無責任賛歌
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2001年04月23日(月) |
駆けて行った白い雲/DVD『ヤング・フランケンシュタイン 特別版』ほか |
昼間、ポケットになにげなく手を突っ込んでみると、そこに一冊の文庫本が。 ハテ、これはなんの本だったかいのう、と目にしてみて、慌ててポケットの中に本を戻す。 タイトルは『官能アンソロジー 秘本』。堂々たるエロ小説である。 ……別にエロ小説に偏見はないが、日頃から読んだりする習慣はない。それがなんでそんな本を持っていたかと言うと、拾ったのである。 先日の劇団の打ち上げの帰り、電車に乗っていて、座席にポンと置かれていたのがこの本。というより捨てられていたのだな。マンガ雑誌の類だったら、そうそう持っていったりはしないが、こういう本を読むことは滅多にない。しかもメイン作家が南里征典、私はこの人を『未完の対局』のノベライズでしか知らなかったのだが、なんとアクション小説からエロ物まで書いていたのである。作家は食うためにはやっぱりなんでも書かねばならぬのだなあ、と思いつつ、ポケットに入れて忘れていたのだね。 でも、あのときは勢いで持って来てしまったけど、考えてみれば私も思いきったことをしたものだ。あのとき同席していたのは女房、鴉丸嬢、よしひと嬢、妙齢のご婦人方ばかりではないか。意識はしてなかったが、もしかしてみなさんに私が相当なスケベだと言う印象を植え付けてしまったのではないか。 いや、あの、アレはただ単に珍しいものはつい読みたくなってしまうという純粋な好奇心によるものでしてね、別に女体の神秘が知りたいとか、濃厚な描写に耽溺したいとか、よからぬ妄想に悶々としたりしたいとかいうわけではないのですよ。 ……ああ、いかん! 言い訳すればするほど中年オヤジみたくなってしまう。って中年なんだよなあ、私(タメイキ)。
昨日、久しぶりにオタアミに藤原敬之名義のままで『クレヨンしんちゃん』についての書きこみをしたのだが、早速反応のレスがついた。 最近はオタアミに書き込みするにしても、どのようなことを書けばレスがつくのか見当がついてきたので、多少「ねらって」みたのだが、反応は上々でうれしい(こういうことを書くと女房はすぐ「この策略家」となじるのだが、別に策略なんて悪辣なものではないぞ)。 要するに、「空白と多少の見当違い」を入れておけばよいのである。 「空白」は、その作品の重要な魅力にあえて触れないでいる部分。今回、ほとんど父親のひろしの視点で文章を書いたので、しんちゃんや子供たちの視点や描写についてはあいまいなままである。そうすると「なぜ、こんな大事なことを見落としてるんだ!」と反応がある。 また、「多少の見当違い」は、些細な点にこだわったように見せること。そうすると、「そんな細かいことに拘るな!」とか、逆に「もっと細かく分析せんか!」と反応される。 要するに「未熟者だねえ」という反応が来るってことだが、別にそのためにあえて無知なフリをしてるってワケではない。自分の無知な部分は無知なものとしてさらけ出してるだけだ。要は書きこみが活性化することで「映画、見に行ってみようかな」、という人たちが現れてくれればいいわけで、実のところ、人が映画館に足を運ぶのはその映画が誉められてるか貶されてるかにはあまり関係がなく、「話題になってるか」だけだったりするのだ。 もちろん、だからと言って、自分が感動したものをあえてけなさにゃならんなどと考えちゃいない。私はともかく素直にあの映画を見て感激し、帰りの道すがら人にどう見られようとかまうものか、と言いたくなるほどに涙に頬を濡らしていたのだ。 それをそのままあまり抑制を加えずに書けば、自然に突出した文章となる。反応はすべからくある。冷静で分析的な、ちょっといやな言い方をすれば気取った姿勢が必ずしも人の心に届くものではないということを自覚せねば、生きた文章を書くことはできないのだろう。
DVD『ヤング・フランケンシュタイン特別版』見る。 「特別版」と銘打っただけあって、これは最高に「買い」の一本。 コメンタリーはメル・ブルックス自身だし、メイキングではジーン・ワイルダーのインタビューが脚本が映画化される過程を追っていて出色だし、未公開映像やNG集もたっぷり、全てを見れば映画作りの過程が克明に解るという、これまで買ってきた「特別版」の中でも理想的な編集ぶりである。 しかし、あの有名なタップダンスシーン、ワイルダーのアイデアを初めブルックスが強硬に反対してたってのは面白いな。アレはコメディ史上に残るほどの名シーンだと言うのに。でも、ワイルダーの熱弁にサラリと気持ちを転換したブルックスの度量もたいしたものである。 今はなき、マデリーン・カーン、本によっては「マデライン・カーンと書かれていて、ホントの発音はどうなんだ、と思っていたが、みな一様に「マドラン・カーン」と発音している。……でも、こりゃ発音どおりには書きにくいなあ。
マンガ家のあすなひろし氏、肺ガンで死去。 と言っても実はなくなったのは一月前の3月22日だとか。新聞記事で知ったのだが、ネットでは既に訃報が伝えられていたようである。"新"聞の名が泣くのではないかと思うが、一介のマンガ家の死などどうでもいいと思ってんじゃあるまいな。 うわあ、また60歳だ……。本気でもうマンガ家60歳停命説を唱えてもおかしくないような気がしてきた。
あすなひろしへの思い入れを語るのは切ない。 作品をそう多く読んでいるわけではないが、私の感性の核をなしていることが明らかだからだ。 多分、一番初めに読んだマンガは『少年ジャンプ』に掲載されていた『山ゆかば!』だろう。調べてみると、発表は1970年、私はまだ小学生だ。それ以前から少女マンガ雑誌で活躍されてはいたようだが(デビューは1959年、『少女クラブ』掲載の『まぼろしの騎士』とか)、当時は私に少女マンガを読む習慣がなかったので、出会いは結構遅かった。 ともかく絵の上手い、そしてきれいな人だ、という印象だった。マンガを読んでいるというより、繊細な線のイラストを見せられている、という印象が強かったのである。しかも『山ゆかば!』はあのヒロシマを扱った作品であった。 ただ楽しく、自然の中で遊んでいただけの子供時代、しかし、あのきのこ雲を遥か彼方に眺めた時、自分たちがどういう時代に生きているのかを初めて知る……黒澤明が映画『八月の狂詩曲』で見せた手法を、あすな氏は二十年前に既に描いていたのだ。 同じ被爆経験を持ちながら、中沢啓治の『はだしのゲン』のようなイデオロギー的押しつけがましさのないあすな氏の作品のほうが、私にはずっと胸に迫るものを感じさせていた。 『海ゆかば』の歌も、『ビルマの竪琴』以前にこのマンガで覚えた。 そして多分、私の好きな短編マンガベストテンに入れてもよいであろう、『とうちゃんのかわいいおよめさん』。 妻と死に別れた乗合バスの運転手の父親と、気の強いバスガイドの娘の恋。お互いに思い合っていながら、父親は口下手で気持ちを口に出せない。バスがワンマンカーに切り替えられ(そういう時代だったのよ。今やバス自体に「ワンマンカー」という表示すら見かけなくなっちゃったけど)、娘が田舎に帰る日にも結局、父親はなにも言い出せずに見送る。娘の流す涙の意味に気付いていながら。 息子は二人をなじる。「どうして何も言わずに別れられるのか」と。二人はそれでも何も答えない。 口下手な父親は、たどたどしい口調でガイドをしながらもバスの運転手を続ける。そして、ある時、そのバスに一人の客を乗せた時……。 記憶だけで筋を書いてるが、これも多分、私が初めてマンガを読みながら泣いた恋愛ものだ。だって、ここに描かれてるのはただの恋じゃない、「職人の恋」なのだもの。……1973年の小学館漫画賞受賞作品である。 連載作品である『風と海とサブ』や『青い空を、白い雲がかけてった』もよかったが、私のあすな作品体験はこの二作に尽きる。 この十数年、氏のマンガを見ることはおろか、噂すら聞くことはなかったが、いったいどうやって暮らしていたのだろうか。遺作はどうやら1986年の『ながれうた』(未読)。 合掌。
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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