無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年03月27日(火) 今日も伏字、明日も伏字/『トランジスタにヴィーナス』2巻(竹本泉)ほか

 年度末で仕事がゴタゴタしてくる。
 どれくらいゴタゴタしてたかというと、○○○○○○○○○、○○○○○○○○○○○、○○○○○○○○○○○○○○○○○。○○○○○○、○○○○○○○○○○○○○、○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○。○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○、○○○○○○○○○。
 ……なんだかホントに戦時中の検閲みたいだな。戦後民主主義の最大の罪は、自分たちが戦前とは形を変えただけのファシズムを標榜しているのだという自覚を、本人たちから取っ払ってしまった点にあると思う。
 この伏字は「自主規制」という形をとっちゃいるけど、ストレートに書けば必ずファシストたちの目の敵にされてしまうのだ。具体的になにかを書かずとも、2001年という時代に、どれだけの既知外どもが跳梁跋扈していたかの証拠になろう。

 サッポロビール記念館『ビールのポスター』見る。
 戦前までビールのポスターはたいてい手描きの絵で、写真は殆ど使われなかった……というのは知ってたが、実際にその絵を見てみると、他にいろいろと気がつくこともある。例えば、その絵のモデルさん。
 絵だから、完全にオリジナルのキャラクターかというとそうではなくて、殆どが写真を模写したようなリアルな和服美人、しかも映画女優のスチールあたりを勝手に使ったと思しいものばかりなのである。著作権とか気にならない時代だったんだろうけど、面白いのは、「ニセものだからちょっと違う」という感じで、微妙に変えてあるところなんだよね。
 最も初期の1915年ごろのポスター、顔を見る限り、それは栗島すみ子だったり(知ってるかな? 日本初のアイドル女優であり、芥川龍之介の小説に出てくるくらい古い人です)、山田五十鈴(ホントに長いよな、芸歴)だったりするのだ。しかも、よく見ると、胴体と顔の向きがあってなかったり、比率があってなかったりする。つまりこれ、もともと胴体の絵と、顔の絵と別物だったのを、合体させて作ってるんだね。80年前のアイコラかい(^^)。唐沢さんの『キッチュの花園』で取り上げてもいいようなネタだよなあ。
 惜しいのは、この本を編集したのがオタクだったらもっと面白かったのにな、ということである。ポスターをただ収録してるだけで、少しも解説もツッコミもつけていない。……自社商品にツッコミはつけんか(^^)。でも一言くらいコメントが欲しかった。
 初期のポスターの中には、でっかいビール瓶に寄り添って立つセミヌードの女性が描かれているものが一枚だけあるのだが、後書きを読むと、「当時どのような反響を巻き起こしたか、記録されていないのが残念である」と、ちょっと編集者の本音が出てるところが微笑ましい。
 「ミュンヘンビール」のポスターなんて、外人の子供がビール飲んでたなあ。これまさか、子供でも飲める酒って意味なのか?

 光文社から『山田風太郎ミステリ傑作選』として、文庫シリーズ全10巻が刊行され始めた。風太郎ファンとしてはこれはもう買うっきゃないのだが、代表作はたいてい読んでいるのである。
 第1巻の『眼中の悪魔』、もうウチに何冊あることやら。昔、江戸川乱歩が「うちには『陰獣』が何冊あるか分らない」と言ったとかいう話だが、似たような状況の本はウチにもたくさんある。長編の場合はあまり重ならずにすむが、中短編は編集のしかたによってどうしてもダブリが出てしまうのである。それだけ評価が高い作品だということだから、ファンに取っては嬉しいことじゃあるんだけど。
 『眼中の悪魔』もそうだが、『黄色い下宿人』のような無駄のない短編を三十になったばかりの年齢で書けるというのは凄い才能だ。風太郎ミステリのファンは忍法帖シリーズを馬鹿にし、忍法帖ファンは風太郎の本格ミステリ作家としての才能を無視する傾向があるが、この二者の幅の広さこそが、風太郎の面白さの本質なのである。
 名探偵もののパスティーシュは数多いが、『黄色い下宿人』はその中でもベストに数えてよいくらいである。ホームズ失敗談って設定、熱心なシャーロキアンは嫌うかもしれないが、これくらい上等な出来映えなら満足するんじゃないだろうか。やっぱ「ジュージューブ氏」が最高っスよ(^^)。残念なことに、その面白さは日本人にしか解りそうにないんだけどね。昔、栗本薫のエッセイでこの作品の存在を知って、懸命に探したけどどうしても見つけることが出来ず、旺文社文庫の『虚像淫楽』に収録されたときに狂喜したこともあったなあ。

 『SF Japan』2号、マンガと対談だけ先に読む。
 マンガ、伊藤伸平『天使の微笑み 悪魔の頭脳』、女マッド・サイエンティストものだが、SF雑誌に載るギャグマンガって、どうしてこう吾妻ひでおの亜流になっちゃうのかな。横山えいじしかり、とり・みきしかり。で、みんなマイナー作家のコースを突っ走っちゃうとこまで同じだ。いいのか? それで。
 あさりよしとおやあろひろしはも少しメジャーかもと思ってたが、だんだん仲間になってきた感じだな。唐沢なをきは『スピリッツ』に書いてる限りは安泰であろう。
 いや、マイナーが悪いってことじゃなく、マイナーのくせに亜流になっちゃまずいだろう、ということだ。オリジナリティのないマイナーはただのクズだし。
 で、もう一本の森脇真末味の『ナビゲーターから一言』はフレドリック・ブラウンと。ということは藤子・F・不二雄か。SFギャグでこの二つのパターン以外のものも見てみたい気はするが。諸星大二郎の『ど次元物語』みたいなものとかね。
 上遠野浩平と三雲岳斗の対談、若手のホープ(うぷぷ)同士の激烈バトル……という感じにはならない。私より五、六歳年下なんだな、この二人。イマドキの若い人たちは大人しいねえ。
 確かに上遠野さんも三雲さんも、私より若いのによくSFを読んでいる(というか、私が読んでないだけなんだが)。でもなにか違和感を感じるのは、上遠野さんが「ジャンルとか歴史なんてどうでもいい」と言いながら、「SF」に拘っているという矛盾である。なんだか、第一オタク世代にどうしてもかなわない第二世代のオタクが、仕方なく否定的言辞を用いてるんだけれども、それが結局は自分のコンプレックスを顕在化させることになってしまってるって感じがするんだよな。
 「『ペパーミントの魔術師』は、ヴォネガットの『猫のゆりかご』」……って言われても、どこがどうそうなんだかよく分らないなあ。ただ、「乗り越えようとする意識がないから過去の作品が使える」と上遠野さんが言ってるのは、明確に自己欺瞞である。「乗り越えられないからパクってるのだ」という第三者が見れば明らかな事実に気づいてないのだな。ちょっと上遠野さんにガッカリした。
 読者にSF史を遡って本を読まねばならない義務はないが、作家が過去の作品に敬意を払うことをしないのは、ただの怠慢だと思うけどなあ。

 帰宅すると女房が珍しく買い物をしている。でも買ってきていたのはインスタントラーメン。
 「おカネないから」とトボケたことを言う。「お金を使いたくないから」だろう、この守銭奴め。
 買い忘れている本があるので、本屋に行くことにする。女房は仕事で行けないので、また僻む。
 「どうせおいしいもの食べるんでしょ」
 何を食べたか解らないのが気に入らないらしい。なら解るようにしてやろうと、本屋を回ったあと、女房のバイト先のリンガーハットに行く。
 仕事中だから親しげに会話するわけにもいかない。何気なく太めん皿うどんを注文し、さりげなく、ほーら、この本買ったよーと見せびらかすつもりでテーブルの上に表紙がわかるようにして、竹本泉の『トランジスタにヴィーナス』2巻を置いた(さりげなくもなんともないがな)。
 すると、料理を運んできた女房が、ボソッと「それ、もう買った」と言う。あっ、こいつはまた本を買って私に隠していたのだ。ウチでは私と女房がお互いに同じ本を買ってしまうことがよくあるのだが、それを避けるために出来るだけ行動をともにし、私が本を買った時は「これとこれは買ったよ」と必ず報告しているのに。
 それでもダブリが出るのは、100%、原因は女房にあるのである。買ってきてそのまま本の存在自体を忘れてしまうのだが、どうしてそんなことが可能なのか。この鶏頭め。
 で、普段はケチ臭い女房が、こういうムダ遣いをした時だけはテメエを棚に上げて「気が合うからいいじゃん」と言い訳するのである。別にお前と気なんかあってねーや、ボケが。女房について私はよく「人間としてどうかと思う」というが、これは「性格」よりむしろ「能力」のことを差して言っているのである。

 『ヴィーナス』、1巻の設定を忘れてたけど、23世紀で男女間はおろか、女同士、兄弟間の恋愛もほとんどタブーのない時代になっていたのね。実際にヒトゲノムの読み取りが進んで、遺伝的に障碍者の生まれる危険がなくなれば、近親婚だって別に問題はなくなる……はずなんだけど、そうはなかなかなるまいな。結局、これってただの因習だし。
 ヒロインのイーナス、1巻に比べて胸がどんどん大きくなっていてセクシー。胸の位置をちょっと下に描くので、日本人的で意外とリアルなのだ。ちょっとタレ気味なとこまで(^^)。竹本さんのマンガが少しずつアダルトになっていくのは嬉しい限りだけど、バストトップを絶対描かないあたり、何となく脱ぎそで脱がない元アイドル歌手のような印象を持ってしまうのは私だけだろうか。竹本泉のファンって、「脱がせ」派と「脱がすな」派にはっきり分れていそうな気がするが、率直な意見を聞いてみたいものである。
 え? 私はどうかって? やだなあ、解ってるくせに。

 録画してた『仮面ライダーアギト』、今週分を見る。
 翔一の秘密を知っていたらしい女が何者かに殺害されるという、ちょっとベタベタな展開。犯人は翔一か? って、んなわけないじゃん。前にも書いたが、いっそのことホントに翔一が人殺しってことにしちゃえばいいのに。こうありきたりな設定が続くってのは、早くも「中だるみ」してきた感じなのかなあ。
 アギトとギルスとG3のドラマが交互に現れるのはいいのだが、それぞれの接点が未だに出て来ないのである。……もう1クール経とうってのに、いくらなんでも引き過ぎじゃないのか。

 LDで『ガス人間第一号」を見返す。『サトラレ』を見たためだが、若いころの八千草薫って、本気で震えるくらい美しかったのだなあ。
 実はウチの親父も八千草薫のファンだったりするのだが、親子の趣味はやはり似るのだろうか。もっとも親父が『ガス人間』見に行ったとも思えんが。
 昔、どんなシチュエーションだったかは忘れたが、お袋が親父に「あんたは八千草薫みたいなタイプがいいんだろう」とヤキモチ焼いて膝をつねったりしてたのを思い出した。お袋も女だったのだなあ。



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