無責任賛歌
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2001年03月24日(土) |
女の子が好き!/アニメ『フリクリ』6巻/『低俗霊DAYDREAM』1巻(奥瀬サキ・目黒三太)ほか |
土曜の朝は『サイボーグクロちゃん』の再放送で一日が始まる。 ……別に始めるつもりはないんだが、女房が、土曜はそれで始めちゃうんだものだから仕方ないのだ。確かに今日もいきなり空母シージャック事件は起きるわアメリカの船長が切れまくりだわ、子供向けアニメとは思えぬノリで面白いんだが。これが原潜だったら時期が時期だけに再放送でもヤバかったかな。
朝から女房と天神にお出掛け。 ここ何日か、女房を置いてきぼりにすることも多かったので、まあ、女房サービスである。と言っても、「一緒に行こうよう」なんて優しい言葉は決してかけず、「ついて来るか?」なんてぶっきらぼうな言い方しちゃうからいつも冷血漢扱いされちゃうんだが。 ベスト電器の『LIMB』で予約しておいたDVDを買いこむ。 毎月買っているDVDは先月あたりでほぼ全部買い終わっていたのだが、今月は『ガメラDVDBOX』というオオモノがあるので使うおカネに変化はあまりないのであった。 しかも『ジャッキー・チェン ポリス・ストーリーセット』なんてものも見つけちまったもんでさあ。ああ、つい衝動買いしちまったぜ。ウチではジャッキー・チェン作品は無条件で傑作と認めることになっているので、こういうものは買うしかないのである。エアチェックで充分と言う意見は却下。 中国語からの輸入版で石丸博也の吹替えが聞けないのはちょっと残念だったけど、これでウチにはDVD『ポリスストーリー四部作』が揃ったのであった。 ベスト電器の玄関ではなぜか餅つきをしていて、つきたての餅を売っている。そりゃお彼岸だからってことなんだろうけど、客寄せに餅つきする電器屋ってのも珍しいよな。しかも隣ではタコ焼きまで売っている。彼岸とたこ焼き、なんの関係があるのだ。6個入りで300円、結構大きいのでまあ安い方か。 女房がいかにもものほしそうにヨダレを垂らしていたので、ひとパック買って、市役所前の広場でひなたぼっこしながら分けて食べる。タコがでかくて底から抜けている。これって生煮えってことかもと思いつつもともかく食う。 結構それだけでおなか一杯にはなったのだったが、女房はまだ口寂しい様子だったので、天神コアのなんとか言う(店の名前忘れた)うどん屋で再度昼飯。カツ丼を分けてやると、女房、この世の幸せを全て満喫したような笑顔で貪り食う。……いいよな、人生の幸福の2/3が食うことで占められてるやつって。
帰宅して、DVD『フリクリ』6巻(完結)を見ていたら、突然の横揺れ。 福岡は他地方に比べて比較的地震が少ないところで、体感できるような地震は数年に一回くらいしかない。東京にいたころはしょっちゅう微震を感じていたので、こげなところに住めるなんて東京人は肝が太かぱい、と思っていたものだった。久しぶりだったので、ああ、地震だなあ、どのくらい続くかなあ、とのんびり構えていたが、マンション全体が、ゼリーがプルプル震えるみたいに少しずつ揺れがひどくなっていく。平積みしていたビデオや本の山がふにふに踊りだし、ラックの上に置いてある作画用の人形モデルもケツをふりふりダンスしている。 寝室にいた女房が、私の名前を呼び、「どうする!?」と哀願するような声をあげる。縦揺れが来れば震源地は近い。しかし横揺れだけならなんとか収まるんじゃないかと女房に「大丈夫だよ。もう収まるよ」と声を掛ける。様子を窺っているうちに、揺れは少しずつ小さくなっていった。棚から何かが落ちてくることもなく、危険は去った模様。時刻は午後3時28分、時間にして1分もなかったろう。 あとでニュースを見ると、福岡の震度は3、震源地の広島では縦揺れもあり震度は6、落ちてきた壁や鉄骨のせいで死んだ人も2人、怪我人も160名以上出たそうな。規模的には阪神大震災と同程度だそうだが、震源地が深いためにさほどの被害は出なかったとか。だったら阪神と比較だってしなきゃいいと思うが。ひどい地震には違いないが、針小棒大にコトを大きくしたがるマスコミも見ていていやらしい。 笑えるのは内閣府防災担当の「地震被害早期評価システム(EES)」で、地震発生直後に「死者165人、建物の倒壊7377件」とはじき出している。このEESってどんな基準でそんな数字をはじき出したんだ。政府の科学技術ってこの程度のものなのかね。実際、日本の「震度」の決め方は5年前まで科学的なものでもなんでもなく、人間の「体感」で測っていたとか。「震度計」が導入されたのが1996年ってんだから真面目に取り組む気があるんだかないんだか。 天災って、ある程度回避できる努力はしとかなきゃなんないけど、結局は運不運なんだよなあ。 マンガ、奥瀬サキ原作・目黒三吉作画、『低俗霊DAYDREAM』1巻読む。 『低俗霊狩り』の直接の続編ではなくリニューアル、と言った感じ。主人公の崔樹深小姫がSMの女王様だったり、謎の使い魔(?)「鬼縫」の登場など、新たに加わった設定はあれど、ギャグとシリアスのコンビネーションが快い面白さに変わりはない。 それでも、やはり奥瀬さん本人の絵で流香魔魅の活躍が見たかったなあ、と思うのは、いかにも出版社との折り合いが悪そうな奥瀬さんが心配だったりするからである。
アニメ『フリクリ』最終6巻。 内容書こうとしたら殆どネタバレになっちゃうから書けないんだけど、最終的に「平凡な日常」に対する逼塞感と、そこから脱却したいって少年の思いが「大人のオンナ」にむけられるというあまりにストレートな表現にちょっと頬染め。 ……簡単に言っちゃえば、少年は女の肌に触れて大人になるってコトっスよね。うーん、構造的にはこれ、まんま『麻雀放浪記』ではないの。ってことはハル子さんは加賀まりこか。ハル子さん本人は「私は少年の日の幻影」ってどこぞで聞いたようなセリフを吐いてたが。 SF色を排除したって言ってたけど、SFのためにSFをムリヤリ作ってみたってしょうがないので、この話ならこれで充分。むしろもっと排除したっていいくらいである。アマラオの眉毛を海苔にしなくったっていいし(分りやすい表現だけどね)、メディカルメカニカのアレが実はアレだったってのもどうだっていいし。というか、1巻の段階で思っていたが、謎が謎のままで終わったって全然構わない物語なのである。 ……ラストでは『銀河鉄道999』よりも、とり・みきの『ぼくの宇宙人』を連想した人もいるんじゃなかろうか。泣きそうになる手前でサラリと流す感覚は好きである。
DVD『タイムトラベラー』、最終回だけとは言え、幻の「少年ドラマシリーズ」記念すべき第1回作品を再び見られる日が来ようとは……! ああ、生きててよかった! 世のSFファンのみなさん、これが元祖『時かけ』、元祖芳山和子ですよ。原田知世も南野陽子も内田有紀も中川奈奈もみんな本作主演の島田淳子さんのエピゴーネンでしかないのです。 後に芸名を浅野真弓と変える島田さん、中年になっちまった今の私の眼で改めて見ると「ちょっとかわいい女子中学生」、という感じだが、小学四年生の当時はホントに「きれいなお姉さん」という印象だったのだ。……15歳なんだけどね。ああ、ぷっくらほっぺもセーラー服のリボンがズレているのもかわいいぞ! ええ、ええ、ファンでしたとも。76年の『敬礼!さわやかさん』なんて誰も知らない主演ドラマまで毎回見てましたよ、私は。いやあ、元祖『逮捕しちゃうぞ!』って感じでこんなきれいな人にならやっぱり逮捕されちゃいたいナ、だって婦警の制服がなんとも健康的かつセクシャルなんだもの……って当時私ゃいくつだ。 アグネス・チャンが歌ってた主題歌だって未だに歌えるぞ。「あァっさ〜がきます〜、そよ風〜も吹きます〜、あとあァ〜なァた〜がァいれェばァ〜」(歌うなっちゅ〜の)。 だから80年の『ウルトラマン80』で目の下にクマ作って出演してた時には、「ああ、お姉さん、何があったの!?」って泣いたものです。……しかし小学生のころからヒロイン目当てで特撮見てた私って、なんてスケベだったんだ。 それにしても『タイムトラベラー』の放映は1972年、昭和47年である。別にそんなに昔というわけでもない。昭和46年から始まった『帰ってきたウルトラマン』や『仮面ライダー』は全話しっかり残されているのに、NHKだけがビデオテープをどんどん破棄していったっていうのはバカとしか言いようがない。批判はこの当時からされていたはずだが、この後もNHKはアホンダラな行為をどんどん続けるのである。 おかげでいくら私などが「脚本家の石山透って人、凄かったんだよ、『タイムトラベラー』も『新八犬伝』も『プリンプリン物語』もみんな石山さんが書いたんだ!」と言っても若い人には通じない。再放送がないから説明のしようがないのだ。 長らく幻であったがゆえに思い出の中で美化されすぎている面はある。俳優たちの演技は一本調子だし、視力障碍者を考慮したと見られる説明的なナレーションもくどい。何より予算がないのがバレバレでセット撮影がチャチ。 しかしそれを補うにあまりあるハードなSFマインドがここにはあるのだ。原作にはない、戦時中にタイムスリップする老婆のエピソード、病気で死にかけた娘を過去から現代へと連れてこようとするが、タイムパラドックスに阻まれ、老婆は歴史の流れに押しつぶされて消滅してしまう。それをなす術もなく見ているしかない和子とケン・ソゴル。 二人の別れも含め、石山透ははっきりこの『タイムトラベラー』シリーズ(『続』もあるのよ!)を「悲劇」と位置付けて脚本を書いたそうだが、その視点が後のリメイク作品には決定的に欠けている。時間とは、それ自体、悲しみの象徴であるのだ。 だから『時かけ』映像化の最高傑作はやはりこの『タイムトラベラー』で決まりなのである。 ……大学時代、「原田知世はいい!」と叫んでいたことはとりあえず置いとく。
DVD『ガメラ 大怪獣空中決戦』、金子修介監督、蛍雪次郎、中山忍のコメンタリーで再見。 やはり何度見ても飽きないし、中山忍が最高に美しい。ギャオスが福岡ドームで射殺されるのを中山忍の長峰が真正面から見据えるカット、あれは特撮映画史上、最高に美しいといってもいいアップなのではないか。映画を始めて見ていた時から、「長峰はギャオスをある意味愛し始めているのだな」と思っていたのだが、金子監督がしっかりラストでそのことを「浅黄がガメラにシンクロしているのと同様に長峰はギャオスに心引かれるようになっている」と語ってくれたのが嬉しかった。やはり映画は「愛」の物語であるのだ。 われわれ怪獣ファンは映画を見ている間ずっと、怪獣に片思いをしているようなものだ。その心情を代償してくれるキャラクターがゴジラシリーズには見られない。かつて子供のころ、私はゴジラよりガメラが圧倒的に好きであったが、それはもちろんガメラが「子供の味方」であったからだ。馬鹿馬鹿しい設定と笑ってはならない。ゴジラの背中に乗りたいとは思わないが、ガメラの背中には乗って空が飛びたいなあ、と思わせるだけの魅力を子供に感じさせたのはその設定ゆえにである。かつてのガメラシリーズより、平成三部作はリアルにはなったが、その思いだけは浅黄と長峰が観客の代弁してくれているのだ。 欲を言えば、たとえ多少リアルさを犠牲にしても、浅黄がガメラの背中に乗るシーンが見たかったなあ。
CS時代劇チャンネルで『鞍馬天狗』第5話『地獄の門』を見る。 アレですよ、杉作が実は女の子でお姫様だったというアレですがな。いやあ、伊藤つかさがかわいいのなんの! もう大学当時アルバム何枚も買ってましたからね。エンディングテーマの『夕暮れ物語』も未だに歌える……ってホントに今回女の子の話ばかりしてるな、私。 1時間で終わるはずのない原作をダイジェストで詰め込んでるからスカスカで、それを更に人情話で補ってるから、まるで鞍馬天狗じゃなくなってるんだが、財津一郎の近藤勇という珍キャストが見られるというおトクな要素もありはする。まあ顔だけは財津さん、ホンモノの近藤に似ちゃいるんだが。 このテレビシリーズ以降、『鞍馬天狗』は市川崑監督の単発もの、中井貴一・ビートたけし出演のテレビスペシャルしか作られていない。小説としての面白さ、ミステリーとしての完成度は、他の時代劇ヒーローものの中でも群を抜いているのだから、また映像化してもいいと思うんだがなあ。
ウィリアム・ハンナも死んでしまった。 遺作は監修だけだけど、やはり映画版『トムとジェリーの大冒険』ということになるのだろうか。 MGMを離れて、テレビシリーズを乱発してからのハンナ&バーベラは実はあまり好きではない。『チキチキマシン』も『原始家族』や『宇宙家族』も、アニメーションとしての面白さは全くといっていいほどなくなってしまっているからだ。 それでも私たちの世代にとって、ハンナ&バーベラの名がディズニーよりも遥かに大きいことは認識しておかなければならない。テックス・アヴェリーの短編とともに毎日5時半から放映されていた『トムとジェリー』シリーズは何度見ても笑えた。純粋なスラップスティックギャグは、時代を越えても面白いということをチャップリンやキートンに出会う前に子供たちの脳裏にすりこんでくれていたのが『トムとジェリー』だったのである。 今度のディズニーの新作『ラマになった王様』、ディズニー初の純粋ギャグアニメだそうだが、さて、果たしてハンナ&バーベラやテックス・アヴェリーのレベルに少しでも近づけるかどうか。
ホームページ用の原稿その他をチビチビ書きながら午前様。 夜の時間がやはり一番落ちつく。 女房はさっさと寝てしまったが、明日の練習のためのシノプシスは出来あがっているのだろうか。女房、いつもは夜の勤務なのに、明日の朝、急なミーティングが入って遅刻するので、代わりに私が練習場を開けねばならないことになっているのである。 よしひと嬢も明日は来れないし、ネタがないとこちらも話が進められないんだがなあ。
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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