 |
 |
■■■
■■
■ シルバーのチョーカー。
土曜日の午前中、ハラレのちょっと郊外にあるパトリック・マブロスのお店へ。土曜日というのに、パトリックの工房は忙しそう。 それでも、あたたかく迎えてくれたパトリック。熱心にわたしの注文と自分の見立てを分析しながら、ひとつのアイディアをつくってくれた。シャープなシルバーのチョーカーが欲しかったのである。
こうして、セミ・オーダーメイドにしてくれるパトリックは、自分の持っているものに自身を持ちなさいといってくれた。 背が高くて独特の雰囲気があるのなら、気後れせずにおおぶりのアクセサリーを身につけなさいと。
ハラレ郊外にあるこの場所のことは、これまで何度かここにも書いてきた。 いつもは職場のひとたちと一緒にいたけれど、ひとりでくるのは初めて。 紅茶を出してくれ、熱心に見立ててくれる職人パトリック。 このうつくしい丘の上の風景に心が解放されていく。こんなに落ち着いた気持ちになれるなんて、早くひとりでくればよかった。邪魔もいないし。 やっぱり旅することも、こういう自分にとってごく個人的で大切なことも(自分の中でこのシルバーのチョーカーをつくってもらうことは、とても意味のあることなので)、ほんとうにひとりでやるべきなんだな。そういう当たり前のことに気づかされた。 風が心地よい。
ハラレ中心部に戻ってきてカフェでゆっくりしたあと、ふと思い出してアボンデールの映画館へ。 ディカプリオ主演の『ブラッド・ダイヤモンド』が上映されていることを思い出した。
紛争ダイヤモンドのことや少年兵のことは、アフリカ研究をしていればもう何度となく聞かされてきたむごい話だけれど、これをここまで迫力ある映像にするとは、なんとすばらしいことなのだろう。 監督はもとより、出演者もすばらしい。ディカプリオもすばらしかったが、とくに、ソロモン役のジャイモン・フンスーには圧倒された。
血塗られた殺戮のシーンはむごたらしく、でも、これがシェラレオネで起きた事実なのだと思うと苦しい。こんなことがアフリカで起きてきたし、いまでもこういうことは終わっていないのだ。単なる殺人マシンと化した少年兵。いまでもこういう子どもたちがたくさんいる。殺すことになんのためらいもないのだ。
ディカプリオの熱演振り。南アというか、旧ローデシアの訛り。このひとは、ほんとうに厚みのある俳優になってきているんだな。
しかし、ここの映画館でいつも思うのは、周囲がうるさいこと。 わたしはいつも、映画の世界に入り込んで観ていたいのだが、たとえばディカプリオ扮するダニーが「オレはローデシア生まれさ」とか、「ショナの言い伝えでは・・・」と言ったりするシーンで、ゲハハハー、とかヒッヒッヒーなどという下品な笑い声が客席から響く。
まあ、ここはジンバブエで、まさに昔「ローデシア」だったところであり、観客の多くはショナの人々であるので、くすぐったい気持ちもわからなくはない。しかし、ほんとうに邪魔をしないで欲しい。
シリアスなシーンでも、野次が飛んだりする。 怖いシーンやヒロインが泣いたりする場面でも、馬鹿にしたようにヒッヒッヒーなのである。ああ、もう・・・。
『ブラッド・ダイヤモンド』は、圧倒的だった。 何度か涙がこぼれたし、とくにいちばん最後のシーンがとても心の奥深くに響いた。
しかし、映画館はいっつも、エンドロールの最初のところでぶちっと切って灯りをつけてしまう。そして人々は余韻に浸るということを知らない。 わたしはいつも、ぜったいに最後の最後まで音楽を聞きながら浸っていたいタイプなので、これは許せない。
なんというか、観客も映画館も、映画そのものをリスペクトしていないように思う。
すごく心に響いていて、スーパーにお買い物をしにいこうと思っていたのを中止して家に帰ろうとした。 すると、たまたま同じ映画を観ていた知り合いのジンバブエ人女性(スーパー・ハイテンション)の声が聴こえて、思わず逃げた。 けど、駐車場で見つかってしまった。 「きゃー元気ィ〜!!?」(ああ・・・もう)って満面の笑み。 あんだけシリアスな映画を観て、何にもこころに響いていないのだろうか。
「あれ〜、何だか疲れてるの?」だってさ。こっちは泣いてるんだよー映画観て。なんというか、台無し。
せめて、映画はとことんまで世界に入り込んで観たいのです。 がんばって作ってあるものなんだし、エンタテイメントなんだから、どうか他人の邪魔はしないでください。
パトリック以外、誰にも会わずに週末が終わります。 今日は一歩も家から出ていません。
2007年07月01日(日)
|
|
 |