無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年01月11日(金) 先陣争い雪隠の役/『雪の峠・剣の舞』(岩明均)ほか

 仕事が遅くなったので、てっきりしげは怒って帰ってやしないかと思ってたが、携帯に電話を入れたら、「今向かってるとこ」だと。
 偶然にも私の仕事の遅れと、しげの寝坊が一致したのだ。
 本当なら、私は仕事が遅れたのを謝らねばならず、しげも寝過ごしたのを謝らねばならぬはずだが、なんだか偶然が縁起がいいような気がしたので、そのまま食事に出かける。

 一番カルビの割引券を何枚も貰っているのだが、期限が今月いっぱいである。
 使わなければ使わないでもすむのだが、どこで食事してもそれなりのおカネはかかるのだから、二人で千円安くなるなら悪くはない。
 ロースを中心に、鶏肉、ハラミ、牛ホルモン。
 ホルモンと言えば牛だと思い込んでいた私、メニューに「豚ホルモン」があるのを見て、頼んでみるが、これが焼いてみるとほとんど溶けてしまって、食い出がまるで無かった。これは失敗。
 デザートにぜんざいソフト、甘くはあるけどこれがしつこくなくてまた美味い。糖尿に甘いのは禁物じゃないかと言われそうだが、米から取れる糖質だけでは栄養に偏りが出るのでたまには構わないのだ。……ということにしておこう(ホントは果物から摂るのがベスト)。

 しげ、たらふく食ったはいいが、「ハラが痛い」と言い出す。
 というか、何であろうと食ったら必ずしげは腹痛を起こすのだ。どうももともと胃腸が丈夫な方ではないようなのだ。
 だったら、日頃から消化にいいものを食えばいいのに、うどんとか雑炊とかは「腹に溜まらんから食った気がせん」となかなか頼もうとしない。
 それで「食い過ぎてオナカ痛い」なんて言われたって、同情なんかしてやんないのである。
 もちろん、私も胃腸はめちゃ弱いので、帰宅すると二人でトイレの取り合いになってしまう。
 と言っても、先に入るのはたいていは私。
 なぜかしげは、全ての服を脱いでからでないとトイレに行けないので、そのスキに私がささっとトイレに入れてしまうのだ。
 ……先にトイレに入って、それから服を脱げばいいのに、結婚して10年、なぜそのことに気がつかんかな。やっぱり天然なんだろうな。
 こういうことを書いたから、じゃあ、次からしげが真っ先にトイレに駆けこむようになるかと言ったら、多分そうはならない。
 だってしげ、記憶力ないもの(^_^;)。次に帰宅したときには「先にトイレ」ってこと、絶対忘れてるのだ。
 「トイレは先に入れる」。
 クズでノロマでバカな妻を持って得する、数少ない利点と言えようか。


 FBS(日テレ系)金曜ロードショー『風の谷のナウシカ』を見る。
 もうすぐDVDが出る『ナウシカ』。
 ビデオはエアチェックで持ってたんで、LDはずっと買わずにいたんだけれど、待っててよかった。
 それはそうと、久しぶりに見返した本作だが、当時あちこち抱いていた不満を再確認、やっぱりこれを宮崎駿の代表作と言っちゃイカンよなあ、という感想を新たにした。
 ともかく、宮崎駿が世間的に評価されるのが遅すぎたんである。
 『ナウシカ』『トトロ』、この辺からオタク以外の人間も「ミヤザキハヤオ」という名前を認識し始めたと思われるが、もう「旬」は過ぎちゃってたのだ。
 冒頭の王蟲の抜け殻をナウシカが見つけるシーン、ナウシカの一人言の多いこと。「キレイ」とか、思わず口にしちゃう感動の声ならばともかく、いくら日本人より表現がハデな外人とは言え(ナウシカは外人だよな?)、不自然だ。
 こんな説明的なシーン、以前の宮崎駿だったら決してしなかった。長編を作り始めてからの宮崎駿、ディテールの作りがあちこちいい加減になってるんである。次作の『ラピュタ』でも、パズーが作ってた飛行機の始末つけないままだったし。
 けれどCGなんか影も形もなかった時代、あの王蟲の蛇腹の動き(担当したのは『エヴァ』の庵野秀明である)に、観客が(それこそオタク非オタクに限らず)歓声をあげたことは記録しておかなきゃいかんだろう。実際、アニメ技術に歓声が起きるなんて経験、そうそうあるこっちゃないのだ(この『ナウシカ』が公開された1984年には、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』の友引高校内の合わせ鏡のシーンでやはり歓声が起きた。多分こんな年は二度とない)。


 『ナウシカ』のウラだったので見られなかったWOWOW『スケバン刑事』、ビデオ録画して見る。
 『スケバン刑事』三部作の中では一番人気が高かった2代目麻宮サキこと五代陽子の南野陽子だけれど、今見返すと、やっぱり表情作るのが精一杯で、アクションはまるで腰が入ってないなあ。
 走るときも両手上げて女の子走りしてるし、演技指導する気が演出に全くないのが丸わかり。「演技」がなけりゃ、どんなに素材がよくたって役者は光らない。これじゃ当時、南野陽子が「日本一セーラー服が似合う美少女」と呼ばれてたことなんて、誰も信じないだろうな。
 ほぼ間違いないと思うんだが、テレビシリーズで鉄仮面着けてたときのキレのいいアクションは、吹替えだったんだろう。


 マンガ、岩明均『雪の峠・剣の舞』(講談社・714円)。
 『風子のいる店』のころは地味な印象しかなく、あれだけヒットした『寄生獣』もそれほどにはハマらなかった。
 必ずしも下手な絵ではない。表現力がないわけでもない。
 いや、日常の中に潜む何かがふと表に現れて、非日常に変化する「空気」をコマの中に表す技術には確かに長けているとは思うのだ。
 けれど、絵に「華」がない。なのに、『寄生獣』を見ていると、どうもこの作者、自分の表現したいものと自分の絵柄とのギャップにあまり気づいてないんじゃないか、という気がしてならなかったのだ。
 しかし、今回の作者初の歴史作品というこの二本。
 ハマっている。
 それなりに面白い作品はいくらでもあるが、再読、再々読に堪えるものなど滅多にない。それがこの作品、作者の地味な線、地味な演出が「堅実」さとなって、ひとコマひとコマの人物の表情、思いが読む者の心を打つ。一昨年読んだ漆原友紀の『蟲師』以来の感激だ(これも新刊が出んな)。

 『雪の峠』。
 関ケ原の戦いで西軍についた佐竹家は、敗戦後その責を取らされ、常陸から出羽に移封された。この後は、何をするにも徳川家の意向を汲んで行動せねばならない。
 藩主、佐竹義宣は、新たな居城を定めるにあたって、腹心渋江内膳と謀り、「窪田」を領府とする旨を、家臣たちに徹底させようとした。
 しかし、関ケ原で義宣が西軍につくよう決定したことを遺恨に思い、更には下賎の出身たる渋江内膳の台頭を許すまいとする旧家臣たちは、もと上杉謙信の家臣であった客分、梶原美濃守を立てて、「横手」の地を推す。
 戦さのない「平和」にあっての新たなる戦さ、内府家康をも動かす知略と権謀のせめぎあいが、内膳と美濃守の間で繰り広げられる。

 まずは、この渋江内膳の、線目で締りのない口もとの、一見凡庸としたキャラ、それと対照的に半白髪、美髯に老練さを漂わせる梶原美濃守との丁丁発止ぶり、そのキャラ設定が、史実に取材しているリアリティを更に弥増しているのが見事である。
 というか、ほんの脇キャラに至るまで、その他大勢的な無駄なキャラがほとんどいないのだ。これは稀有と言っていい。
 豪放磊落な川井伊勢守。狸親爺な和田安房守。若く実直な梅津半右衛門。多少腑抜けたかつての戦国武将、先代佐竹義重。酷薄な威厳を示し妖鬼と化した、回想の中の上杉謙信。
 そして、静けさと穏やかさをたたえつつも、最後に藩主としての厳格さ(あるいは残忍さ)を示す、当代佐竹義宣。
 ああ、まるで一編の映画を見ているようだ。
 これはもう、具体的にオチは書かないでおくので、ぜひとも読んでもらいたい。歴史を物語として描くとは、こういうことだと示した最上の実例である。

 『剣の舞』。
 『七人の侍』の冒頭、志村喬が扮する勘兵衛が、剃髪し、坊主に扮装して盗賊に人質にされた子供を助けるエピソードがある。あれは黒澤明の創作ではなく、このマンガにも登場する、剣聖・上泉伊勢守の話だということだ。
 ほぼ史実に忠実に描かれた『雪の峠』と違い、本作は、伊勢守の弟子、一説によればその剣技は伊勢守を越えていたとも言われる疋田文五郎の過去を、榛名(はるな)という少女を主人公にして創作している。

 戦乱の中、野武士に家族を殺され、凌辱された榛名は、復讐を誓って、疋田文五郎の弟子になる。
 つらい過去を持ちながら、普段の榛名はどこか茫洋としていて(このへんは「風子」以来の岩明ヒロインの定番だ)、文五郎は彼女に剣術を教えながら心が和むのを覚えていく。
 しかし、その結末は……。
 その後、文五郎と柳生石舟斎とが立会いを行ったエピソードは、いかにも創作っぽいが、どうやら史実であるらしい。私はこの話を池波正太郎の伝記小説で読んでいたのだが、それによると実際には石舟斎は伊勢守とも立ち会っていたらしい。もちろん、負けたのは石舟斎のほうである。
 だから、そのときの文五郎の心情がマンガに描かれていたものとは違っていたことは明らかなのだが、「時代小説」というのはもちろん、史実を再現することに目的があるのではない。
 剣豪小説はつまるところ、作者の考える「剣」の意義を表すものだ。
 一応、伊勢守が目指したのは人を殺す殺人剣ではなく、「活人剣」であったと言われる。だからこそ怪我をさせぬための「竹刀」も伊勢守は発明した。
 しかし、文五郎はどうであったか。
 伊勢守の一番弟子でありながら、奥義を授けられたのは石舟斎であったのだ。そこに岩明さんは、自分の考える「剣」とは何かを創作する余地を見たのではないか。
 文五郎は言う。
 「遊び」だと。
 そして、岩明さんの描く文五郎は、恐らく死ぬまで「遊ぶ」ことしかせず、「真剣」になることはないのだろう。
 剣の道など「たかが知れてる」のだから。

2001年01月11日(木) 一週間が長いなあ/映画『ノース 小さな旅人』



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