無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年01月05日(土) 食って寝て食って歌って/ドラマ『エスパー魔美』第1話/『ピグマリオ』7巻(和田慎二)

 仕事は午前中のみ、昼飯をどこで食うかでしげと揉める。
 「スタミナ太郎でいいんじゃない?」
 と私が言うと、「ホントはスタミナ太郎好きなん?」と言われる。
 そりゃ、千円以内で食べ放題なら魅力だよ。特にこう鬱が続くと、食って発散することくらいしか出来ないし。
 見た目、余り変化がないように見えるかもしれないが、それはもう、常識人として生きようとする私の修練の賜物であって(^_^;)、鬱の中に逃げこもうとする私を、もう一人の私がなんとかフォローしているのである。
 ……そうだよなあ、私がつい、しげに対して怒ってしまうのは、しげが自由にヒスを起こすのを見て、「俺はこんなにガマンしてるのに」と思ってるからなのだよなあ。
 もちろん、たいていの場合「自分だけが」と考えているのは間違いであって、相手だって相当ガマンを強いられているのに違いないのだが、そのことに気づかないのがストレッサーズである証拠なのである。
 実際、食って気分が晴れるわけではないことを知ってて食に走る状態が既に鬱。あとはひたすら寝て鬱をごまかすしかないかなあ。


 と言うわけでもないが、昼はたっぷりと睡眠を取る。
 今夜、映画を見る予定なので、途中で眠らないようにするためだ。四、五時間は優に寝て、英気を養う。
 本当に養えたかどうかはわからんが。

 夕方に起きて、NHK教育『エスパー魔美』第1話を見る。
 予告編段階で感じていたことはすべて的中。
 やっぱり個人的な感想としては、主演が魔美のイメージとは程遠い。意外にビックリしたのは、どこまで改変されるかと思っていたストーリーラインが結構原作に忠実だったこと。もちろん、画家のお父さんの前でヌードモデルになる描写はないが。
 原作者自らが、「魔美のヌードを出したのは少年マンガの限界に対する挑戦」と言い切っていたのだから、これこそが「原作の改悪」と主張をすることはできるだろう。下手にこういうことをされると、制約の少ない映画やOVAで、もっと魔美のイメージに合う女の子で、ちゃんとヌードで映像化してほしいという気持ちも起こってくるのである。
 いや、誰かにではなくて、自分でもホームビデオででもいいから藤子作品を映像化するなり戯曲にしたててみたい気は起きているのだ。無謀だってことはわかってるけど、この魔美を見せられると、どうしてもそう言いたくなる。
 オリジナルな設定で、魔美の親友が出てくるけど、これが『エイリアン9』『ナジカ電撃作戦』の井端珠里。まあ、魔美に比べりゃ遥かに顔出しに堪えてるけど、でもやっぱり動きはシロウトだなあ。……って、そりゃ14才だから仕方なかろうが。
 しかし、次の『カスミン』との間にCMが全く入らず、ビデオ録画の切り替えが出来ない。これはもう、『魔美』のほうは総集編再放送を待って録画するしかないかなあ(って、やっぱり録るんかい)。 


 今日こそは『ハリー・ポッター』を見に行こうと、6時過ぎに玄関を出た途端、しげの携帯にエロの冒険者さんから連絡が入る。
 「ぴんでんさんがこちらに来ているんですが、飲みに来ませんか?」とのお誘いである。
 今日を逃すとまたしばらく映画に行く時間が合いそうにないから、どうしようかとしげに聞いてみると、満面に笑みをたたえて「飲む!」と一言。やはり、こういう機会は逃さないのだなあ。

 エロさんのご近所の居酒屋でともかく食う。
 大人数での宴会も楽しいけれど、小人数だと、自然、周囲のことを気にしなくなるので話が自然と過熱する(人が多いと、話題についてこれない人がいないかとか、そんなことを気にしてしまうので、つい自分が喋るのを控えてしまったりするのだ)。
 「最近のバラエティはどうしてつまらないか」みたいな話題から始まって、ぴんでんさんがいきなり「コメディアンは独身に限る論」(なんだか『目黒のさんま』だな)をぶち上げたものだから、もうテンションが一気にリミッターを越えてしまったのだ。

 曰く、「結婚すると家庭に安住するからコメディアンはつまんなくなる。『ダウンタウン』の松本がよくて浜田がよくないのはそのせい。松本はピンでも立てるが浜田は立てない。『爆笑問題』も太田の方がいいように言われてるが、太田もやっぱりピンでは立てない」とか言うものだから、エロさんも私も猛烈に反論する。もちろん「家庭を持ってて大成したコメディアンもいるのではないか、タモリやたけしはどうなる」、とかなんとか。
 ぴんでんさん曰く、「家庭を持ってても真のコメディアンは家庭の破壊者になる」。いわゆる「芸のためなら女房も泣かす」ってヤツだろうか。
 なるほど、以前、筒井康隆が「現代作家がつまんなくなったのは品行方正なやつらばかりになったからだ」とかエッセイで書いてたが、既成の概念を破壊することが身上みたいな作家、芸人、コメディアンが小ぢんまりと収まってたらつまんなくなるのも当然だろう。
 横山やすしが伝説化されちゃうのは、あの人が最後の「破天荒型コメディアン」だったからかもしれない。

 コメディ論は延々と続き、とても全部をここでは書ききれないのだが、途中、エロさんが「グループキャラクターとしてのコメディを確立したのは『ドリフターズ』が最初だ」という発言につい「クレージーキャッツは?」とツッコミを入れてしまう。
 「クレージーは結局、ハナさん植木さん谷さんくらいで、あとは個性がない」と言われて、「でも他のメンバーだって……」と、クレージーの名前を挙げながら、ハナ肇、植木等、谷啓、犬塚弘、桜井センリ、石橋エータローと来て、最後の一人の名前がスッと出て来ない。
 なんと、エロさんもぴんでんさんもしげも七人目の名前をど忘れして出て来ない。
 「図らずも私の論が証明されたでしょう」とエロさん、勝ち誇る。ううむ、ドリフも好きだがクレージーはもっと好きな私にしてみれば、「そんなことない」と言いたいところだが、実際、初期の「クレージー映画」では、最初の三人以外はホントに十把ひとからげ的に扱われていた例も多いので、これも反論がしにくい。
 なんとしても最後の一人を思い出そうとして、ふと、心の中で、「そう言えば『無責任艦長タイラー』の中でクレージー・キャッツはパロディにされてたよなあ、植木等は『ジャスティ・ウエキ・タイラー』で、ハナ肇は『ハナー提督』で……」と考えていたら、スッと名前が出てきた。「……『ジェット・シン・ヤスダ』……『安田伸』!」。
 みんな、「ああそうだった、なんで忘れてたんだろう」と頷きあうが、まさかみなさん、私がこのときタイラーがらみで思い出したとは全く気がつかなかったであろう。
 全く、オタクはこういう連想しないとモノが覚えられないのかねえ。

 私もこのときは酔っていた。
 升酒が店のサービスで振る舞われて、運転のために飲めないしげの代わりについ飲んじゃったのだが、何しろ白酒飲んでも三三九度の杯でも酔ってしまうくらい分解酵素を持たぬ私であるから、これはもう効果覿面である。
 ついつい言いすぎもあったと思うが、ご容赦願いたい。
 実際、大学時代、酒グセが悪く、知り合いに多大な迷惑をかけたことがあるので、体のこともありはするが、酒は本気で断っているのである。

 せっかくだから、ということでカラオケに行こう、という話になったが、エロさんのご近所、めぼしいカラオケ屋がない。
 そこでうちの近所のシダックスまで遠征。
 初心者のクセして思いきり遠心力をかけてカーブを曲がるしげの運転にエロさん狂喜する。……本当に飲んでなかったのか? 私の目の届かないところで(つーか隣にいたけど)、こっそり飲んでたんじゃないのか(←あ、もちろん冗談だからね)。
 深夜だってのに部屋が込んでいて、アニソン関係の充実した機種がない。
 それでも歌える限りの特撮、アニソンをみんなで続々入れる。
 先日からピープロ番組の話題で盛り上がっているので、ぴんでんさんもエロさんも『快傑ライオン丸』『宇宙猿人ゴリ』など歌いまくる。私も対抗して『怪獣王子』を探したが見当たらない。けれど、あとになってよく考えてみたら、サビの部分以外忘れているのだ。「オーラー!」のあたりだけね。
 ああ、恥をかかなくってよかった……と思いつつ、次までに思い出しておこう、と考えているんだから我ながらバカである。
 ずっとあちこちのカラオケで探していて見つけられなかったCoCoの『思い出がいっぱい』(『らんま1/2』)を見つけて思わず歌う。男が歌って楽しいもんじゃないが、やっぱり酔っていたのだ。
 気分を盛り下げてしまったかもしれないが、これも平にご容赦。多分ある程度まとまった酒を飲んだのは数年ぶりだ。


 そのあとお二人をエロさんのお宅までお送りして散会。
 ここ数日間の鬱がちょっと晴れた気がする。

 もう少し、思い出したことなど。
 私のこの日記が、更新が滞りつつもなんとか続いていることについて、エロさんから、「十日も前のことをよく覚えていますね」、と言われるが、もちろん朝から晩まですべてのことを思い出せるほど記憶力がよいはずもない。
 断片的な記憶を並べるだけでも、ずいぶんものごとを覚えているように錯覚させられるだけで、つまりはたいしてモノを知ってるわけでもないのに、知ったかぶりをして周囲をケムに巻く「サロンのバカ」と同じ作用が働いてるだけなのである。
 実際、ぴんでんさんが「細川ふみえが脱ぎましたね!」とコブシを握り締め随喜の涙を流していたのがこの日のことだったか、先週のことだったか、もう全然覚えていない(^_^;)。
 私も確か対抗して、「今週の『プレイボーイ』で加藤夏季と栗山千明がグラビアに出てるんですけど、表紙には釈由美子の名前しかないんですよ!」とか言ったように思うが、もちろん、雑誌の発売日なんかを調べればいつのことだったか確定できることなのが、誰がそんなんイチイチするものか(-_-;)。
 とりあえずは「いろいろ雑誌を丹念にチェックしてるんだなあ」ということだけ押さえておけばいい問題だし(押さえてどーする)。


 マンガ、和田慎二『ピグマリオ』7巻(メディアファクトリー・819円)。
 やはり、本筋の長編になると語りのムリが目立つ和田慎二。本人は長編を書くのが好きなのかもしれないけれど、基本的に短編マンガ家だと思うぞ。
 人間に変身したメデューサが、恋に落ちた相手をいきなり石化させる展開も唐突過ぎる。あくまで悪の存在である面を失わせまいとするための措置だろうが、キャラクターが膨らんで行くのを無理に型に入れようとしたための失敗であることは明らかだ。ストーリーテリングに自信を持っている人間が犯すミスの最たるものがこれである。物語をキャラクター指導で暴走させられないのね。結局、話が小ぢんまりしちゃう結果になるんだよなあ。
 ポセイドンとネプチューンの兄弟、というネーミングセンスも、多分連載当時だって相当ダサかったんじゃないかな。言語発達的にも文化的にも、元を辿れば全く別種の二つの「神」をくっつける無謀さ、これって言ってみれば「大日如来」と「天照大神」が姉妹で同じ話に出て来るようなもんだぞ。……例えがわかりにくいか(ーー;)。
 ジンギスカンと源義経が実は兄弟で……ますます例えが解りにくくなりそうなんでやめる。要するに水と油をくっつけるようないい加減さが、話を作る前に立っちゃってるのだ。
 二人のオリエが出会うことで、クルトと精霊のオリエとの決別を予感させる展開も甘い。だいたい精霊のクセにショタコンってだけで、オリエは精霊としての資格を失ってないか?(いや、ショタコンがイカンということではなくて)
 この先、自分の愛情をコントロールできずに精霊のオリエがメデューサの側に寝返る、なんて展開になると面白いんだがな。でも、それも定番と言えば定番かな。

2001年01月05日(金) やっぱウチはカカア天下か



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