無責任賛歌
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2002年04月06日(土) |
スランプで寝てたっス/『COJI−COJI』完全版1巻(さくらももこ) |
さて、予定通り更新が遅れている私である(^_^;)。 以前の更新の遅れは、単に疲労の蓄積だったりしたのだが、ここ数日のは実は「スランプ」であった。 ……おお、私にもあるのか、スランプ。 だいたいにおいて、私は文章を書く時、悩まないタイプである。 小学校の時から、1時間授業の中で作文を書きなさい、と言われたら、そのときにはもう書きはじめている。 50分授業だと、課せられる枚数は400字詰め原稿用紙で5枚が限度。たいていみんな2、3枚しか書けず、残りは宿題、ということになっちゃってたのが、私一人、7、8枚書いてたりしてたのだ。 教師が「書けるだけ書きなさい」と言うものだから、素直にそれを守ってたのである。でもこういうのが級友からは「イケスカネエやつ」と見られてた原因の一つだったらしい。 今やパソコンでキー打つだけだから、1時間なら十数枚は書ける。毎回随分書いてますね、と言われるが、実は20枚書くのに2時間かけちゃいないのだ。
なのにである。
パソコンの前でウンウン唸るのだが、書けない。 何を書けばいいのか分らない訳ではないのだ。 内容は決まっている。 構成も考えてある。 なのに最初の一行が出て来ない。 こんなことは初めてである。 なんでこんなことに、と周章狼狽、ヘンなもんでも食って当たったか、と思って、ハッと、これが「スランプ」というものであるかと、やっと思い至った。
原因は何なのか。 つらつら考えるに、一つは診断結果が悪かったせいだろう。 自分ではあまり気にかけてなかったつもりなんだが、深層意識では結構コタエていたのではないか。 なんたって失明宣言である。 今までも何度か「危ないよ」と宣言されてきてはいたものの、「あと十年」なんて区切られたのは初めてだったからなあ。 本も映画も見られなくなる日が来る、あるいは死が目前に迫る、覚悟はしていてもそれが現実のものとして目の前に迫ると、人間やはりあがいてしまうということなのだろう。 そういうのはみんな運命だからなあ、諦めるしかないんだけれど、諦めがつかないのもそれが人間である何よりの証拠なのだね。
もう一つ心当たりがあるのが、ここ数日であるトラブルに巻き込まれちゃったのだが、諸事情でそのことがこの日記に書けないことである。 基本的に私は日記には知人の悪口でも書く。親しいほど容赦しない。 ある程度個人の不利益になる表現は避けるが、悪口書いても影響がない(あるいは書いた方が当人の益になる)と判断したら、そりゃもう書きまくる。 それで当人との仲がこじれたらどうするの、とはよく言われるが、「なぜそんなことを書くのか」という筋道はちゃんと提示しているのだ。それでこじれちゃあようなら、何をどうやったって、結果としてこじれるようになってるのだ。 だから、今回のトラブルについても面白おかしく書こうかとちょっと考えはしたのだが(その関係者の方々に親しみを感じているからこそ)、別の意味で相手を傷つける危険性に気づいたので「今は書けんなあ」と判断したのである。 事情がわかんない人には何を書いてるのか自体、よくわからんだろうけど。
で、そのことが書けないなあ、と思ったら、連鎖的にほかのことが書けなくなつちゃったのである。 意外と私って繊細? でも、今日、たっぷり寝たらケロッと治ってやんの。 なんなんだ私のスランプ。 つーわけで、今日は一週間の疲れが一気に来てる感じで、昼間はずっと寝る。 便秘のせいか、腹から腰にかけてメチャ重い。 少しでも体を軽くしようと風呂に入って腹を揉んで、それからトイレに篭るのだが、ガス一つ出やしねえ。 仕方なく横になって寝る、の繰り返しである。 本当は今日、『機動警察パトレイバー』の劇場版第3作を見に行こうと思ってたんだけど、明日スタッフの舞台挨拶があるってんで、今日行くのはやめた。 結果的に今日の予定が空いちゃったんだよねえ。 こういう時こそ日記の更新したかったんだけどなあ。 スランプ恐るべし。
昼飯は冷凍の喜多方ラーメン。 チャーシューとメンマと何かの菜っ葉も一緒に冷凍されてて、それで百円ちょっと、というのはマジで安い。 量も多からず少なからずで適当なので、昼飯にはちょうどよい。 インスタントより、こっちのほうが、多分、妙な合成添加物とか入ってなくて健康的だと思うんだが、今一つ、カップラーメンとかに比べて冷食はポピュラーじゃない気がする。 味でいけば麺にも腰があって、圧倒的にカップ麺より美味いんだがなあ。 やはり、たとえ不健康であっても、イメージとして、カップ麺の方が安価で手ごろ、というように刷り込まれているのだ。 ほんのちょっと、お湯を沸かす手間をかけるのさえ惜しくなるほどに、「時間」の走狗に成り果ててるのかな、我々は。 かと言って、エレベーターに乗るのを避けてあえて階段を歩くようなやつに付き合うのも好きじゃないが。
しげ、今日は練習からすぐ帰ってくると言っていたのに、全然音沙汰がない。 夜の10時を回っても連絡がないの携帯に電話すると、其ノ他くんとこで遊んでるらしい。 妻「タコ焼き買ったから、お土産に持って帰るよ」 私「タコ焼きはいいから、おかずになるもの買って帰れよ」 妻「でも冷凍庫に餃子とかハンバーグあるんでしょ?」 私「アレは俺の非常食。勝手に食うなよ」 妻「わかった、買えたら買う。あ、それからZUBATさんに連絡入れてくれない?」 私「何の用?」 妻「ほら、ビデオカメラ貸す件。『明日会えませんか』って」 私「会えね〜よ。映画行くし」 妻「私も一日いないよ。映画終わって会えば?」 私「会えばって……じゃあ、そう連絡入れてよ」 妻「何で自分でせんの」 私「ZUBATさんの電話番号知らないよ」 妻「……だっけ?」 私「教えてもらってね〜よ!」 自分の知り得た情報は私には教えないくせに、私が秘密を持つことは絶対赦さないタイプなんだよな、しげは。 骨の髄までジャイアンだよな。「オマエのモノはオレのモノ、オレのモノはオレのモノ」かよ。 そのあとメールで番号を教えてもらってZUBATさんと連絡をとる。 就職が決まったのでZUBATさん、随分明るい。 天神で昼過ぎに待ち合わせを決める。
しげが買って帰ってきたハンバーグとコロッケ(やっぱり肉)を分けて食う。だから肉ばかり食うなよ。と言ってもムダだよなあ。 しかも、食べきれないと言って私に寄越す。食餌制限の授業受けたばかりなのに何も考えてないよな。よっぽど私に早死にしてほしいらしい。 しげがそんなに私に早死にしてほしいならと思って食う。私がしげの制止を振りきってメシ食ってると思ってる人がいるといけないので明記しておくが、私にバカバカ食わしているのはしげなんである。 だって、私が食ってないと、自分だけ肉食うわけにいかないからだ。 つくづく自分のことしか考えてないよな。 しげ、まだ具合がよくなってないのかそのまますぐに寝る。 そのまま牛になっちまえ。
マンガ、さくらももこ『COJI−COJI』完全版1巻(幻冬舎・1260円)。 アニメにもなってたんだよな、これ。福岡じゃやってなかったけど。 『ちびまる子ちゃん』もそうだけれど、さくらさんのキャラクター造型力は、基本的には子供のラクガキ以上のものではない。 だからまあ、小林よしのりが「昼寝しながらでも描ける」と揶揄するのもわからなくはないのだが(お前が言うかってのはあるが)、下手な絵がマンガとして魅力的でないかというとそうでもない。 難しいのは、「マンガの絵」として考えたとしても、決してさくらさんの絵、魅力的とは言い難いと思うし、その思想も決してスゴイと唸るほどではないんだが、言い帰ればその「適度感」がヒットの原因にはなっていたのだろう、少なくとも『ちびまる子ちゃん』に於いては。
『まる子』ほどにヒットしたとは思えない、『コジコジ』や、『神のチカラ』といった短編集。こちらの方に実はさくらももこの作家性は表れていると指摘する人は多いのではないか。 コジコジは宇宙生命体であり、なぜかメルヘンの国の学校に通っている。 外見は小熊に似ているらしい(さくらさんの画力じゃクマには見えないが)。 宇宙生命体であるせいか、あまり地上の常識(それがメルヘンの国であっても)には拘らない。 神様に手紙を書こうとする天使のルルに、コジコジは無邪気に尋ねる。 「相手にしてくれなきゃこっちも相手にしなきゃいいのに手紙なんか書くのよしなよ」 しかもルルが出そうとしている神様というのが実はもの知り爺さん(そういう胡散臭いやつもメルヘンの国にはいるのだ)がでっち上げたニセモノだから、話はややこしい。 つまりこの世界、天使は実在しているが、神様はいない世界なのだ。 メルヘンなのに神様はいない。 さくらさんは実のところ「そういう考え方」をする人だということに、『ちびまる子ちゃん』のファンはどれだけ気づいているのだろうか。
2001年04月06日(金) プレ花見/『ミスター・クリス』3巻(秋本治)
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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