無責任賛歌
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2002年07月12日(金) |
ある事件の記憶/DVD『アベノ橋魔法☆商店街』vol.1/『奇妙な論理Ⅰ・Ⅱ』(M・ガードナー)ほか |
さあ、この事件も若い人にとってはとっくに風化してしまった事件だろうか。 いや、この事件だけは多分されないね。本当はしてしまったほうがいのかもしれないけれど。
神戸市で1997年(もう5年も前かよ)に起きた連続児童殺傷事件の犯人、自称酒鬼薔薇聖斗の中等少年院の収容期間が2004年まで継続されることが決められたとのニュース。 中等少年院は原則20歳未満を対象としているため、本当なら酒鬼薔薇は来年4月に20歳9か月で出所する予定だったが、さらに1年半以上も大幅に延長されたことになる。 「異常性の際立った少年犯罪に対し、司法の判断も極めて異例となった」と記事にあるけれど、そこまで「異例」を通すならいっそのこと、実質終身刑にしてしまえばいいのにと思うんだけど、そこまではできないんだろうね、加害者の「人権」に配慮するとかの理由で。 でもなあ、本当にそれでいいのかねえ。どうせマスコミは酒鬼薔薇が出所したら、そのこと報道するんでしょ? そりゃ名前や顔写真、どこに住むことになるかとか、個人情報は出さないかもしれない。でも「出所した」って事実だけは報道するつもりでしょ? だって、今回も「何年後に出所する予定」ってこと、事件が「風化しないように」わざわざ知らせてくれてるんだから。 あのさ、マスコミさんや、あんたら、国民が怯えるの面白がってるだろ?
私は「出所しても酒鬼薔薇がまた犯罪を起こすのではないか」という心配はあまりしていない。通り魔なんていつでもどこでも出るもんだよ。明日、我々は別の通り魔に襲われるかもしれないわけだよ? 酒鬼薔薇一人を恐怖したってしかたないじゃん。道端でウンコ座りしてるヤンキーの兄ちゃんたちの側通る方がよっぽど怖いわ。 なのにマスコミさんはいちいち知らせてくれるよねえ。彼だけがあたかも危険であるかのように、不安を煽ってくれるよねえ。後始末もようせんくせに。 で、あとを引き継ぐのはネットの仕事だ。酒鬼薔薇が出所した途端、ウソもマコトもいっしょくたで彼の個人情報が出回ることは目に見えている。名前をどう変えたか、何の仕事についたか、今どこに住んでいるか。人の口に戸は立てられないのだ。
ネットにそこまでの力があるか、という疑問を持つ人は、2ちゃんねるが堂々と存在している現在、もうあまりいないと思う。 はっきり言って、酒鬼薔薇の本名も顔写真も、既に相当ネットで出回っちゃってる。この期に及んで酒鬼薔薇に社会復帰が可能だと考えるのは甘すぎるのではないか。 しかももう一つヤバいなあ、と思うのは、巷に溢れる情報には相当数、ガセも混じってるだろうってことだ。私もかつて、酒鬼薔薇の写真を見たことがあるけれども、ホントにどこにでもいそうな顔なんだよ、これが。こいつに間違われそうなやつ、知り合いで少なくとも5人はいるよ。 数年経って、出所した時の彼の顔は当然成長して変わっているだろう。となると、もと「酒鬼薔薇」に擬せられてしまう人間は、恐らく今以上に続出するのではないか。
新聞やテレビがさ、情報を伝えるのが使命だって考えてるのは分るよ。けど、いつもいつもニュースは垂れ流しで、その後のことなんてなにも考えてないじゃんか。 酒鬼薔薇の更正を誰もが信じられるほどにこの社会が成熟しているならばともかくも、それは期待薄だろう。だとすれば、マスコミがやってることは、「情報による恐怖政治」、ヒトラーのユダヤ謀略論と何ら変わるところがない。 こうなると私ゃ、酒鬼薔薇が出所してきてまた犯罪を起こすんじゃないかって心配より、誰かが疑心暗鬼になって、酒鬼薔薇自身を殺しゃしないか、あるいは全く関係のない人間が酒鬼薔薇と疑われて誰かに殺されやしないかなんてことまで心配しちゃうよ。 と、これでも誤解を招きそうなので補足すれば、私は酒鬼薔薇の身を心配してるんじゃなくて、どんな形であれ、あの事件がきっかけとなって、再び「殺人」なんて事件が起こること自体を避けてほしいと願ってるのよ。 そこまで考えてるか? 司法。 法律改正が間に合わなくて、どうしても出所させなきゃならないとすれば、社会不安を解消するための手段、今から考えておかなきゃならんのじゃないか? 前から思ってんだけどさあ、人権派の方たちを1ヶ所町に集めてさあ、コミューン作ればいいんじゃないかと思うんだけど、どうかね。出所した犯罪者はその町で働くんだよ。体のいい「佐渡島」じゃないかって思うかもしれないけれど、人権派って、やたら多そうだから二県か三県くらいは集まるんじゃないの? それだけ広けりゃ、出所して来た人たちも「島流し」されたって印象を持たなくてすむでしょ。回りの人も絶対優しいはずだし偏見持ってないだろうし。
でもまあ、現実には酒鬼薔薇の弁護士だって、「できるだけひっそり住め」くらいの処置しか取らないだろうね。で、ほかにどんな凶悪な事件が起ころうとも、その対処としては常に対症療法のみしか行われないのである。 司法や人権派とやらが何もしないのであれば、我々は「気にしない」ことで対抗するしかないのである。だってそれじゃ気がつかないうちに殺されちゃうかも、と疑心暗鬼になるのが一番マズイ。民衆が躍らされ慌てふためいてる様子を見て、内心喜んでる連中がマスコミなんだから、やつらをわざわざ喜ばしてやるこたねえやな。本当に恐怖を撒き散らしてるのは酒鬼薔薇ではないよ。 人生なるようにしかならん。死ぬときゃ死ぬんである。それくらいの覚悟がないと生きてけないんだろうね、実際の話。
またしげを待たしちゃいかんと思って、勤務が終わるやいなや、玄関先に出るが、しげの車が見えない。携帯に連絡するが繋がらない。また寝坊しているのだ。ちょっと最近頻繁だなあ。 外は結構な雨。空気も湿っぽくて暑苦しい。 てっきりしげが来てくれるものと思い込んでいたので、傘は用意していない。 全く、来なくていいときにはやたらひっついてくるくせに、人が困ってるときには来やしねえ。マーフィの親戚か、おまえは。 同僚が「失礼します」と言って、横を通りすぎていくが、「あ、どうも」と答えて突っ立ったままのこちらはアホみたいである。 バス停まで歩いていけばぐしょ濡れになることは解りきっているので、もうタクシーで帰ろうと思って、職場から玄関先まで来てもらう。 職場は山の上にあるのだが、以前は運動もかねて山の下まで降りて行き、そこからタクシーを拾っていた。職場の前からだと、いくら金額が違うかというと、これが結構な額で、2、3百円は余計にかかるのだ。 何となくその、2、3百円かかっちゃうってのが業腹なので、どうせカネがかかるのならちょっと遊んじゃえ、と思って、博多駅を回ることにする。 ……いや、遊ぶったって、ホント、本屋とか回る程度なんですって。 博多駅まで直接タクシーを乗りつけるのも軽く2千円を越すので、福岡空港の地下鉄駅まで行ってもらい、そこから地下鉄で博多駅まで。紀伊國屋で本やDVDを物色したあと、マクドナルドで食事。 なんかもー、しげと顔を合わせたくもなかったので、そこで8時過ぎまで本だのなんだの読みながら時間をつぶす。
マンガ、北崎拓『なんてっ探偵▽アイドル』9巻(小学館/ヤングサンデーコミックス・530円)。 原案協力に井上敏樹がいるせいか、展開がますますアニメシリーズっぽくなってきたなあ。怪盗リストが登場した時点で頭を抱えてたけど、今度は「ナイスバディ、キュートな笑顔、そして鋭い勘……。トリコロールの魅力をひとりに凝縮したアイドル、藤巻ゆかり」の登場と来たもんだ。 でもなあ、アキラが結果的に真相にたどりつくわけだから、こいつもただのバカキャラとして登場させたってことは分るんだけど、そんなありきたりの設定、もういい加減でやめにしないか? 『金田一少年』と『コナン』を私は散々貶してるけれど、それはかつてのミステリ(主に小説や映画)が持っていた「謎と論理」や「冒険」、「怪奇」といった面白さのエッセンスを、薄めて薄めて拡大再生産してるだけで何一つ新しい魅力を付け加えていない点に尽きる(ともかく、全ての事件において「犯人の動機の弱さ」が指摘できる)。 それでも、それまでミステリに触れたこともないような読者にまで間口を広げたってことで、この二作は一応エポックメーキングとして評価できなくはないのだ。でも、後続がアタマ悪い作品作っててどうするかね。 どうも「どうせ漫画」「たかが漫画」ってとこに安住してる気がしてならないんだよなあ。
マーティン・ガードナー著・市場泰男訳『奇妙な論理Ⅰ ―だまされやすさの研究―(In the name of science)』『奇妙な論理Ⅱ ―空飛ぶ円盤からユリ・ゲラーまで―』(社会思想社/現代教養文庫・各630円)。 社会思想社がぶっ潰れたんで慌てて買った二冊。 いわゆる「擬似科学」の解説本で、載ってる話はたいてい『トンデモ本の世界』シリーズの中で紹介されてるものだけれど、驚くべきことはこれがアメリカじゃ1952年に出版されてるってことだね。日本でトンデモ本ブームが起こったのはせいぜいこの10年。それまではそれこそインチキがはっきりバレてる清田某なんかをマスコミはずっと持ち上げてたんだからね、無知なる大衆を騙し続けてきたその罪は相当深い。 まあ、私も70年代のユリ・ゲラーブームのときには一所懸命スプーン擦ったけどよ、当然一本も曲がらん(^_^;)。そう言えば大学時代に「俺はスプーンを曲げた!」と主張していた長野のNくん、お元気ですか(見てないって)。 ユリ・ゲラーを完全にインチキって思ったのは、ルーム・ランナーのCMに出たときだったね。だって、全然ルームランナー買う気にならなかったから。 この世に超能力が全くないとは言わんが(火事場のバカ力とかはありそうだしな)、少なくとも、たかがスプーン曲げてるだけで「超能力だ」と主張しているうちは、信頼しちゃいかんよ。あの人たちも「この力を平和のために使いたい」とか偽善的なハッタリをかまさなかったら笑って見てやっていいんだけどね。だからスプーン曲げと人類の平和との何がどう関係してるってんだよ。どうしてあの人たちはただの「超能力ショー」を披露するだけでがまん出来ないのか。やっぱり無能力者ほど、「実は自分にはスゴイ力がある」って幻想にすがりついていたいのかもね。 考えてみれば、ユリ・ゲラーなんかは詐欺師としてはかわいいものである。彼ら超能力者、霊能力者、宗教家が本物かどうか判別するのは簡単で、カネを集めたがってるかどうか見りゃいいんだからね。 けれど、科学者の場合はホントに資金が必要な場合があるから判別しにくいんだよね。少なくとも「大学では私の新理論を理解できないから、民間施設の委嘱を得て活動してる」なんて言ってるやつは大ウソつきだろうけど。
この本は別に超能力のインチキを暴露してるだけじゃなくて、例のヴェリコフスキーの『衝突する宇宙』のインチキ(彗星の接近がモーゼの紅海分断を起こしたってやつね)や、地球空洞説やらオルゴン理論(オルゴンエネルギーで病気は全部治せるとか)、ダイアネティックス(サイエントロジーですね)なんかも取り上げている。 いつの時代どの国でも、何か超自然的なものに惹かれる心理というのは分らなくもないが、問題は、そういうのの大半が詐欺だってことに気づかない人間がなかなか出てこない、あるいは少ない、といったことの方に問題があると思う。 だってなあ、やっぱりノストラダムスの予言が外れたあとでも「あれはノストラダムスが予言したから滅亡が来なかったんだ」とか「実はあれは1999年ではなかった」って言い張ってたやつ、知り合いに結構いたし。否定したらヒステリー起こすしよ。全く、何をどうしたらこんなバカが生まれてくるんだ。 人を騙す方も騙される方も、現実世界の中で自分の価値を見出せなくて、虚構の中に生きようとしてるんだろうけれど、だったら自分たちだけで生きてってほしいものである。
徳間書店『アニメージュ』8月号。 あー、『魔王ダンテ』、テレビアニメ化っすか。脚本が上原正三。今更だよねえ。それにあの原作、ドラマとしては相当破綻してんだけど、今の視聴者の眼から見たら物足りないんじゃないかね。もちろん、映像としてスゴイもの見せてくれたら面白いんだけど、テレビの小さなフレームで、それが伝わるものかどうか。やるなら劇場で一本、中身を凝縮してやってほしいんだけど。誰も見に行かんか。 まあアニメにするなとは言わないけれど、先に『デビルマン』の続き、飯田馬之介さんに作らせてほしいけどなあ。
アニメーターの石田敦子さんがエッセイ『愛を追いつめろ!』の中で、伊藤俊人さんとナンシー関さんを追悼している。ひとことだけ、「たださみしい」。 何万言を費やすより、ジンと来る。石田さんも多分、同世代。
角川書店『Newtype』8月号。 林原めぐみの『愛たくて逢いたくて』(実は読んでます。わはは)、ゲストがなんと内田春菊。この組み合わせはなかなかビックリだなあ。 2ちゃんねるなんかでも、内田春菊バッシングは相当スゴイものがあって、もうリクツもクソもなくなって感情の垂れ流しになってるけど、まあ、それだけ人の琴線に触れるものを描いてるってことだ。作品がいかに内田春菊の実生活をモデルにしていようと、エッセイや後がきで元夫の悪口言いまくってようと、それが内田さんの「作風」なんだからねえ。文句つけるんなら読まなきゃいいのに。全く何様のつもりなんだか。 離婚に関してはいろいろあったはずなのに、黙して語らぬさくらももこや倉田真由美に比べりゃ、内田さんのほうがよっぽど潔いわ。黙ってるほうが潔いってのは大間違いだよ、だって、「自分のほうが悪者」と受け取られること覚悟の上で書いてんだからさ。
対談自体は、何しろ載ってるのが『Newtype』だからね、余り過激なことは載せられまい。 内田さんのプライバシーにも入りすぎちゃいないけど、林原さんが性的なことを高校のときに読んだ内田さんのマンガで開発されたってのは面白いな。私ゃ、内田さんのマンガは今に至るまでずっと性的にストイックなマンガだと思ってたんだけど。『幻想の普通少女』なんて特にね。 男に簡単にマタ開こうが、それが性的に開放されてるとは限らない。だから、内田さんのマンガのキャラクターは男に抱かれて気持ちよくても、すぐに別れる。性の開放ってのがホントは心の開放だということならば、そこに辿り付くには一朝一夕にはいかないんじゃないか。だから内田さんは今のダンナで3人目か? 未だにストイックな心を持ちつづけてると思うんだけどね。
DVD『アベノ橋魔法☆商店街』vol.1(スターチャイルド/KIBA779・1890円)。 うーむ、悩んだ末に結局買った『アベノ橋』DVD。 オタクがこうも細分化してしまった今、たとえガイナックスの新作と言えど、ヒットするとは限らない。だいたい、キッズステーションでの放送ってのがとても人口に膾炙するとはとても言いがたいしね。よほど「面白いぜ!」という要素がない限り、口コミも効果がなかろう。 で、5年後には「幻のアニメ」になるであろうことを見越してDVDを購入(^_^;)。実はウチの本棚にはそーゆーアニメが多いのよ。『宇宙海賊ミトの大冒険』とか『デュアル!』とか、もうみんな忘れちゃってるだろうなあ。好きだったんだけど。 本放送時は見逃していたので第1話は初見なんだけど、なんだこれ、大阪を舞台にした『オトナ帝国』じゃん。脚本のあかほりさとる&山賀博之がそのことをどの程度意識してたかどうかは分らないけれど、実際そうなっている。消えて行こうとする「アベノ橋商店街」をなんとかして残したいという思いが主人公のアルミとサッシを別世界に飛ばしてるって設定だし、エンディングには「太陽の塔」も出てくるし。藤原啓治さんがパパン役で出演してるのは偶然だろうけれど。大阪のことはよく知らんけど、阿部野橋って実在してるのか? もしかしてガイナックスがこんなの作ったのは、東京者に『オトナ帝国』を作られた大阪者としての腹いせだったりして。主人公のサッシがオタク少年ってのもなんとなく『ハレのちグゥ』のハレみたいだよねえ。打倒「シンエイ動画」ってか? 思い返すに、オタクマインドに溢れてたアニメって、10年ほど前まではガイナックスの専売特許的なとこがあった。それは、かつては思い切り卑俗な形でのパロディ(モブシーンにどこかで見たようなキャラがいるとかね)として現れてたんだけれど、しばらくナリを潜めていたところに、実に効果的な「演出」として洗練された形で『オトナ帝国』にやられてしまった。 ガイナックスの人たち、内心では悔しく思ってたんじゃないかな。本来、『オトナ帝国』のような作品はガイナックスが作るべき作品ではなかったかって。 『彼氏彼女の事情』が途中から失速して以来、『フリクリ』にしろ『まほろまてぃっく』にしろ、ちょっとガイナの方向を模索してるって感じがある。っつーか、アニメの制作者たちって、昔はアニメファンでもいざ自分が作り手の立場になると、他人の作品を見なくなるんだよね。で、だんだんと作るものが時代からズレていくことになる。手塚治虫も黒澤明も死ぬまで他人の映画をやたら見てたことはスゴイことなんだけど、そのことの意味、ガイナックスは考えているのかどうか。 この『アベノ橋』はもしかしたらガイナックスの「焦り」なのかもしれない。
2001年07月12日(木) 怨念がおんねん(古)/『平成十三年度版 九州怨念地図』ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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