無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年03月23日(金) ストレス解消!/映画『サトラレ』/『犬夜叉』20巻(高橋留美子)ほか

 ふう、明日から連休、今日でやっと一息ついた。
 いろいろとシバリのかかった仕事してるせいで、ここ数日は顔面が痙攣しまくってたんだが、休みに入った途端に収まってしまった。心因性なのは明らかなので、ひどくなるようなら医者に罹らにゃならんかなあ、失神するようにストンと落ちちゃうのも病気なのかなあ、と、いったん気にし始めると、どんどん気になっていくのである。
 とりあえずまだ意味不明な言葉を口走ったり、同じ言葉を繰り返したり同じ言葉を繰り返したり同じ言葉を繰り返したりはしていないと思うのでほちょぷってん、日常生活にうんがらな支障を来たしてはいないし支障を来たしてはいないだろうが、ほりゃっぴうるぴっぴょで大丈夫だとは思うが、用心に越したことはないし用心に越したことはないので、うげうがぷりたんへてかるぴ、大丈夫だろう。

 今日は夜、一緒に映画に行こうと約束していたのに、女房、蒲団を被ったまま出て来ない。何度声を書けても起きないので、諦めて今日出かけるのはやめようかと思っていたら、8時になってやっと起きてくる。てっきり出かけるのかと思ったら、映画の時間に間に合わないから行きたくないと言う。
 ウチから天神まで自転車で30分で行けるのに、9時の上映にどうして間に合わないのか、言ってる意味が分らない。ゆっくり行ったって45分で行ける距離なのに。だが、毎回女房は寝過ごすと頭がパーになるので、もう間に合わないと思いこんでしまっているのである。
 こうなるといくら「まだ充分間に合うよ」と言っても聞く耳持たない。押し問答をしても仕方がないので、また一人で出かけることにする。
 8時10分にウチを出て、天神東宝に着いたのは8時40分であった。映画は9時10分からなので30分も早い。全然余裕であった。



 映画は『サトラレ』。
 『踊る大捜査線』『スペーストラベラーズ』に続く本広克行監督作品。なんだかんだと文句つけながらやっぱりこの人の映画、好きなのかな。毎回設定だけは興味引くんだよなあ。
 でも東宝は興行的には既に本広監督に期待はしてないようだ。天神東宝では一番小さなコヤで、百人、入らないんじゃないか。やっぱり前作の『スペトラ』がコケたのが影響大なのだろう。
 金曜の夜で少しは客が多いのか、場内は30人ほど。殆どが女性同士のグループで安藤政信のファンと思しい。一人で来てる男性も若干名。天神東宝名物の(と言うほどのもんか)「むき栗」を買って座席に陣取る。
 出だしのツカミはまあまあ。24年前の飛行機事故でたった一人助かった少年、これが後の「サトラレ」になるのだなあ、とは当然予測されることなんだが、救命隊員の「サトラレ発見!」のセリフで、ああ、この世界では「サトラレ」が認知されてるのだなあ、というのが解る仕掛けになっている。……救命隊員の中にオモシロ事件の特番なんかで結婚詐欺師とか暴力亭主とかやたらと犯人役を演じてる鼻の大きな優男風のヒトが出てたが、あの人なんて名前なのかなあ。
 でも冒頭から空撮は延々続くわ、かけつける隊員をスローモーションで延々映すわ、音楽はまだ状況がはっきりわかんないのにやたら荘重だわ、意味なくくどい描写は今までの本広克行映画と同じ。たいていの映画評でも今までこの「くどい」描写をなんとかせい、という批判が出ていたのに、この監督、それがいいのだと信じきってるらしい。
 ともかく、これ以降、「あ、このカット要らない」「ここ3分カットできる」ってシーンが続出。ああ、たるい。
 それでも前半は思念波が外にもれまくりな主人公の周囲で右往左往する人々を描いていて、しかもその俳優たちに芸達者をそろえてるものだから実にいい味が出ているのだ。病院の食堂のオヤジなんか、ほんのチョイ役なのにこれを高松英郎が演じてる。
 サトラレを監査する役の鈴木京香も、実にいい表情をする。最初は全くサトラレの安藤政信から相手にされてないのに、これも仕事だからと近づいていくうちに逆に惚れられてしまう。でもその思念波がストレートに伝わっていながら気がつかないふりをせねばならない時の嬉しいような困ったような引きつった表情がかわいい(はあと)。で、その表情もサトラレに「かわいい」と思われちゃうのだ。どうすりゃいいんだか(^^)。まあ全く精神分析医に見えないというネックはあるんだけど。
 でも最高にいいのはサトラレのばあちゃん役の八千草薫である。
 いいよいいよと聞いてはいたけど、ホントにこんなにいいとはなあ! この映画を見て全く泣かなかった庵野秀明が唯一「八千草薫がいい」と言っていた理由がよく解る。イマイチな脚本を八千草さんの演技が十全にカバーしているのだ。これはもう「理想のおばあちゃん像」と言ってよいであろう。どんなにいいかは映画をまだ見てない人のために書かないでおくけど、『ガス人間第1号』と合わせて私はこの二本を「八千草薫SF二部作」と呼ぶことにしたぞ(^^)。
 しかし後半、物語がコメディからシリアスに転換していくあたりから、脚本の齟齬が露呈していく。ドタバタコメディで処理するならともかく、シリアスにしちゃうと、サトラレの思念があたり障りのない「いいひと」的なレベルを超えないことの不自然さが露呈してくるのだ。人間の心って、きれいごとばかりのはずがないからね。それで映画はもう一人のサトラレを出して、欲望だの憎しみは全部そいつにおっかぶせちゃった。
 でも、これって姑息な手段なんだよなあ。本来、主役一人にサトラレ的特徴は集約させるべきなのにそれを分散させているってのは、結局、この監督が客に迎合しているからなのである。いや、それよりもっと悪い。監督は堂々とこれを「泣きの映画」と宣言してるのだから。
 客は汚いものなど見たくはない。サトラレが心の奥底の黒い思念を周囲に振りまくキャラであったら、客は拒否反応を起こして決してそいつに感情移入しない。だから、主役はあくまで純粋で子供のような心の持ち主と設定する。そうすることで、サトラレの悲しみを観客は自分の悲しみであるかのように感じて泣くことができる。姑息と言うより卑怯な手段かな。
 当然、「そんな純粋な人間が現実にいるか」という思いを抱くやつも出るだろうから、「いや、決して人間を表面的に捉えてるわけじゃないんですよ」と客とヒヒョーカをだまくらかすために、もう一人の「醜い」サトラレを出した、と、そういうことなのですね。
 しかし、この程度の欺瞞で客を泣かせることが出来ると監督が考えてるってのは、あまりに客をバカにしてはいませんかねえ?
 でも会場の客たち、泣きまくってたんだよなあ。ああ、なんでみんなこんなにコロリと騙されちゃうのかなあ。
 人間は誰でもどこかドス黒いものを持ってて、それを含めた上での人間なのである。それを認識しない人間描写など、ただの差別だ。これを見て無条件で泣く客ってのは、自分自身の醜い部分から目を背け、他人の欠点だけを糾弾して平気でいられる無自覚な偽善者である。
 さて、ならばエラソーな口叩いている私自身がどうだったかというとしっかり泣かして頂きました(^o^)。だって私は偽善者だもの。
 多少他の客と泣き所が違うとは言え(私が映画見て泣くのはたいてい「悔し涙」で、今回も「あんなばあちゃん欲しかったなあ」である。ウチのは祖母さんもお袋も因業ババアだったしな。だから好きだったんだけど)、泣いたことに変わりはないから偽善者であることは否定できんわな。で、その偽善者的なところも人間のドス黒い部分なので、目くじら立てずにお互い許しあいましょうよ。さあ、みんなで泣いてりゃ恐くないよん。
 本広監督、なんで庵野監督と対談したのかなあ、と思っていたら、実はこの映画にも『エヴァンゲリオン』の影響があるのである。このサトラレって、結局「ボクをいい子だといってよ」「ボクを好きになってよ」っていうキャラなんで、やっぱりシンジくんなのである。で、実際に「うん、君はいい子だよ」って言ってもらえるという「癒されたい人間」にとってはもう嬉しい映画。これでラストが「あんたって気持ち悪い」で終わってたら凄かったと思うが、まあ迎合映画でそんなことは絶対しない(『エヴァ』にはまって、そのあと憑き物が落ちたように「『エヴァ』なんてさあ」といってたオタクは多いが、よく見てりゃ最初から「癒されたいオタク」に冷水を浴びせるドラマを庵野監督が作ろうとしてたのは一目瞭然だった。だからラストで怒るくらいなら自分のオタクとしての洞察力のなさを恥じるべきなのである。あくまで癒されたいオタクさんはこの『サトラレ』や『ギャラクエ』系の映画だけを見ていればいいのだ)。
 なんかこう書いてると見る価値ない映画のように聞こえるかもしれないが、そんなことはないのである。「癒され系」の映画を否定したいわけじゃなくて、「それ一辺倒じゃ困る」と言いたいだけなのね。例えば世界のアニメが全てディズニー製作になっちゃったらイヤじゃないですか?
 欠点も多いが、ラストまでサトラレが自分自身がサトラレであることに気がつかずに終わる点は「嘘」=「虚構」の力を信じていることの表れであろうから評価できるし、少なくとも八千草薫の絶品の演技はぜひ見ていただきたいものだ。演出のクドさを一人の女優の爽やかな演技が緩和している稀有な例を見ることが出来ます。

 映画の帰り、どうせ女房が拗ねてるだろうと、土産にコンビニで串カツを買って帰る。帰宅すると案の定「面白かった?」と聞いてくるので、土産を渡して「うん、最高だった! お前もレディースデイに見て来いよ」と言う。
 「泣いた?」
 「泣いた泣いた。八千草薫がよくってさあ」
 「ああ、死んだんでしょ」
 「……どうしてそう思うの?」
 「だってあんた、人が飛んだか死んだかすると泣くもの」
 そういう見切り方はないよなあ。でも否定が出来ない(^_^;)。
 多分、女房が『サトラレ』を見ても泣くことはまず有り得まい。女房の性格、庵野さんによく似ているからである。

 マンガ、高橋留美子『犬夜叉』20巻。
 アニメ化されたおかげで少し物語が延命している感じだが、本来、高橋さんはこういう妖怪同士の戦い(といいながら実質的にはジャンプ的なトーナメント対決)は合わないと思うんだがなあ。「必殺技」まで出て来たんじゃ白ける。「ライバルのインフレ現象」がもう相当進んでるし、『らんま』の時もそうだったけど、終わりどきを見失ったマンガは辛いよなあ。

 『キネ旬』4月上旬号、アメリカ映画のオールタイム興行収入トップ100のリストが載っていたので、漫然と眺めていて驚いた。
 いや、1位はもう周知の通りタイタニックなんだけど、殆どの作品が70年代以降、いや80年代以降に集中しているのに対し、例外が2作品だけあるのである。
 33位の『風と共に去りぬ』と49位の『白雪姫』であり、どちらも1930年代の製作。
 物価を考えると、今の10分の1、いや20分の1くらいの入場料金でこの記録である。実質上のトップ2はこの2作と言っていいのではないか。
 どのくらいその映画がヒットしたかというのは、興行収入ではなく、どれくらいの人が見たか、ということだと思うのに、入場者数が公表されることは少ない。特にアニメーションや特撮は入場者には子供も多いので、興行収入で比較するのはどう考えても不公平である。
 この3月のヒット映画も、『キネ旬』は『キャスト・アウェイ』と『東映アニメフェア』がともに30億突破は確実、と言っているが、なら、より客が入っているのは『アニメフェア』の方だろう。

 出かけている間に、よしひとさんから女房に電話があったらしい。
 なんでもこのところずっとインフルエンザで寝こんでいるとか。当然今度の練習も参加不可。公演の疲れが溜まってたのかなあ。
 パソコンも開けぬほどの状態らしいので、せめて電話で連絡したのだとか。
 ううむ、せっかくよしひとさんのシノプシスでいくことになったのに、相談がなかなかできないなあ。しかし風のウワサで「先なんて考えてない」とか恐い話も伝わってきてるがちゃんと形になるのだろうか(・・;)。



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