無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年11月02日(金) スカートの下のお花畑/『HUNTER×HUNTER』13巻(冨樫義博)/『20世紀少年』7巻(浦沢直樹)ほか

オタアミ当日まであと22日! 22日しかないのだ!

 いきなりだが、本日は身近である事件が起こったので、それについて書く。
 と言うのが、職場の同僚の知り合いが盗撮の現行犯でタイホされたのだ。
 新聞を読んでいた同僚が、急に「ああ!こいつ知ってる!」と言い出したので、なんだなんだと私も新聞を覗いてみた。

 今朝の西日本、読売両紙によると、博多駅前のビルの某書店(あそこだろうと見当はつくが一応伏せとこう)で、某高校の某教師32歳(西日本の方には実名も載っていたが、これも伏せる)が、女子高生17歳の背後に立ち、ショルダーバッグに仕込んでおいた特殊レンズ付きのビデオカメラで、スカートの中味を撮影していたのを、警備員に発見されて取り押さえられた、というのである。
 更に自宅を調べてみると、路上や学校内でスカートを盗撮したビデオテープが十本見つかった。犯人の教師は独身で、「女性とうまく交際できず、鬱憤を晴らそうと、約5年前から盗撮を始めた」と供述しているんだそうな。

 女性とうまく付き合えないのなら、ソープとかに行きゃいいじゃないか、何も女子高生のパンティ覗かなくてもよかろうにとも思うのだが、ここが犯人が教師である、という点で、一般人の感覚とは違っているのかも知れない。
 私は思わず同僚に、「どんな人だったんですか? いかにもそんなことしそうな人だったんですか?」と、芸能レポーターみたいなことを聞いてしまったが、同僚の返事は「いや、マジメで頭の切れる人でしたがねえ」という当たり前のもの。
 要するに学究肌で世間知には疎い、というタイプだったのであろう。
 以前、「“裏”モノ会議室」で、どこかの新聞の読者欄だったかに載ってたという現役教師の、「男性教師の前で女子高生が平気でナマ足見せたりするんですよ! 欲情するのも当然じゃないですか!」なんて内容の投稿が俎上に上げられて、「おい、そりゃ欲情する方が異常だよ」と突っ込み入れられてたのを思い出した。なんか、その投書のヌシとこの犯人、どこか似通った印象があるんだよなあ。
 榎本ナリ子の『センチメントの季節』みたいに、「女子高生だから」「制服を着てるから」欲情するって感覚は、相当幻想性が強い。フェティシズム自体を否定するつもりはないし、日常は小さなフェティシズムの集積と言ってもいいくらいだが、せいぜい「どこそこの学校の制服は可愛いね」くらいで留めておくのが無難だ。明らかにこの犯人、その一線を越えている。
 でも、果たして、このバカ教師たちだけが特別ヘンタイ的な教師だったのだろうか。

 いや、教師がみんなヘンタイだと言うつもりはないが、私には、少なくともたいていの教師が、自分の価値基準がどれだけ世間の常識との間に齟齬を来たしているか、自覚していないんじゃないか(というより、教師だけが持っている共同幻想の中にいて、世の中がまるで見えてないんじゃないか)って気がしてならないのである。
 なんだかなあ、学生の頃、教師から叱られるたびに「口で言って分からんか!」ってフレーズをよく聞かされてたけど、聞くたびに「この教師アホや」と思ってたもんである。だって、結局これって「口で言って分らないから、怒鳴ったり暴力を振るっていいのだ」という自分の「暴力」(精神的なものであろうと物理的なものであろうと)を肯定するための口実として言ってるだけなんだもんね。更にはそのことが生徒にバレバレだってことにすら気付いてないのよ。私は叱られながら、なんでこいつはこんなにバカなんだと内心呆れていたもんだった。
 こんな知能程度の低さが現れるような言葉を平気で口に出来るって、いったいどういう精神構造をしてるんだろうと謎に思ってたものだけど、要するにこれも教師が「幻想」の世界にいることの証明なのだね。
 教師は多分一人一人が自分なりの「理想」やら「信念」を持ってるんだろうけど、生徒であるこっちにしてみりゃそんなん自分になんの関係もないことなのである。なのに、自分の「信念」が生徒に通じる、「生徒は善導できる」と考えてる時点で、全ての教師は自分の幻想の中に閉じこもってしまっているのだ。
 熱血教師とヘンタイ教師はその幻想性において実はごく近しい。どっちも生徒にありもしない「特別」な何かを見出してしまっているという点においては。彼らが見ているのは常に現実にはありえない美しいだけの「お花畑」である。

 もちろん、我々は何一つ幻想を抱かずに生きて行くことはできない。「現実を生きる」なんてことはそれ自体が滑稽な「幻想」だ。だが、自分の持っている幻想が他人に受け入れられるものかどうか、それを判断する力は生きていく上で必要不可欠なことだ。なのに教師にはそれが決定的に欠けているのではないか。
 私ら夫婦にはまだ子供がいないけど、いたとしても学校になんかやりたくない。いや、マジで。
 親が子を学校にやるのは、実のところ「ほかに選択肢がない」「行かさないわけにはいかない」という消極的な理由が殆どなんじゃないのか。「学校」に行かなくても社会人になる手段が他にたくさんあれば、そっちを選ぶ親だってドッと増えると思うのである。
 生徒が教師の幻想、いや妄想に付き合わされて、被害を被っている点では、授業も痴漢も同じことだ。義務教育なんて小学校だけで充分だし、高校への進学率が90%越えてるなんて、生産人口の高齢化を招いてるだけだ。いい加減、学校制度の縮小、廃止、民営化も含めた構造改革もやっちゃったほうがいいと思うんだけどなあ。そうすりゃ教師たちも、ちったあ世間に近い幻想を持ってくれると思うんである。

 誤解のないよう言っとくが、私が否定してるのは「学校」であって、「学」自体じゃないからね。念のため。

 あと、「特殊レンズ付きカメラ」というのがどんなのか記事だけではよく分からなかったが、通販かオトナの玩具屋で購入したのだろうか。そっち方面には疎いんで、どんな品なのか誰か知ってたら教えてください。いや、別に購入はしませんが(^^)。 


 今日も行き帰りはしげに送ってもらう。
 なぜか帰りはまた駐車場で20分待ち。時間は予め教えてあるのに遅れて来るのは「どうせまた残業で待たされるんでしょ」と怒ってるのかも。でもまだ秋だからいいけれど、真冬に待たされるとマジで風邪引いちゃうよん。
 (T^T)(^T )(T )( )( T)( T^)(T^T) ヒュルルル。
 しげは今でも充分寒いのか、カーエアコンで暖房を懸命に入れようとするが、なぜかフツーの風が送られるばかりで、まるで暖かくならない。
 「えい、もーいい! 暖房なんか入れちゃらん!」
 とスイッチを切るが、それじゃますますイミないじゃん(^_^;)。

 銀行に寄ると、マンションの管理費がなぜか今月はいつもの月の倍額引き降ろされている。今月から駐車場代がかかるのは分かるが、そんなに? 管理会社に聞いて見たら、あと三ヶ月にいっぺんの水道代も引かれているのであった。
 うわあ、月末までの予算の計画が思いっきり狂っちまったぞ。これでしばらく、買い置きのレトルトパックだけでやり過ごさなければならなくなってしまった。……しげの送り迎えで、タクシー代が随分浮くと考えていたのだが、計算違いだったなあ。
 でも、そんなこと言いながら、コンビニに寄ったら「おっ、『HUNTER×HUNTER』の新刊♪」とか言って買ってしまうのである。自分で自分の首を締めるとはこのことだ。

 しげ、車庫入れのときに後方の車を気にしたのか、なんの気なしに「悪りいね」と口にしたあとで、「『悪いね』と言ったら思い出すことって一つだよね」と聞いてくる。
 「……わりいねわりいね、ワリーネ・ディートリッヒ?」
 ちょっと疲れ気味にそう言ったら、しげ、得たりや応、とばかりに「だよね!」と笑う。
 小松政夫さん、お元気かな?


 林忠彦『文士の時代』(朝日新聞社)。
 バー「ルパン」での太宰治の写真が一番有名になったことが、生前の林さんには痛し痒しだったらしい。どの世界でもそうだが、作者の代表作と思っているものが世間の認める代表作とは違っている、ということはよくあることだからだ。
 確かに、作家たちの写真を眺めて行くと、太宰の写真と比べて遜色のない、いい表情のものがゴマンとある。有吉佐和子の若いころがあんなに可愛いなんて、ちょっと信じられないくらいだし。
 けど、そこにこそ写真と言うものの芸術性の特殊さがあるのだと思う。写真家の技術や意図が被写体をいかようにも見せられると言うのは当たってもいるし外れてもいる。被写体なくして写真がありえないことを考えればそれは自明のことだ。被写体のオーラ(この言葉は好きではないのだが)が写真の方向性を決定付けてしまうことも往々にしてあるからだ。
 個人的には微笑む坂口安吾や柴田錬三郎も見てみたい気がするが、それは被写体があくまで拒んだことであるのだろう。苦虫を潰したあの顔が、「文士」として撮られるべき彼らの「顔」なのである。
 

 マンガ、冨樫義博『HUNTER×HUNTER』13巻(集英社・410円)。
 ……あれ? 記憶と話がつながってない。
 クラピカ、いつの間にクロロ捕まえたんだ。センリツなんてキャラ、記憶にないぞ。……もしかして私、12巻読み損ねてる?
 これだけ続きもののマンガ買ってりゃ、買い損ねもあるかもしれないし、買ってて読み逃してたり、読んでても次の日にゃ忘れてたり、いろいろあるたあ思うんだが、それにしてもこう、きれいサッパリ忘れるかな。
 やっぱり、昔ほど冨樫さんのマンガ、面白いと感じてないんだろうなあ。


 マンガ、浦沢直樹『20世紀少年』7巻(小学館・530円)。
 肝心なところの謎は隠したまま、まだまだ引いてもう7巻。ようやく「血の大みそか」の謎が語られてるけれど、まだまだ20巻以上は費やしそうだし、「トモダチ」の正体が明かされるのはずっと先なんだろう。
 実は、私は勝手に友達はケンヂ自身と思って読んでいる。……って、それまんま『プリズナー』じゃん(^_^;)。もちろんもっと意外な人物を浦沢さんが描いてくれることを期待してるけど。

2000年11月02日(木) 部屋片付けてたらあちこちから○○が……/『古館伊知郎トークブルース・お経』



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