無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年03月05日(火) さよなら半村良/ドラマ『盤嶽の一生』第1話/『かりそめエマノン』(梶尾真治)

 終日土砂降り。
 しげが車で迎えに来てくれてなかったら、帰りは濡れ鼠だなあ、と思っていたが、職場の玄関脇に車を停めてくれている。
 しげがこうやって気を遣ってくれることなんて、千年に一度くらいしかないことなので、やたら嬉しい。
 けど、嬉しい様子を見せるとしげは絶対に図に乗るので、ポーカーフェイスで過ごす。
 職場の近所の本屋に寄ってもらうが、目当ての『マニア蔵』、小さな本屋なので置いてない。
 やっぱり昨日、紀伊國屋に寄ってもらってたらなあ、と臍をかむがいたしかたない。
 しげに、「明日は絶対紀伊國屋に寄ってくれよ」と念を押す。
 でもなんか裏切られそうな予感がするなあ。。


 しげ、「シティボーイズのチケット取れたの、夢かもしんない」なんて言い出す。
 しげの杞憂は今に始まったことではないが、それにどう返事をしてやればいいのかね。
 「夢じゃないよ」と言ったって、それで納得できるくらいなら、初めから妄想自体抱かないわけだし。
 ホントに夢だったら泣くだろう。自分で自分が悲しくなるような妄想、抱かなきゃいいのになあ。
 

 仕事帰りに寄ったうどん屋、初めて入った店だったが、中が広くて、感じがいい。
 しげは何となく気分が悪そうだ。余り寝ていないと言うが、しげの「寝ていない」ってのは「6時間しか寝てない」とかだから、余り同情したって仕方がない。確かに目の下にクマができて気分は悪そうだ。
 そういうときに、普通頼むのは、ウドンとか、あっさりしたものだろう。なにのにしげが頼んだのはロースカツ丼。
 値段も良心的で、味も普通、何より種類がたくさんあるのがいいので、ここは結構通いやすいかな、と思ったのだけれど、しげ、「熱くて食べられない」だの、「脂身が多くて気分悪い」だの、わがままばかり言う。
 ……この値段ならたいしていい肉は遣ってないと判断するのが常識ってもんだろうに。第一、気分が悪いなら、こってりした物頼むほうが悪いに決まってる。
 私はそのそばで焼肉オムライス定食を食べていたのであった。
 しげ、帰宅して「眠い」と言ってそのまま寝る。
 クスリ飲むとか、栄養剤飲むとかすればいいのに。


 テレビ、『盤嶽の一生』第1話「わが愛刀よ」。
 全く、知る人ぞ知るって作品を映像化してくれるから、市川崑って侮れないんだよなあ。
 白井喬二の『盤嶽の一生』が新作で見られる日が来るなんてねえ!
 白井喬二って誰だって?
 あのさ、いやしくも時代小説ファンなら、国枝史郎の『神州纐纈城』、中里介山の『大菩薩峠』、白井喬二の『富士に立つ影』くらい読んでないとファンとは言えないぞ。全部文庫で手に入るし。
 もっとも私は全部途中で挫折してるが(^_^;)。
 けど『盤嶽』はなあ。見たくて仕方なかったんだよ。
 愚直なまでに実直、ために逆に世の中のウラオモテも機微もわからず、剣の腕が立つにもかかわらず右往左往する羽目になる浪人、阿地川盤嶽。
 何度か映画化もされ、大河内伝次郎や小林桂樹が彼を演じているが、映画の方も残念なことにお目にかかったことがなかった。
 ……お目にかかりようがないよ、だって大河内版はあの天才、山中貞雄の失われた一本なのだもの。
 今回のテレビ版は、市川崑自身による脚色だが、ベースはあくまで山中貞雄版に準拠するという。
 なるほど、ラストの「騙されて また騙されて 盤嶽よどこへ行く」の字幕テロップは、盤嶽が徹底的に野暮天なだけに、かえって粋だ。
 このテロップの声は誰の声か。登場人物の声でもなければ天の声でもない。
 我々の声だ(音声が出ないとこがまた粋だよ)。
 このへんが山中貞雄テイストと市川崑演出の融合なのだろう(フカサクは、少しはこういうテロップの出し方覚えろよ)。
 主演の役所広司、『どら平太』の時も思ったが、ちょっと力みすぎ。
 ウソに対して過敏に反応して激昂するのはわかるが、いやしくも盤嶽は武士だ。武士としての怒りかたってものがあるはずなのに、どうもどこかチンピラくさい。もう少し固さが取れてくれりゃあなあと思うんだけどな。
 そのあたりを割り引いても、時代劇でこれだけ面白いものに出会えたのって、初期の必殺シリーズ以来じゃないか。
 ……やっぱ、昔の原作、もっと掘り起こそうよ。
 若い脚本家に時代劇、マジで書けなくなってんだから。


 SF作家・半村良氏が4日死去。享年68歳。
 期待しちゃいなかったけど、『太陽の世界』はやっぱり完結しなかったな。『妖星伝』を完結させただけでも立派なものだけど。実はどっちもまだ読んでない(^_^;)。せめて『妖星伝』くらいは読んでおかないとなあ。
 でも私が最初に好きになった半村さんの作品は『収穫』だったのだ(って、デビュー作じゃん)。『サイボーグ009』の『天使編』のもとネタになったヤツ(よくあるネタではあるんで「盗作」とは言えないけど)。
 あと、『H氏のSF』。
 後の長編伝奇SFの流れを作った経歴からすると、半村さんの短編ばかり好きになるというのはご本人には申し訳ないことかもしれないけれど、なんだか半村さんの長編って読みにくくてねえ。

 実は一番好きなのは、NHKでドラマ化もされた『およね平吉時穴道行(ときあなのみちゆき)』。

 コピーライターの「私」が、江戸時代の戯作者、山東京伝の文献を調べて行くうちに見つけた岡っ引平吉の「こ日記」(「こ」の字は変体仮名)。それには京伝の妹、およねへの恋心が切々と綴られていた。
 しかし、ある時、およねは神隠しに遭う。しばらくして、平吉の日記はいきなリ明治に飛ぶ。平吉は、その記載を信じる限り、百数十年生きた計算になる。
 この不可解な二つの事実は何を意味しているのか。
 「私」はその意味を突き止めかねているうちに、ふとしたことから、歌手の菊園京子が、誰も読んだことのないはずの「こ日記」の内容を知っていることに気づいた……。

 SFを絵空事とバカにする人にはこのドラマも「ありえないこと」で片付けられてしまうのだろうか。
 しかし、基本的にSFはメタファーなのである。いや、虚構自体が現実のメタファーなのだと言っていい。
 だから、物語が現実に即しすぎては逆に読者はそれを「他人事」としか思えず、感情移入を妨げることにもなる。
 時代を越えた恋。もちろん、現実にそんなことはありえない。
 しかし、我々は結局、自分たちが生きてきた「時代」に束縛された形でしか生きられない。
 育った環境が、国が、文化が、年齢が違うことが「壁」となって、二人の恋を引き裂くこと。
 それを最初に教えてくれた小説はこれだったように思う。
 あ、それから古い東京人が「向う岸」のことを「向こう河岸(がし)」と呼ぶこともこの作品で知ったな。こういうディテールも、すごくよくできてるんだよねえ。

 これは、もう、私のフェバリットSF短編の筆頭だ。
 原作もよかったが、ドラマもすばらしくよかった(1977年。ついこのあいだだねえ)。
 主人公と、この字平吉の二役を演じたのは寺尾聰。およねには由美かおる。山東京伝に西沢利明。朴訥で冴えない平吉に寺尾造聰はハマリ役だったし、時代を越えた美少女(というトシではなかったが)というムードを当時の由美かおるは確かに醸し出していた。うん、これ以上はないって配役だったなあ。
 原作にはない平吉の「そりゃねえよ」というセリフが繰り返される演出、実に印象的だった。杉山義法の脚本、スバラシイの一語に尽きる。
 つい何年か前にも再放送があっていたから(録画し損ねた!)、ビデオ化は可能なはずだ。……やれよNHK。


 梶尾真治『かりそめエマノン』(徳間デュアル文庫・500円)。
 宇宙の誕生以来の記憶を持つ少女、エマノンシリーズの最新作。
 って、ネタバレいきなりカマしちゃってるけど、これがシリーズになってなかったら、当然、エマノンの正体、この日記にも書かずにすましてるよ。
 うーん、難しい評価になっちゃうけど、このシリーズはもう、第一作が最高傑作なのはこのエマノンの設定にかかってることなんで、あといくらシリーズ続けても第一作を越えられない仕組みになってるのね。エマノンの魅力にトリコにされちゃった読者の方々には悪いんだけど。
 だってさあ、三十数億の記憶を有する少女の苦悩なんて、たかだか数十年の記憶しか持たない人間に想像なんてできるわけないって。
 いかに梶尾さんの才能をもってしたって、それを描くことが不可能だってことはわかるじゃんよう。
 だから、1作目はそのあたりをぼかすことで小説として成立し得てたわけ。
 常人には計り知れない苦悩を抱えた少女がいる、ということで、その「誰にも分らない苦しみ」が読者の共感を得たわけよ。
 でも、シリーズを重ねてエマノンを描けば描くほど、彼女の苦悩が卑小化されていくことになっちゃうんだよねえ。
 つまり、「エマノン、お前数十億年の記憶持ってるわりにはつまんねーことで悩むなよ」ってな感じ?

 「どうしても、ときどき自分の心の重みに押し潰されてしまいそうになるときがあるの。そのときに求めてしまうのが、これ……」……って、タバコかよ(^_^;)。スゴイなあ、三十数億年の苦悩がタバコ一つで和らぐってか。するってえと、人類の一番偉大な発明はタバコか?

 この3作目の最大の特徴であり、最大の美点であり、最大の欠点でもあるのは、エマノンに「兄」がいるという設定なんだけど、「なぜ兄がいるのか」って理由もだよ、「え? その程度?」ってなもの。こんな「誰にでも思いつく」理由でいいの? いくらなんでも陳腐過ぎる。SFのセンス・オブ・ワンダーのカケラもないぞ。
 ……だったら、エマノン、今まで「兄が必要」な状況に出会ったことがないってわけか? 三十数億年も生きてきて?
 実は世間知らずなだけじゃね〜のか、エマノン。それはそれでスゴイけどよ、三十数億年間箱入り娘。……SFだなあ(←皮肉)。
 ああ、あの1作目の感動はどこへ行ったんだよう。なんであれだけの傑作がこんな愚作にまで落ちるのかなあ。シリーズ化の難しさをつくづく感じちゃうよ。

 一気に書かれたせいか、設定上の細かいミスもある。
 物語冒頭で「兄」に会おうと決意するエマノンだが、それがラストシーンに繋がるものだとすれば、エマノンの言う「何故、今回得た生にだけ兄がいるというのか」というセリフと時間的な矛盾が生じる。
 ……言いたくないけど、梶尾さんもついに老境に入っちゃったのかもね。

2001年03月05日(月) SMOKE IN MY EYES/『銀河帝国の弘法も筆の誤り』(田中啓文)ほか



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