無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年05月04日(金) ウナセラディ東京/江戸東京たてもの園/『ヒカルの碁』12巻(小畑健)

 東京旅行2日目。
 昨日の曇天はどこへやら、今日は一日気持ちのいいほどの晴天である。

 朝の4時か5時ごろ、しげが寝ている私を揺り動かして起こそうとする。
 「ねえ、起きて、退屈」
 どうもまた興奮して寝つけずに目が覚めてしまったらしい。
 しかし私とて体を休めておかねば残る二日を乗り切れない。
 「おれのポケットに入ってる文庫本でも読んでろ」と言って、また眠る。
 しげにしてみれば相手にされなくて不満だろうが、短い旅行に夫婦も親子もないのだ(だったらするなよ旅行)。

 起きたのは朝の8時。
 たっぷり寝かせてもらったので、体調は頗るよい。
 二階の部屋を借りていたので、さて、こうたろう君のご家族がもう起きているのかどうか、よくわからない。
 気配で多分もうお目覚めだろうと降りて行くと、お目覚めどころか、もう朝食の準備までして下さっている。
 ああ、コンビニで食べようと思っていたのに、またお世話になってしまった。

 ここでこうたろう君の息子さんと娘さんにご挨拶。
 夕べは会えず、代わりに息子さんがコレクションしているらしいウルトラ怪獣のガチャポンの群れにお出迎えされたのだが、ようやくご対面である。
 うわあ、お父さんによく似ている。
 娘さんはお母さん似かな。
 ……実はこの二人、この日記の中でなんと呼んだらいいのか困っている。
 お父さんは「与太郎でいいよ」と言うが、そうもいくまい。しげはお兄ちゃんが与太郎なら妹は与太子?」と言うがますます変だ。しんちゃんとひまちゃんでもいいのだが、本人の許可を取ったわけでもないので、味気なくはあるが息子さん娘さんのままでいく。

 お父さんがこの二人を立派なオタクに育てようとしているらしいことは、これまでもメールのやりとりで知ってはいたが、実際に目の前で、親子の会話がオタク化しているのを聞くのはなんと言ってもうらやましい。
 ちょうどこの日の朝は、私がプレゼントに持ってきた『デジモンアドベンチャー』のDVDをかけて親子で見ていた。
 お父さんが「アグモンは進化する前はなんて名前だったかな?」と聞いて、息子さんが「チビモン?」と答える。
 「チビモンじゃないよ……あ、コロモンだ」てな会話だ。
 ありふれた会話に聞こえるかもしれない。
 けれど私は親父やお袋とこんな会話をしたことはない。オタク差別はまず親からというのが30年前の常識だったからだ。
 ああ、俺も子供のころ、親父とこんな会話をしてみたかったなあ、と、見ているだけで泣きそうになるのだ。
 こうたろう君に案内してもらっている間、息子さんは車の中でウルトラシリーズの主題歌CDを延々と流しているし、「有久さんはどの怪獣が好き?」なんて聞いてくる。ガチャポンの怪獣もよく覚えていて、「ブラックエンド」なんてマイナー怪獣を簡単に答えたりする。その「自由さ」がうらやましい。
 子供の頃、怪獣とかマンガに関することを聞くこと自体、私の親父は許してくれなかった。何度もマンガを捨てられ、自分で描いた怪獣図鑑を破られ、映画のパンフを破られた。まさしく私は「抑圧された児童」だったのである。今思い返してみても、よく親を刺さずに生きてこれたと感心してしまう。
 もちろんそれをしなかったのは、マンガを読めなくなるからにほかならない。そこまでされても、いや、そこまでされたからこそ、私は怪獣好きをやめられなかったし、マンガを読むのを諦めなかった。
 今、親父は、「大人になったお前と酒を飲みたかったのになあ」と愚痴を言う。でもそれは無理だ。私が病気になって禁酒をせざるをえなくなったからじゃない。今までに一度だって、私は親父と本気で腹を割って話をしたことがない。させてもらえなかったのだ。
 夜、遊び疲れた息子さんをおんぶしているこうたろう君を見て、つい「うらやましいなあ」とつぶやいてしまう。
 独り言だったのに、小耳にはさんだしげが、「おんぶされたいの?」と聞いてきたので、「お父さんっていいなあってことだよ」と答える。
 このあたりの感覚がしげに通じないのもちょっと悲しい。しげはまだまだ「おんぶされたい」側にいる人間なのだ。
 でも、もしかしたら私もそうなのかも知れない。


 時間が前後したので元に戻そう。
 午前中のうちに、ぜひ行きたかった「江戸東京たてもの園」まで、こうたろう君ご一家とドライブ。
 先月の『アニメージュ』で、宮崎駿が「ここはいい!」と力説していたので行く気になったのだ。江戸・東京の旧家をそのまま移転したもので、マスコットキャラクターの「えどまる」という虫も宮崎駿デザインである。

 お子さんたちはちょっと面白くないかも、と、小金井公園で遊ばせておいて、初めはこうたろう君としげと三人で西の方を回る。
 田園調布の家や山の手の家を見て回るが、いちいちこうたろう君が解説してくれるのがありがたい。
 「田園調布の家なんて別に金持ちって感じじゃないんだよ、本当の金持ちは山の手」
 要するに田園調布は成金の家ってことなのかな。でも成金でもテラスのある家なんかに住んでみたいぞ。
 麻布の家なんか、使用人の間ですら広い。
 「有久の下宿の部屋がこんな感じだったよな」と口さがないことを言ってくれるが、実はその通りだから仕方がない。あの頃は六畳一間に本を積み上げてその隙間の中で生活していた。……今もそうか(^_^;)。
 こうたろう君、すっかり喜んで、「でも、こんな家に住んでたら貧乏人は怒るよ。俺、怪人二十面相の気持ちわかっちゃった。こんなとこに住んでたら南方から帰って来る子供の顔なんか忘れてるよ」と悪態つきまくっている。
 あのー、ガイドさんもいるんだけど、いいの?

 結構子供たちも楽しめるかも、と、途中から奥さんたちも合流。
 高橋是清邸、2.26事件の殺害現場も見ることができた。二階で殺されてたのだなあ。余りに広くてすぐには見つけられず、使用人に案内させたそうだが、実際どん詰まりの部屋である。
 そのまさに殺人現場で息子さん、畳の上でゴロゴロ転がって遊ぶ。
 知らないということは楽しい(^^)。
 しげが高橋是清のシルクハットに燕尾服の写真を見て、「昔の人ってホントにこんな格好してたんだ」と驚く。確かに今時は誰もそんなスタイルをしないが、だとしたらたまにデパートで売ってるシルクハット、誰がなんのために買ってるのだ。

 たてもの園の中の「蔵」といううどん屋で昼食。
 看板に「武蔵野うどん」と解説されていて、貧しい農家で小麦粉も少なく、野菜だのなんだのを練りこんで作ったものだそうな。
 そのせいか、麺自体の色が濃く、細くてやや平べったいのに腰が強くモチモチして歯応えがある。汁の味は東京のうどんにしては濃い方。
 これはぜひ食して行くだけの価値があるのではないか。
 ふと壁を見ると、トトロがうどんをすすっている小さな額縁が。店員さんの話によると、ご本人もよく食べに来られるそうである。
 息子さんが「(映画の)クレヨンしんちゃん見たの?」と聞くので、「うん、見たよ、泣いちゃった。お父さんも泣いてたろう?」と質問し返すと、「今も泣いてるよ」と返事。
 見るとこうたろう君は笑っていた。
 息子さんはしんちゃんがコンビニでカンチョーするところが一番面白かったそうである。……大人になったらもう一度見返そうね。

 農家、風呂屋、荒物屋、花屋、化粧品屋、居酒屋、何もかも、私たちの子供の頃にはいくらでもあったものだ。
 来園しているおじいさんやおばあさんが、すれ違いざまに「珍しくもない」とぼやいていたが、それは違う。今はまだ探せば残っているかもしれないこれらの建物は、あと10年か20年でほとんど消えてなくなるだろう。
 囲炉裏も、縁側も、七輪も、ベーゴマも、みんな歴史上の知識の一つに過ぎなくなる。
 ありふれたものの保存くらい難しいものはないのだ。
 日記もそうである。
 10年ほど前、元禄時代の御畳奉行、朝日文左衛門の『鸚鵡籠中記』という日記が『元禄御畳奉行の日記』としてベストセラーになり、ドラマ化、漫画化(石ノ森章太郎や横山光輝)されたことがあった。武士の普段の生活が描かれたものとしては稀有のものだったからである。それくらい、普段のことというのは残らない。
 私の日記は自分の妻からですら「くどい」と言われてしまうが、ありふれたことをできるだけ書き残しておきたいと思うからである。今生きている私たちには珍しくもないもの、つまらないできごと、実はそれがとても貴重なことだったりするのだ。


 売店で土産物を買って、新宿へ。
 しげが「高いところに行きたい」というので、東京都庁の展望室でひと休憩して、軽食。
 いちいち周囲の建物の高さを見てはこうたろう君と「ゴジラはどのくらいの高さか」と会話するところがやっぱりオタク。
 120メートルのギドゴジですら、都庁から見下ろせばチビなのだ。ましてや初代ゴジラの50メートルなんて、今更東京で暴れさせられやしない。
 21世紀には21世紀のゴジラ像を築き上げなければ、もはや再度の復活はないのではないか。

 銀座に出て、博品館で土産物をまた物色。
 店名を見ただけでは何の店だか見当がつかないが、おもちゃ屋である。
 しげがエルビス・プレスリーの飛び出すバースデーカードを発見して狂喜する。カードを開けた途端、エルビスのどでかい顔が飛び出して来たらこりゃ驚くわな。……即座に買っていたが、そんなハタ迷惑なもの、誰に送るつもりなんだ。

 そのあと、どこかのステーキ屋で夕食。
 さっきの博品館で、しげはいつの間にかお子さんたちへのプレゼントを買っている。
 「子供の日のプレゼント」と言って手渡すが、こんなさりげない気遣いができるなんて、どうしたんだ、しげ。
 ドジでノロマで無遠慮なお前らしくないぞ。
 ステーキの肉は量は多いがなんだか薬臭くて変な味であった。

 夜の銀ブラもオツなものである。
 こうたろう君は「あんなところにもユニクロが」と、東京の街が変貌していく様を嘆くが、それがまた時代の顔であることも否定できない。
 路上で「今の政治は間違ってる」と呟く浮浪者がいる。
 演歌に合わせて踊る40代のオバサンパフォーマーがいる。
 目を合わさずに通りすぎるが、それもまさしく今の東京の風景なのだ。
 8時の鐘が銀座の街に鳴り響く。
 光る時計台をデジカメで撮った。観光客が多分これまでに何万人も撮ったであろう時計台、でも今撮った時計台は、今日のこの日のこの時刻を指しているのだ。

 「ああしまった、ここが『双子探偵』の舞台になった神社なのに」と、こうたろう君が嘆く。
 例の銀座のど真ん中にある神社ってやつだな。なるほどもうシャッターが降りていて、そこが神社なのかどうかも全く分らない。
 でも大丈夫だよ、こうたろう君、また来るから。
 まだまだ見て回りたいところが、東京にはたくさんあるのだ。


 こうたろう君の家に帰って、さすがに疲れたらしいしげは、「もう寝る」と言って実際布団に入った途端に寝息を立て始めている。
 私もゆっくり休もうとしたが、つい枕元にあった『ONE PIECE』1〜18巻と、『ヒカルの碁』1〜12巻を読み始めたら止まらなくなってしまった。
 『ヒカ碁』の12巻は未購入だったので、連載のどこまで収録されているか確認した。
 新初段シリーズが終わったあたりかあ。これがプロになっての第一の山だったところだな。このあと更に……。となるのだが、そのための伏線として実に見事である。
 さりげなく和谷と越智が主役に絡まない形でコメディリリーフを務めているあたりも脚本の芸が細かい。しつこいギャグは却って白けるという緩急の妙をよく知っているのだ。
 新登場の倉田もうじき名人(^^)、この作者たちのキャラクター造形の幅の広さを感じさせて実にいい。ここまで緻密に作られていると、やはりアニメ化はムズカシイだろうと思われる。『シャーマンキング』がひと足先にアニメ化だそうだが、ほぼ同時期に連載が始まったこの二作、つまりは『ヒカ碁』のほうはポシャったということなのかな?

 さて、東京旅行も明日が最後。ゆっくり寝て疲れを残さぬようにしないと、と言いつつ、今日は私の方が気が高ぶってなかなか眠れないのであった。

 最後に一つ、豆知識。ザ・ピーナッツの名曲『ウナセラディ東京』って、イタリア語で「東京の夕方」って意味です。“Una sera di Tokyo”ってことね。



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