも北朝鮮人」ということになれば、誰も差別なんてしようがなくなると思うんだけど、どうだろう。
 ……はい、そうです。これも「同化政策」のパロディです(^o^)。
 あ、でもこの手、その人が差別者かどうか見分けるのに役に立つよね。
 「あなた北朝鮮の人でしょ?」
 と言われて、必死になって、「お、オレ、北朝鮮人なんかじゃないよ!」とか否定したら、もうはっきり差別者ね。
 さあ、君も君の友達にいきなり声をかけてみよう、LET'S TRY!

 さて、北朝鮮の報道を真っ向から批判する意見を書いたけれど、これを「日朝の関係悪化を狙ったもの」と誤読するやついるかな?
 いるだろうなあ、「批判」ってのを「相手を敵とする」と同義にしか考えられないバカ、どこにでもいるもんな。でもヒトコトだけ付け加えとくけどさ、「反論があれば受け付けます」って態度を表明した上でこういうことを書くのって、何のためかちょっとくらいは自分の頭で考えてみてね。


 夕方6時半から、アクロス福岡シンフォニーホールで、ウィーンの森バーデン市立劇場公演、イムレ(エメリッヒ)・カールマーン作曲、オペレッタ『マリツァ伯爵夫人(Grafin Mariza)』を鑑賞。
 あちらのオペレッタなんて、日本のコヤにかけて面白いのかいな? という疑問がないわけでもなかったが、それは杞憂に終わった。
 確かにこれは出演者はみな外人、完全な洋モノであるわけだが、堅苦しい芸術作品ではなく、日本で言えば軽演劇、歌と踊りの入った吉本新喜劇と言ってもいいくらいエンタテインメントに徹している。筋立てはもう、このままマンガにしたら見事に定番の少女マンガになるだろうってくらい、お馴染みの設定やセリフがテンコ盛りである。この芝居が作られたのが1924年だってのがちょっと信じられないくらいだ。

 父親の遺産を相続してから、マリツァ伯爵夫人(ヨアンナ・マリア・ルウェッフェル)には結婚の申し込みが殺到。ウンザリした彼女は一計を案じ、ハンガリーの国境に近いバルカン地方の屋敷に引っ越し、そこでヴァラスディンのコロマン・ツゥパン男爵という架空の人物をでっちあげ、彼と婚約すると求婚者たちに伝える。
 求婚者の一人、モーリツ・ドラゴミール・ポープレスク侯爵(マンフレード・シュヴァイゲル)は悔し涙に暮れるが、もう一人、密かに落胆している男がいた。
 マリツァに新しく雇われた領地経営長は、トゥレックと名乗ってはいたが、実はヴィッテンブルグ家のタッシロ伯爵(ミヒャエル・ハイム)。伯爵家が倒産して財産が競売され、かろうじて妹のリーザ(スサンネ・ラーテ)をブカレストの寮制学校に入れて、彼女に仕送りをするために身をやつし、働いていたのだった。素性を明かせぬがゆえに、彼はマリツァに心惹かれつつも使用人としての立場を崩さず、冷淡な態度をとる。
 ところが自分の命令に唯々諾々とする風でもないタッシロに、マリツァの方もいつしか魅力を感じるようになる。おりしもジプシーのマンニーア(マグダレーナ・ホフマン)は、マリツァに「貴族の凛々しい騎士と恋に落ちる」と預言していた。
 ところがそこへ現れたのは、偶然にもマリツァがでっち上げた男爵と同姓同名の男(ロマン・マルティン)。地方弁丸出しのこの粗忽者は、新聞の一面を飾った婚約記事を見て、本気で自分がマリツァと婚約したと思い込んでしまったのだ。困惑するマリツァだったが、その場はどうにか誤魔化すことに成功する。
 相手がいないまま開く予定だった婚約披露宴には、リーサも招かれてきていた。再会を喜ぶタッシロだったが、妹に事情を打ち明ける様子を垣間見たポープレスクは、二人が恋人だと勘違いし、マリツァに注進する。
 リーサへの嫉妬と、タッシロも自分の財産目当てかと憤ったマリツァはタッシロに大金を渡して屋敷から出て行くように告げる。自分の真実を疑われたタッシロは、ジプシーたちに金をバラ巻き、屋敷を去ろうとする。
 そのとき初めてマリツァはリーサがタッシロの妹だと知る。タッシロの伯母であるクッデンシュタイン侯爵夫人(マルガレート・ツガール)が現れ、売られた彼の財産をすべて買い戻したことを伝える。障碍のなくなった二人は、再び恋に落ちたのだった。

 字数をオーバーしたので、この芝居の感想は明日の日記に。

2001年09月27日(木) 「檸檬」って書ける?/『BLACK JACK ILLUSTRATION MUSEUM』(手塚治虫)ほか
2000年09月27日(水) とろける膵臓と行きずりの恋と膝小僧と/『おもいでエマノン』(梶尾真治)



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藤原敬之(ふじわら・けいし)