無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年03月26日(月) アカデミーよりラズベリー/『幽霊暗殺者』(赤川次郎)/ほか

 朝から通院。
 実は今の病院、今日で最後にして、次からは父の勧める別の病院に変わるつもりなのだが、主治医にそのことは言わない。今日だってもう行かなくったっていいのだが、診断書を貰わねばならぬのでそうもいかないのである。
 待ち時間に『週刊文春』をまとめて読むのが習慣だったのだが、それも出来なくなるなあ。新しいとこ、確か『文春』は置いてなかったし。
 小林信彦の連載『人生は五十一から』と、ナンシー関の『テレビ消灯時間』だけは必ず読んでいたのに。

 マリリン・モンローに関して、小林さん、「モンロー伝説が始まったのは死後だ」と語っているが、何を今更。そんなことは別に小林さんが改めて語らんでもちょっと映画史を齧ったことのある人間なら誰でも知っている。全くの映画初心者である若者に向かって語っているのだとしたら、マリリン・モンローの名前すら知るまい。誰に向かって書いてるんだか分らん文章になっているのだ。
 若くして死んだ俳優が伝説化するのは当たり前の話だし、「現役時は大した評価はされてなかった」のはジェームス・ディーンだって同じだろう。逆に「当時の感覚」から離れて映画を見られる現代の方が、より客観的にモンローを評価できる面もあると思うのである。
 モンローをアメリカ史上最高の女優だとは思わないが、「セックスアピールだけでなく、演技力もあった」という評価に対して、小林さんほど「それはただの神話だ」と異議を唱える気にもなれない。「モンローの最高傑作は『お熱いのがお好き』だ」という意見にはちょっと賛成してもいいけど。

 新聞で「ゴールデン・ラズベリー賞」の報道。
 知らない人のために解説。これ、アカデミー賞の前日に、有志が集まって前年の「サイテー映画」を選んじゃうというものなのだ。こういうシャレが通じるところがアメリカのいいところ。日本じゃ本気で怒り出すヤツの方が多いだろうからなあ。で、受賞作は『バトルフィールド・アース』、主演サイテー賞も本作主演のジョン・トラヴォルタ。おお、オスカーとラズビーの両方を手にしたのだな。もっとも、ラズビー授賞式に出るとも思えんが。女優賞はマドンナ。彼女は昨年、「20世紀サイテー女優」にも選ばれたが、新世紀ももしかしたら受賞して「二世紀に渡るサイテー女優」のレッテルを貼られるかもしれない。めでたいことだ(^^)。
 ちなみに「アカデミー賞」の方は下馬評通り『グラディエーター』に決まったようである。でも見てないからコメントのしようがねーや。

 『柳川屋』で定番の「櫃まぶし」を2ヶ月ぶりに食べる。しばらくこれを食べることもないと思うと、なんだかもの寂しい。特上にしようかとも思ったが、検査結果が悪かったので(薬が切れてたしなあ)、松にする。
 塩浦嬢は小倉でうなぎ屋のバイトをはじめるということだが、あっちにも地元メニューがあるのだろうか。
 うなぎではないが、以前、北九州の若松に住んでいたころは、地元の「五平太そば」というのが好きだった。五平太舟というのが昔、炭坑から若松まで石炭を運ぶのに使われていて、その船の形に模した鉄板で、普通の日本そばを炒めるのである。そば粉が焦げた匂いが香ばしく、パリパリとフニャフニャの中間の微妙な歯応えが美味いのだ。
 福岡にも箱崎に似たような料理を出す店があったが、本場はやはり若松ではなかろうか。
 丁度、今日のニュースで、その五平太舟を再建して、かつての軌跡を辿る、という報道がされていたので思い出した。若松に行くことがあればもう一度食べてみたいもんだが、もう店の名前も忘れているのである。誰か案内してくれないものかなあ。

 女房にはほか弁を買って帰ってやる。
 ところがまた女房は「あんたはウナギ食べてきたんやろ」と僻む。別に抜け駆けして食ってるわけではなくて、いつも誘っているのに、出かけるのが面倒臭いと言って付き合わないのである。
 なのに土産を買ってきたのに文句をつけるとはわがままにもホドがあると、本気で怒鳴る。怒られると解っていて毎回僻むのはバカな証拠だ。バカの罰で、しばらくは土産を買ってやるのもやめにしとこう。

 赤川次郎『幽霊暗殺者』読む。
 赤川次郎をミステリとして評価するかってことを大学の推理小説研究会にいた時に論争したことがあるが、私は肯定派だった。
 「謎が解かれるためのデータが、予め読者に提示されていること」という本格ミステリの条件からすれば、赤川ミステリは殆どそれから外れてしまうのだが、現実的に考えれば、じゃあ「予め提示される完全なデータ」なんて有り得るのか、ということになる。指紋が残っていようが遺留品があろうが血液型が解っていようが、現実に犯人がつかまらないケースは多いのである。「データ」は可能性が示される程度で充分ではないか、と思うのだ。
 確かに今回の連作も、別の解決だって有り得るあやふやなものばかりだが、「こう落ちがつけば面白い!」という発想で赤川さんは小説を書いているのである……多分。
 偶然に頼ろうが、そんな設定有り得るか馬鹿野郎、というような話であろうが、おもしろけりゃそれで別に構わんじゃないか(なんか誉めてるように聞こえないかもしれないが、そんなことはないんだよ)。
 ……一応ミステリなんで、チャチでもトリックは明かさずに置くが、犯人当てなんか考えずに読むのが赤川次郎の一番楽しい読み方じゃないかな。
 ……でもウチの女房のように、謎もトリックも一切気にせずに全てのミステリを読むというのはさすがに噴飯ものじゃないかと思うが。



 DVD『ガメラ』、今日は『レギオン襲来』と『邪神(イリス)覚醒』を続けて見る。
 劇場公開時には1作目の感動が大きすぎて、2作目3作目が今イチのように思えていたのだが、連続して見ると、一作ごとに前作との差別化をどのように図ろうとしたかが解って面白い。まさに『エイリアン』シリーズに匹敵する面白さではないか。
 劇場公開時、一番不満だったのは、ともかく俳優の演技がヘタで仕方がない、というものだった。これは『ゴジラ』シリーズにも言えることだが、怪獣映画は狭義のSFの範疇には入らないもので、ファンタジーに近いものである。SFよりも遥かにそのアクチュアリティを成立させることが困難なのである。
 特撮がいかに見事であっても、それを受ける人間の演技がダメだと、その映画は死ぬ。解りやすく言えば、逃げる群集の中に笑ってるヤツがいたら、それだけで観客はしらけるよね。でもなぜかキャストが一列に並んで怪獣同士の戦いを怖がりもせず見つめてる不自然さを突っ込む批評家は誰もいない。そんなもんを約束事にしちゃった時点で日本の怪獣映画は死んだのだ。
 敵を作るのを承知で、更に突っ込んで文句をつけよう。
 目の前にでかい怪獣が突っ立ってるのに前田愛がただ見つめて「ガメラ……」とか「イリス……」なんて呟く演出も、結局は怪獣の存在を卑小化させてしまうことになるのだ。ましてや手塚とおるや山咲千里に至ってはアホにしか見えん。第一作がよかったのは、ギャオスを目の前にした時の中山忍の演技が抑制が効いていてよかったからだ……って、こればっか言ってるな。伊集院光と蛍雪次郎みたいに、大げさに驚かせちゃうのもわざとらしくなるし、怪獣に対するリアクションに現実感を持たせるのは無茶苦茶難しいのである。
 この失敗は脚本の伊藤和典がアニメ出身だということが関係してると思う。絵に演出をつける場合はセリフや演技が過剰じゃないと画面が持たないからだが、それをそのまま実写に持ちこんでるんだもんなあ。
 日本映画が海外で評価されないのは、日本映画的な微妙な演技が外国人には理解されにくいためで、『七人の侍』が評価されたのは三船敏郎の演技が派手で分りやすいからだと断言していい。じゃあ小津はどうなる、と反論する人はいるだろうが、ところがぎっちょん(←なんだこの表現は)、小津って実はモダンで派手なんだよ。……あんな不自然な演技するやつ、当時の日本人だっているものか。
 コメンタリーで蛍雪次郎が言っていたが、「役者はつい余計な演技をしてしまう」ものなのである。
 では、再見してその否定的な印象がなぜ変わったかと言うと、これが「子供」のおかげだったのだ。『レギオン』での前田亜季の「ガメラ生き返る?」というセリフ、『イリス』での「ガメラはボクを助けてくれたよ」のセリフ、子供と動物にゃ勝てないというが、このセリフには明らかにリアリティがあった。
 で、気がついたのである。ガメラは「怪獣」ではないことに。もともと、旧シリーズからガメラは怪獣ではなかったのだ。ゴジラとは違う。ゴジラがシェーをすれば顰蹙を買ったが、ガメラがガメラマーチにのって踊っても誰も文句は言わなかった。ガメラは「子供の味方」、はっきり言えば「子供の友達」だったからだ。
 新しい『ガメラ』スタッフは、一生懸命、ガメラをリアルにしようとした。しかしどうしてもガメラをリアルにしきれなかった。今回、コメンタリーで、金子修介はついに言ってしまった。「所詮『亀』だよな」……そうである。ガメラは、「カメ」であることを認めたところからしか始まらなかったのである。それを認めたからこそ、『イリス』は傑作になった。繰り返すが、ガメラシリーズは「怪獣映画」ではない。どんなにリアルに造ろうとも、ゴジラよりは『ダイゴロウ対ゴリアス』に近いのである。逆にガメラを「怪獣映画」と認めるなら、『ゴジラ』の方が「怪獣映画」ではないということになる。「モンスター映画」であるといえばいいだろうか。
 子供しか守らないエコヒイキなガメラがロリコンイリスを倒す話だと気づいた時、私は平成ガメラシリーズの中で『イリス』が一番好きになっていたのである。



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