無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年07月25日(木) 本当にあった怖くない話/『くっすん大黒』(町田康)/DVD『ミニパト』ほか

 もちっとしたら北九州に出張する予定がある。
 しげに仕事の休みを取って一緒に行かないかと相談する。
 「なんで? 仕事で行くっちゃろうもん」
 「仕事は仕事だけど、夜にはカラダ空くしさ、二日間だから一泊したっていいし」
 「もったいないやん。JR使った方が安かろ?」
 「そりゃそうだろうけど、帰りが遅くなったら淋しがるやん、お前」
 「昼は一緒におられんやん」
 「小倉で何か見てまわっときゃいいやん」
 「……北九で何を見るん」
 問題発言が出るなあ(^_^;)。
 「よしひとさんや塩浦さんにも連絡とってみてさ、一緒に食事でもしようかって思ってるんだけど」
 「……すれば?」
 ああ、またこいつ、ヤキモチ妬いてやがる。
 なんでオレが人と会おうとするとすぐジェラしるかなあ。しかも男も女も関係ないし。いや、ジェラシられたらイヤだからしげも一緒にって考えたんだけれど、自分がその場にいるいないは関係ないのね。私が誰かと語ること自体、しげにとっては気に入らないってこと、何度も経験してるけど、こういう悪いクセはいい加減で治してもらわないとマジで困る。しげに一日の行動について何一つ相談ができなくなる。
 そのことが理解できる程度のアタマは持てよな。
 ともかく、出張については私の方からはちゃんと相談したのだ。その返事が「すれば?」なら勝手にさせてもらおう。たとえ当日ほったらかされたとしてもそんなのは知らん。自業自得だ。しげが休みを取るかどうかについても、しげから相談されない限り私の方からはもう、声をかけまい。
 ホント、つまらん言葉で人生損してるよな、しげは。


 いつものごとく、迎えの車の助手席に座って『新耳袋』を読んでいると、しげが「やめり」と文句を付けてくる。
 ボソボソ音読してるからしげが嫌がるのだが、怪談はもともと口伝えを基本としたものだ。黙読するだけでなく、音読することで、その空気を自ら味わうことの何がいけないというのか。
 「そんなに怖がらせるなら、オレも怖い話するよ」
 自信満々にそんなことを言うので、「できるならやってみろ」と私もしげを挑発する。
 「昔、こたつん中に入って寝とったと」
 「ふんふん」
 「起きて、ふとフトンを捲ったら、そこに白ヘビがトグロ巻いておったと」
 「ふんふん」
 「……怖いやろ」
 「別に噛むようなヘビやないやろ」
 「怖いやん! ずっと一緒に寝とったとよ」
 「追い出しゃいいやん。実際、追い出したっちゃろ?」
 「隣りのおばさんに追い出してもらった」
 「よかったやん」
 「よくない! だっておばさん、『それは死んだ母ちゃんよ』とか言うとよ!」
 「母ちゃん追い出したんかおのれは!」
 確かにしげが怖いやつだということはわかったな。私が死んでもコオロギとかカメムシには絶対化けてでて来れんな。殺虫剤かけられてコロリである。 


 晩飯は「マルちゃん」でうどん。
 この店はトッピングが豪華だが、一番美味いのがコロッケである。私もしげも注文したが、売り切れていた。確かこないだ来たときも売り切れてたし、ここのコロッケを賞味するのはなかなか難しい。やっぱり人気メニューなのだろうなあ。仕方なく、テーブルの上に置いてあるネギと掻揚げを山ほど入れてコロッケを食った気分になる。ならんか。
 その足でマルキョウで買い物。
 いつも食材はいろいろ買いこむのだが、しげにメシを作ってやっても、片付けを全くしないので、段々バカバカしくなってくる。結局、私は自分で作った物をあまりしげに分けないまま食べちゃってるのだが、そんな目にあって淋しくはないのか、しげは。
 スパゲティもカレーもカニたまも麻婆豆腐もサバの煮付けも、今日買ったやつも結局、全部私の胃に収まってしまうのだろうな。いや、一気には食べないけど。 


 町田康『くっすん大黒』(文春文庫・410円)。
 なんだこれは、面白いのか面白くないのか、自分にはすぐさま判断がつくことではないが、面白いと言うてる人間が多いことも知っているし、それは実は『おごってジャンケン隊』で泉谷しげるがそう言っていたと記憶するのであるが、何しろ記憶力にはこのところとんと欠けているのでそれが泉谷しげるであったか、それともそんな記事は全くなくて自分の妄想に過ぎないのか、自信はない。自信はないが町田康自身は『おごってジャンケン隊』に登場しているのである。実はこの人、町田町蔵で、その名前をどこかで聞いたこともあるし俳優としても『黒い家』なんかに出てたということであるから、当然顔は見覚えがあるはずであるが、とんと記憶力に欠けているので見覚えがないのだ。野間文芸新人賞、ドゥマゴ文学賞をこの『くっすん大黒』で受賞したということであるが、ほかにも『きれぎれ』で芥川賞、『土間の四十八滝』で萩原朔太郎賞を受賞しているのである、この町田は。この中で三つは人の名前が冠されているが、耳慣れなくて珍しいのはドゥマゴである。もしかしたらこれも人の名前で、ドゥマゴさんとかいう外国人であるかも知れぬが、そんな名前の人間に会ったことはもちろんないので、デマかもしれない。なぜなら実はドゥマゴとデマとは似ているからである。ではなぜこのような厄介な文体を試み、何が言いたいのかはっきりせぬ、というのも、筒井康隆を読んだ人間が筒井康隆の文体をまねてみたくなるように、町田康の文体はさながら水の如く油の如く、付かず離れずこのような文が長々と書き重ねられ短く切られ、やっぱり批評家もこの文体には魅力を感じるらしく、解説の三浦雅士もこんな厄介な書き方をしているのはそういうわけなのであった。わかったかわからんか。わかれよもう。

 普通に戻そう。
 『くっすん大黒』とは妙なタイトルだが、なぜか主人公の男の部屋に転がっていた金の大黒、これが泣きそうな顔をしているので、くっすん大黒。この物語は、男がその大黒を見ているだけで腹立たしいので捨てに行く、というだけの話である。舞台が大阪というだけで、明確なストーリーラインはなにもない。
 ストーリーが明確にない物語は別に目新しくはないが、映画が映像のみで純粋芸術として成立する如く、小説もまたストーリーやドラマを排した純粋な文体のみで成立し得る。ドラマがない以上、どれだけ読ませられるかってのは、まさに文体技術にかかっている。
 そういう文体に関わる実験小説は、筒井康隆編による『実験小説傑作選』に詳しいが、町田康、確実にこの本読んでるね。あるいは石川淳(マンガ家じゃないぞ)。ダラダラと長いのに読点の使い方がうまくて心地よいリズムを生み出す文体は石川さんの特徴だけれど、長文のあと、「というのは」という接続のさせ方をするあたりが町田さんの文章はそっくりだ。これが偶然の一致だとしたら、町田さん、この文体をどうやって創造したのか気になるところである。

 アル中の男の一人称、という設定だから、こんなメチャクチャな文体で書いてるのかと思ったらそうではなく、同時収録の『河原のアパラ』の主人公は普通の若者だがやっぱりこんな文体なのである。やはり町田氏、意図的だ。そしてその試みは充分に成功していると思う。
 『大黒』にも『アパラ』にも、主人公以上にエキセントリックな人物が登場する。自分の勤める職場の売り物を着服する吉田のおばはんや、外国帰りのおばはん・チャアミイのキャラなどは最強最悪である。
 「ぅあたしのビャアーグはどこかしら」なんてチャアミイのセリフ、最初はどういう意味だか全く分らなかった。「ビャアーグ」は「バッグ」のことだったのだ。どこの何人がそんな発音するってんだ。「ゥベッドルームは、まっっっっっっ白なのぉー」と絶叫するチャアミイに主人公はこっそり「医者へ行け、医者へ」と突っ込む(これがシェイクスピアの『ハムレット』の「尼寺へ行け、尼寺へ」のパロディであることに気づいた人間がどれだけいるだろうか。いないだろう。そりゃそうだ、これは私の妄想だし)。
 そうやって突っ込んでる主人公自身、イカレているし、そのイカレた頭で見ても、世の中にはもっとイカレたやつらが横行していて、しかもその象徴が捨てるに捨てられないくっすん大黒なのである。つまり、みんな狂いたがっているのだ。それが町田さんがやってたパンクの意味なのかもしれない。
 それにしても、この本読んだあとは大阪人のメンタリティって、実はみんなこいつらみたいなんじゃないかという気がしてきて、ちょっと大阪人と付き合うのが怖くなってきたりもするのである。確かに大阪芸人見てるとこいつら基本的にイカレてるなって印象、強いものなあ。
 ……で「アパラ」って何よ?


 DVD『ミニパト』。
 しげが仕事に出かけながら「一人だけ先に見て」と不満そうなジト目を私に向けるが、待ってても一緒に見る時間がないじゃないのよ。
 劇場公開時は第3話しか見られなかったので、ようやく1話から通しで見る。
 けれどこれ、ビデオ版もテレビ版も劇場版もコミカライズも、旧シリーズをほぼ全作見てないと全然面白くないんじゃないか。
 というか、更に制作の裏事情、例えば、「原作のヘッドギアのメンバー内で、当初、押井さんはパトレイバーをあんなカッコイイデザインにではなく、いかにも土木作業用の流用、みたいなゴテゴテしたデザインにしようと企んだけれども却下された」なんて事実を知ってないと、どうして後藤さんやシゲさんや南雲さんがあんなに皮肉っぽい語りを行っているのか、意味が分らないのではなかろうか。
 後藤さんの「何せ尺が短いんでね、波瀾万丈の物語とか、手に汗握るサスペンスとか、息を飲むアクションとか、そんなのはすっぱり諦めてくださいよ、ねぇ」というセリフがいかにも人を食っていて後藤さんらしいんだけれど、もちろん彼は脚本家たる押井守氏の分身である。ゆうきまさみ・出渕裕両氏が作りたかったのがまさにその「波瀾万丈」以下の物語であり、押井さんの意向とはハナから水と油だったのである。ゆえに、このたった3話のミニシリーズは、押井さんの『パト』シリーズに対するリベンジになっているのだ。
 ……ラストにこんなタチの悪い作品持ってくるって、まるで宮崎駿の『さらば愛しきルパン』だねえ(←もうこれについても説明が必要な若い衆が増えちゃったね)。

 第1話『吼えろリボルバーカノン!』。
 銃に関するウンチクを後藤隊長が語る。
 昔見たLD『GUN百科』を思い出したなあ。私は銃器に全くと言っていいほど魅力を感じないのだが、後藤さんに説明されると、おお、こんなにもタクミの技が、と感心してしまう。ターゲットを粉砕しつつもその周辺に被害を及ぼさないように弾丸は開発それてるとは、よく考えられてるものだね。でもそれを持たされてるのが結局は太田だったりするので何の意味もないのだが(^o^)。これも押井さんの皮肉か。
 太田役の池水通洋さんのキレた演技が隠し味の一編。

 第2話『あゝ栄光の98式AV』。
 あはは、『パト』シリーズがロボットアニメのエポックメーキングになりそこなったってこと、シゲさんの言葉を借りて断言しちゃったぞ。もう変形、合体、超合金とオモチャを売るための発想でしかロボットアニメが作られないんだったらこの路線に未来はないって思ってるんだろうなあ、押井さん。もっともまさしく「レイバー」なデザインで客が付くかどうかは分らないけれど。
 声優の千葉繁さん、コメンタリーで喋ってたけど、このアフレコのせいで口の中が4ヶ所出血しちゃったそうである。いやもう、怒涛のマシンガントークですがね。おトシを考えると、もしかしてこれが千葉さんの最高最後の傑作になるかも。

 第3話『特車二課の秘密!』。
 映画見たときに一応感想を書きはしたけれど、再度見て気になったこと。
 公務員がハゼの干物作って売ったら、これ犯罪になるんじゃないか(^o^)。
 そんなこと、押井さんが知らないはずはないのでこれは間違いなく確信犯だろう。管理社会と言うか、組織に対する押井さんのルサンチマンの深さが垣間見えるなあ。

 押井さん、一応スタッフロールは脚本及び音響プロデュースのみの担当になっているけれど、メイキングを見る限り、このパタパタアニメの手法のアイデアと言い、主題歌を『迷宮物件FILE538』『御先祖様万々歳!』の児島由美さんに頼んでいることと言い、本作の押井色は相当強い(ついでだけど、この児島由美さん、あの『ひらけポンキッキ!』の名曲『ほえろ!マンモスくん』を作った人だ。私はこの人と谷山浩子が組んで作った『ネコじゃないモン!』のLPを持っているぞ。これは名曲揃いだからぜひCDで復刻してほしい)。
 実際の監督は神山健治さんなのだが、カワイソウなくらいに影が薄い。DVDのパンフのとり・みきさんのマンガに「たくもー1人で全部やったよーなことばかりしゃべってあの人は」とニコニコしながら愚痴っている神山さんが描かれているが、「あの人」が誰を指すかは言わずもがなだろう。実際、CMのキャッチコピーも全部「押井守最新作」で、どうしてもそのように見てしまうのは如何ともしがたい。『ミニパト』は押井守の呪縛の上に成り立っているアニメなのだ。

 いったい、映画における脚本の位置は奈辺にあるか。
 映画構成の要であることに間違いはないが、ともすれば演出と役者がもとの脚本を原形を留めぬまでに改竄を加えることは珍しいことではない。脚本はあくまで映画の叩き台であり、最終的に映画の完成の決定権を持つのは監督(欧米じゃプロデューサーの場合が多いみたいね)というのが通り相場である。
 しかし、中にはそう簡単にいかない場合もある。脚本が演出をも縛る、というか、既に脚本段階で演出が施されていて、下手に演出家が自らのささやかな個性とやらを主張しようとしてイジろうものなら、どうしようもないことになりかねない、そういう脚本もあるのである。
 ……的確な表現とは言いがたいが、“巨匠”と呼ばれる方々の脚本はそうですね。アナタが映画監督だとして、『七人の侍』や『2001年宇宙の旅』のシナリオを「改稿」して再映画化する自信あります? 私はありますが(←すげえ思い上がり)。
 押井守もいつのまにか巨匠になってしまった(西尾鉄也さんは「アニメ界の尊師」と呼んでいるが)。『パト』映画版のころはまだそんな呼ばれ方してなかったと思うんで、やっぱ、『攻殻機動隊』がアメリカでビデオ売り上げ1位取ったのがきっかけだろうか。おかげで『うる星やつら』テレビシリーズのころのすちゃらかギャグ作品のファンだったこちらの身にしたならば、新作が作られるたびに毎回毎回「ここはどこ私は誰」テーマが繰り返されることに、それ自体が押井さんの悪い冗談ではないかと勘繰りつつ、何か物足りないものを感じないではいられなかった。
 本作は神山演出によって毒が随分薄められてはいるが、紛れもなくルサンチマンに満ちた押井作品である。銃の乱射、HOSの暴走、後藤隊長の不気味な笑みで幕を閉じる各話のラストに、ようやく懐かしさを感じた押井ファンも多かろう。
 さあ、果たしてこれがホントにホント、パトシリーズの最終作になるのか。
 押井さん、パンフではそう書いてるけど、コメンタリーでは千葉さんも神山監督も「ネタはいくらでもあるって言ってる」と暴露してるぞ。ちょっとくらいは期待したいなあ。
 やっぱりパトシリーズは押井監督でないとね。


 マンガ、『パタリロ!』74巻(白泉社/花とゆめコミックス・410円)。
 猫間天狗にサンダース部長が復活。使い勝手が悪くなると主要キャラでも出番がなくなる魔夜マンガにあって、これはなんと珍しいこと。
 こうなるとプラズマXとか警察署長も復活してほしいなあ。タランテラやピョートル大帝は、作者がもうどう展開させたらいいかわからなくなって、そのままほったらかしちゃったらしいけど。

2001年07月25日(水) 福岡腰痛クラブ/『庵野秀明のフタリシバイ』ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)