無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年04月03日(火) ボクの地震、キミの地震/ドラマ『陰陽師』第一回ほか

 夕べ眠くて仕方なかったが、朝起きるともう8時。
 うわあ、まるまる8時間も寝ちまったい。仕事疲れとは言え、こうも寝過ごすってのはやっぱり体が鈍りまくっているのだ。
 外は小雨。慌てて今日もタクシーで出勤するが、明日こそは絶対に早起きするぞ。

 今日も目一杯仕事。となると日常雑記的なことは何も書けないかというとそうでもない。一日が仮に1時間しかなくたって、その間に「できごと」はあるのだ。

 某新聞の記事、福岡県北九州市の「指導力不足教員に関する人事管理研究協議会」が、4月2日、七項目の「判定基準」をまとめて市教育長に報告したとか。でもどういうわけだか、そのうち三つしか紹介してない。
 1,適切な生徒指導をしないなど、教員としての使命感や責任感に欠ける。
 2,子供との人間関係を築くことができないなど、子供の立場に立った対応や教育的愛情に欠ける。
 3,指導計画書を作成できないなど、基本的知識や指導の工夫に欠ける。
 これだけでも納得できるようでいてどうにも曖昧な基準。どうも変だな、と思ってほかの新聞を調べてみると、割愛された項目の中に、「疾病のある者」と書かれてある。
 それじゃあなにかい、教師が○○○だといつ倒れるか分らないから学校に来ちゃダメとか、○○○で○○○だと生徒が怯えるからダメとか、そんな意味かい。
 そんなつもりはない、と、この基準を設けたやつは言い出すかもしれないが、じゃあ、この病気なら適格、この病気だと不適格、なんて決めていいものなのか? こんな基準自体が差別なんだってことに気づいてないのだ。
 実際、教師や生徒だけでなく、どの職場でも、地域でも、この病人や身体障碍者を表向き受け入れるようなそぶりを見せつつ、現実的には排除しようって風潮が例の日の丸・君が代法制化以来じわじわと顕在化してきてるように思えてならない。
 なんだか胸糞が悪くなったので、久しぶりに“裏”モノ会議室にこの件についてコメントを書きこむ。今回は特に反応なくてもいいや、と思ってたのだが、志水一夫さんがコメントをつけてくれて、やっぱり嬉しかったのだった。
 
 夜、また軽い地震。この間の余震なのかな、と思ったら、中国四国だけでなく、東海地方でも地震があったらしい。
 今度は本の山も殆ど揺れることはなく、大して動揺もしなかったが、それでも女房は慌てふためいている。
 「どうしてくれる?」
 どうしてくれるって、何をどうしろというのかね。いつも思うのだが、女房は興奮するとTPOを全く無視したセリフを吐くので何が言いたいか解らなくなるのである。
 「どうしてって……余震だろ?」
 「誰の?」
 「『誰の』って、なんで『余震』に『誰の』なんて修飾語がつくんだよ!」
 やっぱり何が言いたいのかよく分らない。もしかしたら「余震」を「預金」と聞き間違えたのではないか。だとしても預金が地震と何の関係があるのか。
 女房の脳内構造は常に謎である。

 WOWOW新番組アニメ『魔法戦士リウイ』、後半だけ見られる。
 作画レベルは上、シリアスな絵柄でファンタジーかと思ったらギャグだった。スケコマシの魔法使いの話らしいが、事前の情報をあまり仕入れていなかったので録画はしていない。まあ、無理して録るほどのこともなさそうだったけど。
 
 チャンネルNECO、今日から『ガメラ』特集、『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』、多分7、8年ぶりくらいに見る。
 ああ、本郷功次郎に上田吉次郎も出てたんだよなあ。蛍雪次朗のお師匠の蛍雪太朗という人も出ているらしいのだが、顔を知らないので誰だか分らない。
 今見返すと特撮は相当チャチで、空中戦が映えないのだが、それでもギャオスが地上で羽ばたいて砂塵を巻き起こすあたりは迫力がある。鋭角的な目がギャオスの冷酷さを表現していて、やはり私は、新版ギャオスの丸っこい目よりも好きなのだ。
 ああ、この映画、中洲の今はなき松竹ピカデリーが大映直轄の映画館だったころに見てるんだよなあ。四歳で映画館に連れてってもらってたってのも今考えると凄いな。というか、三歳のとき『バルゴン』も見てるんだが。どっちも死んだばあちゃんに連れられてである。ばあちゃん、映画にどんな感想持ってたんだろ。
 新作は脚本の伊藤さんが『キングコング対ゴジラ』を参考にした、と言っていたが、見比べてみると、意外なほどに旧作との共通点がある。ギャオスを捕獲するために、既存の施設を利用し、それが失敗して結局はガメラに頼ってしまう展開などがそうだ。結構、このパターンの元祖に近いのではないか。
 そうなると、ギャオスが太陽に弱い、という設定も新版に残しておいて欲しかったなあ、と思うのである。

 時代劇チャンネル『鞍馬天狗』13話、最終回。
 本放送のとき、てっきり最終回は見逃していたと思い込んでいたけど、ちゃんと見ていた。
 そうだそうだ、殆ど打ち切りじゃねえかって思いたくなるくらい、いきなりな終わり方だったんだよなあ。
 明治維新がやってきて、実は杉作は女でしたって展開があるものと思っていたのに、ラストはいきなり慶応2年から明治に飛んで、洋装の草刈正雄と藤真利子、伊藤つかさが踊ってるんだもの。
 ……やっぱり本当は2クールやる予定じゃなかったのかなあ。最終回のゲストが峰岸徹って、どう考えても弱いし。

 『刑事鬼貫八郎12 まだらの犬』
 うわあしまった、この原作短編、読み逃してたぞ。鬼貫警部シリーズはたいてい読んでたのになあ。
 12話まで続いているということはやっぱり人気があるんだろうけれど、できれば原作通りに丹那刑事を主役にして、鬼貫警部がバックアップする形にして欲しいよなあ。大地康雄は役者としては好きだけど、鬼貫のイメージとは似ても似つかない。原作者も気に入ってないと明言してるのだから、別の局でもうちょっときちんとしたものをつくってくれないかな。
 無理だろうけど、満州舞台にした『ペトロフ事件』から時代設定も戦前にしてね。
 チョイ役の小宮孝泰がいい味出してたな。この人がテアトルエコー出身で『宇宙戦艦ヤマト』にも出てたって、『ブンカザツロン』読んで初めて知ったんだが、となるとコント赤信号の中では一番役者の経験積んでるってことか。女グセが悪くなきゃ、もうちょっと売れてたろうにな(^^)。

 NHK『陰陽師』第1回。
 期待はしてなかったが、塩浦さんからぜひ録画しといてくださいと頼まれてたので、ともかく見る。ホントは『鬼貫』の方を録画したかったんだけど。でも出来はどっちもどっちだ。
 原作者は満足してるようなことをどこかに書いてたが、温厚で知られる夢枕さんだから、内心、腹立ててても本音は漏らすまい。小説の原作者としては、もう少し怒ったってよかったのではないか。
 つまり作りが岡野玲子のマンガ版に相当引きずられているのである。特に杉本哲太の博雅は原作よりマンガ版をベースにしたとおぼしい。マンガ版はデフォルメされた丸い目のせいでちょっとオッチョコチョイの面が強調されてるが、原作の博雅はあくまで「漢(おとこ)」なのである。杉本の博雅もただのマヌケにしか見えない。
 稲垣は稲垣だ。マジメな人なだけに、この人、実は役者としては華がない。一生懸命やればやるほど、小ぢんまりとしちゃって、ミスキャストにしかならないという悲しい運命の人なのである。それをあろうことか晴明役を振るとはねえ。NHKも酷なことをするもんだ。
 全何回かな? 5、6回のミニシリーズにしとけばいいと思うけどな。

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 怒りの雄たけびは昨日のリテイク日記をどうぞご覧あれ。



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