無責任賛歌
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記
どひゃあああ。に、日記が、日記が消えてるうううう! 今日から年度初めである。 ワープロだのなんだの、職場に持っていかねばならない荷物も多いので、タクシーを利用する。 道端の桜を横目に見ながら、そろそろ七分咲きかなあ、昨日女房を花見に連れていかなかったのは悪かったなあ、などと考える。週末まで桜が咲き残っていたら、『ブルースブラザース』のDVDを買いに行くついでに花見としゃれこもうかな。 そう言いながら、気温はここ数日まだまだ肌寒い。昨日などは雨までぱらついていたのだ。 そんな雨の中だってのに、近所の公園では夕べも場所取りの花見客が何十組もぶるぶる震えながら毛布かぶって徹夜していたのだ。……根性あるなあ、というより、劇場アニメの初日に徹夜で並ぶオタクを嗤えねえぞ、お前ら。そんなに酒が飲みたいか。 でも春先のイベントって言ったら、花見くらいしかないししょうがないのかもしれない。「花祭り」は地味だし、第一何か飲んだり食ったりして騒ぐって類のものでもない。『OL進化論』か何かのマンガで「食いものと結びついていないイベントは弱い」とか言ってたが、なるほど納得である。 願はくは 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月のころ 西行の辞世として有名だが、これ、そんなに悲壮な歌じゃないんじゃないかな。如月は当然旧暦なのでまさしく今ごろ。満開の花の下では酔生夢死、過去も未来も星座も越えて全ての悩みを忘れていられるのだ。西行って、ただポケ〜っとしていたかっただけなんじゃないかな。 死体なんか別に埋まってないと思うぞ、梶井。 職場の部署が変わったので、ぶたくそ(「メチャクチャ」の意。女房がしょっちゅう使ってるが広島弁か?)忙しくなり、帰宅は午後7時過ぎ。 おかげで『水戸黄門』の第1回、頭から見損ねた。 私のフェイバリット黄門様は何と言っても月形龍之介なので、石坂浩二はどうにも人間的深みに欠ける。ヒゲがあるなしの問題ではないのだ。ドラマ自体は今までの設定を全てリセット、将軍家との確執からコトを始めるという骨太路線を選んで、なおかつ怪しい忍者風の者たちをも暗躍させるという時代劇エンタテインメントの定石をきちんと踏んでいる。でも役者がどうしても弱いんだよなあ。 いくら人気があったからといって由美かおるを出しつづけるのはどうもねえ。体型は崩れてないが、エロキューションはもうボロボロで舌が回ってねえぞ。 女房と何かやりとりをしたような気もするし、日記にも一回何か書いたような気がするが忘れた。ともかくこの日は眠くて眠くて、後半の記憶が薄いのである。後日、思い出す時があったらまた書くかもしれない。 女房のネット友達が、オープンしたばかりの「ユニバーサルスタジオ・ジャパン」に行ってきたというので、早速そのレポートを覗いて見る。 そのお友達というのも、女房同様、ダン・エイクロイドのファンで、『スニーカーズ』のポスターの前で記念写真を撮ったりして、なんとも微笑ましい。 で、結構穴場で客が少なかったという、我等が「ブルース・ブラザース・ショー」。残念ながら雨天のため野外ショーは中止、握手会に変わったそうだが、ジェイクもエルウッドもあまり本物には似てなかったそうである。……まあ、『ベルーシ ブルースの消えた夜』ほどひどくなけりゃ許せるだろうけどなあ。 女房に「USJに行きたいか?」と聞くと、「ちょっと」と答える。ファンとしては「モドキ」は許せない、という気分と、でも見てみたい、という気分とが内心せめぎあっているのかもしれない。 でも「ブルース・モービル」は写真で見る限り、鉄製の拡声器もついた立派なものだったぞ。ああ、これだけでも見に行きたいよなあ。 スヌーピーがブルースブラザースのコスプレしたポスターが展示されていたようだが、売ってるものならこれはぜひ欲しいな。よく見ると「THE BEAGLE BROTHERS」と書いてあって、これはウマイ! でも、エルウッドがスヌーピーってのはわかる気がするが、ジェイクをオラフにさせるのはちょっとどうだかねえ。兄弟逆じゃん。言わずもがなだけど、オラフはスヌーピーの弟の一人の太っちょで、スヌーピーの兄はスパイクなのである。体型で選ぶとどうしてもそうなっちゃうんだろうなあ。……じゃあ、ウッドストックは誰だ? キャブ・キャロウェイか? 高尾慶子『イギリス人はおかしい 日本人ハウスキーパーが見た階級社会の素顔』読む。 以前、マークス寿子というイギリスかぶれの女性(イギリスの貴族と結婚し、離婚したのに未だにマークスなんて名乗ってんだよねえ)の書いた『大人の国イギリス子供の国ニッポン』という本を読んで頭に来たことがあった。 なにしろ、「イギリス人には泥棒が多いが、それは盗まれる日本人のほうが油断をしているから悪いのである」ってなことを堂々と書いているのだ。そりゃ油断するなって心構えは必要だろうけど、それでイギリス人の泥棒行為を正当化しようってのは頭がおかしいとしか思えない。 高尾さんの本もそんなアホなこと書いてるのかと思ってたら、さにあらず、イギリス人のよい点悪い点、日本人のよい点悪い点、それを客観的に捉えようとしている。福祉や動物愛護の点ではイギリスは優れているが、教育・モラルの点では最低である、と高尾さんの筆致は容赦がない。 雇い主である映画監督、リドリー・スコットについても、潔癖症で小心者、そのくせ貴族意識だけはあるというイヤな面をはっきり書いている。 なのに、イギリス人やスコット氏についての悪印象が高尾さんの文章からはほとんど感じられないのだ。それは、高尾さんがそういった彼らの欠点を知りつつも、やはり彼らを愛していることが伝わってくるからに他ならない。 ……それでもちょっとだけ文句を言わせてもらえれば、イギリスの若者が堕落したのは「ビートルズ」のせいではないと思うぞ。 マンガ、高橋留美子『うる星やつら・酔っ払いブギ』読む。 この辺の原作、ちょうどアニメが始まったころのだなあ。でもはっきり言って『うる星』全体の中では凡作が続いていた時期だ。アニメも最初の1・2話はなかなかの出来だったが、それ以降はろくにスタッフが集まらなかったらしく、作画も脚本もガタガタの駄作が続く。 それでもファンが離れていかなかったのは、唐沢俊一さんも『ブンカザツロン』の中で語っていたが、高橋留美子が、初めて自分たちと同じ魂の持ち主が、マンガの受け手としてではなく、作り手として現れた「仲間」であったからだ。 「るーみっくわーるど」というキャッチコピーにもその意識は表れている。高橋作品だけでなく、作者自身が当時の我々のアイドルであったのだ。『うる星』だけではない、『めぞん一刻』の初期の頃、「響子さんの正体は?」「惣一郎さんって誰?」と胸をドキドキさせて、隔週刊の『スピリッツ』が発売される日をどんなに待ち遠しく思っていたことか。 だから、『らんま1/2』の病気休載以降、高橋さんが何か違う方向に行ってしまった、と感じたとき、私立ちの世代は、スウッ、と冷めたのである。ちょうど『エヴァ』完結編でみんなが何も語らなくなってしまったように(^^)。 多分それは、高橋さんは我々の代表としてマンガを描いているのだ、つまり、あのマンガは我々が送り出しているのだ、と我々は勝手にシンクロしていたのだけれど、実は高橋さんはあくまで高橋さん個人であったのだ、という当たり前の事実に気づかされてしまったからである。 ……それくらいショックだったのだよ、「らんまのヌード」は。 高橋留美子と小山田いくにだけはヌードを描いてほしくない、なんてアホなことを考えていたのだよなあ、あのころは。「○○ちゃんだけは絶対脱がないで!」なんて喚いてるアイドルオタクと同レベルではないか。 それを思うと、あまり面白くない回にも目をつぶって「面白い」と思い込もうとしていた『うる星』のころが甘酸っぱく懐かしいのである。 マンガ、尾田栄一郎『ONE PIECE』18巻読む。 既に脇役・適役の方に魅力が移ってしまっていて、主役陣がまるで動いていない。せっかくルフィの兄貴まで出して「道標」を示してくれたのに、物語はまたアラバスタなんたらの脇道、回想シーンへとなだれこんでいく。脇道じゃ所詮ルフィの人間的成長はなく、予定調和の言動を繰り返すだけだ。 サンジに「ナミさーん」としか喋らせないのもいい加減やめたらどうだ。マンネリの面白さを追求する類のマンガじゃなかったはずなのに。 それはともかく、バロックワークスのキャラのいくつかはよくできている。もう、それで読んでるようなもんだけどね、私は。 いや、Mr.2・ボン・クレーはいいっスよ。「おかまーウェイ♪」呆れるほどに意味がない(^^)。
☆劇団メンバー日記リンク☆ 藤原敬之(ふじわら・けいし) |