無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年04月01日(日) 四月バカ/『ブンカザツロン』(唐沢俊一・鶴岡法斎)ほか

 最近、日記にばかり時間をかけるなと女房がうるさい。
 私の場合、一気に日記を書くのではなくて、何行か書いては本を読みビデオを見、数時間かけて書いているので、女房はその間、私と会話も出来ないと拗ねるのである。
 確かに長々書きすぎて間延びした文章になってるなあ、とは危惧していたので、今月からは出来るだけ簡潔にまとめていくことにしよう。
 ……できるんかね。

 今朝も寝坊して『仮面ライダーアギト』も『デジモンテイマーズ』も『コメットさん』も見そこなう。うわあ、体が休みに慣れてボケてしまっているのだ。休日だって寝過ごしても8時には眼が覚めていたのに。ちょいとここらで少し気張っていかないと、ぐーたらが身に染み付いてしまうぞ。
 昼から花見にでも出かけて、ついでに親父のところにも顔を出そうと思っていたのに、こないだコケたとき打ちつけた左肘がシクシク痛んで、外出する気が失せる。
 今日は結局一日寝て本読むだけの生活か。って、いつものことだけど。

 CS時代劇チャンネルを漫然と見る。『銭形平次』、『侍』、高橋英樹版『旗本退屈男』など。
 『平次』は殆ど後期のころのもの。京本政樹が一心太助みたいな役で出ていることからそれと知れる。これも相当な長寿番組だったが、最後のころは白塗りの大川橋蔵自体が他の俳優の間から浮いていて、見ていて痛々しい。当たり役を持つということは役者冥利に尽きることかもしれないが、年寄りの役に自然に移行していけなかった場合、どうしても無理が生じる。『平次』の終了も当時の報道は勇退のように書いていたが、実際はやはり視聴率の低迷だったようである。年月くらい残酷なものはないのだ。
 『侍』、郡司次郎正の『侍ニッポン』の岡本喜八監督による再映画化。……ということだが、原作もその前の大河内伝次郎や東千代之介版も私は見ていない。でもなぜか前から知ってるような気になっちゃうのは、西条八十作詞のヒットソング『侍ニッポン』の歌詞、「人を斬るのが 侍ならば 恋の未練が なぜ斬れぬ」が梶原一騎原作のアニメ『侍ジャイアンツ』の中で「球を打つのが野球屋ならば、あの子のハートがなぜ打てぬ」と替え歌されてるのを聞いてるからだったりする。
 多分もともとこの話、時代劇版のメロドラマなんだろう。それを岡本監督は三船敏郎主演の幕末裏面史、みたいに映画化しちゃったのである。……いい役者使っちゃいるけど、木に竹を接いじゃったような印象になってるのはそのせいなんだろうな。
 『旗本退屈男』、よくもまあこんな忘れられてた珍品を放送するなあ。市川右太衛門のイメージが定着していて、誰が演じたって非難されて当たり前だろうに、さらりとやってのけている高橋英樹はむしろ清々しい。原作のイメージには意外とこちらの方が近いようにも思う。
 丁度ゲストに『ウルトラQ・バルンガ』で奈良丸博士を演じた青野平義氏、『機動警察パトレイバー』の榊班長役、阪修氏が出演していた。穂積隆信氏の知的悪役ぶりも楽しい。
 何気なく見流していたドラマも、今見返すといろいろ発見があって面白い。やはりテレビも映画も文化的財産として残していかなければならないのだ。

 21世紀研究会編『人名の世界地図』、これだけ人名の語源が纏まった形で出版されたのは珍しいのではないか。とても全部は書けないのでいくつか感想を。
 「チャップリン」に「牧師」という意味があると初めて知った。『偽牧師(ピルグリム)』って映画、自分の名前に引っ掛けて作ったのかどうかわかんないけど(アチラの人も自分の名前の由来を知らないことが多いらしい)、チャップリンならそれくらいのことしそうな気がする。
 『奥さまは魔女』の「ダーリン」はホントは「ダレン」で、別に愛する人、という意味ではないそうだ。となるとあれを「ダーリン」と訳した日本語訳者の功績はとてつもなくでかいことになる。なんたって『うる星やつら』にまで影響与えてるんだからねえ。
 世界的には伝統的な名前を継承している国が殆どで、日本のように新しい名前がどんどん生まれる例は少ないようだ。

 唐沢俊一・鶴岡法斎『ブンカザツロン』読む。これについても書きだしゃキリがないくらい面白い。ちょっと誤植が多いのが気になるけど(「森繁久也」って誰だよ)。
 オタク第一世代と第二世代、という分割の仕方が正しいかどうかは疑問もあるのだが、自分がやはりオタク創世記のケツっぺたにいたのだなあ、ということは確認出来る。女房が鶴岡さんと同い年なので、お二人の会話がちょぅど私と女房の会話にシンクロしてくるのである。おかげで女房が私のどこが好きでどこが嫌いかも見えてくるってのがどうもね(^_^;)。
 「オタクは『道』より『術』」、つまりはテーマよりメソッドってところには共感してるんだろうけど、実際には唐沢さんも「道」的なことは結構語られているのである。私も似たようなもんで、気がつくと女房への言葉に説教が混じる。黙ってりゃこれで女房にも尊敬されるんだろうになあ。
「道」を志向しちゃう人間ってのは結局、自分がバカに見られたくないと思ってるだけのバカなのだ。
 「バカ」どうしの雑論、と作者たちが語っているように、どの時代だって、世の中を本当に動かしているのはひと握りの天才ではなく衆愚である。自分が衆愚であることを自覚したところからしか時代は見えて来ない。ただ、時代の見えないバカも多いことは多いんで(見えなくってもいいんだけどね)、その点、「いいバカ」と「悪いバカ」が世の中にはいる、という鶴岡さんの指摘には共感できる。もちろん「いいバカ」というのが「オタク」を差すことは言うまでもない。
 一言で言ってしまえば「オタク術」ってのは「考現学」であるわけで、データの収集それ自体に意味があると考えているようなものだ。私がこうやって日記に愚にもつかないことを書いているのも、この2001年の日本人の生き方の一例を世に残すことの意義を思うからに他ならない。存在することにのみ意味はあり、あとの理屈は勝手についてくるってのが、3歳以降の私の人生哲学である(大げさな)。テーマがどうとか、ビジョンがどうとかはあまり考えていないのである。たかが一素人の日記ではないか。
 この日記を読んでくださる方々から、過分なお褒め(あるいは批判)を頂くことは多いが、書いてる本人はバカやってる、という自覚しか持っちゃいないのです。現代においては、こういった形で他人に関わろうとすること自体、バカ以外のなにものでもないってことでしてね。だから「凄いですねえ」とか「読みがいがあります」とかいう言葉よりも、出来れば「それ、違うんじゃない?」と言っていただける方が、バカたる私には嬉しいのですが。

 なんだかんだでちょっと長目になっちゃったな。一日分のネタって、たとえ寝て過ごしてたって、書き出せばいくらでもあるものなのだ。面白い文章になってるかどうかはともかくとして、芝居をやろうって人間がネタの一つも思い出せないというのは情けない、という意識があるのである。
 だから劇団のホームページに書きこみが出来なくなったのはマジで悔しい。ああ、早くホトボリが冷めんかな。そしたらこっちの方はウラ日記にしてもっと濃い話が出来るんだけど。



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藤原敬之(ふじわら・けいし)