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第2章 （3） ユーモアの誘惑
その才能が少しでもあれば、生きることは“豚小屋でなく松林”（「エミリーの求めるもの」）になる。ユーモアのセンスは才能の一分野だ。良くも悪くも、自らを笑うことに端を発するユーモアの才能は、その人間を世の中や内なる魔（恐れ）から守ってくれる。与えられた者にしかわからない苦悩もあるが、「翼の贈りもの（想像力）」とユーモアが合わさると、不思議な相乗効果が生まれる。
モードの作品には“ほとんどどんなことにでもおかしなところを見出す”ことに長けた登場人物やヒロインが数多い。なかでもエミリー・B・スターは、繊細さ、感情の激しさ、文学的才能とあいまって、このセンスが混じることで、複雑なキャラクターを創造することに成功している。
「それに有難いことに君にはユーモアのセンスがある。君に恋愛小説がだめなのは、おもにそのせいじゃないかと思うよ。真のユーモアを解する者で恋愛小説を書ける者は一人もいない」
エミリーにはどうしてそうなのかわからなかった。
彼女は恋愛小説を書くのが好きである──それもものすごく感傷的で悲劇的なものだった。
「シェークスピアは書けましたよ」とエミリーは挑戦するように言った。
「君はとうていシェークスピアの部類じゃないからな」カーペンター先生は素気なく言った。
エミリーは真っ赤になった。「それはわかっています。でも先生が一人もいないと言いなさったもんで」
「いまでもそう言うよ。シェークスピアが例外であるということが、その法則の正しさを示しているのだ。もっとも、『ロミオとジュリエット』を書いたときにはシェークスピアのユーモアのセンスが停止状態にあったことは確かだがね。…（略）…」
「エミリーはのぼる」
エミリーに大きな影響力を持つ恩師のカーペンター先生、そして元婚約者のディーン・プリースト。この二人の手練と若いエミリーがユーモアについて意見を闘わす場面は興味深く、モードがこれらの見解を懐にあたためていたことがうかがわれる。真っ赤になって怒るエミリーは、いつものユーモアも"停止状態"、相手をやりこめるのに必死。ディーンやカーペンター先生には逆にユーモアがありすぎて生きにくいのだという悲劇もかいま見える。以下はディーンとの会話。
「そんなことを言うと、わたし自惚れてしまうわ」
「君のようなユーモアのセンスのある者はそうじゃないよ。ユーモアのセンスのある女は決して自惚れはしない。この世で一番悪意をもった悪い妖精だって洗礼を受ける一人の幼児にこんな欠点を二つも授けはしないからね」
「ユーモアのセンスが欠点だと言いなさるの」とわたしは聞き返した。
「そのとおり。ユーモアのセンスのある女は自分についての容赦ない事実から逃げこむ避難所をもちあわせていない。実際の自分いがいのものを考えられない。自己憐憫にふけることもできない。自分とは異なる者を安心して非難することもできない。いいや、エミリー、ユーモアのセンスのある女は羨むべき存在ではないよ」
「エミリーはのぼる」
ディーンのいう、「自己憐憫にふけることもできない」ユーモアのある女。一度読んだときから、このことは私の頭を離れない。世の中には「かわいそうな私」を自他ともに吹聴できる人間もたくさんいる。ただ、どんなにユーモアがあっても、避けられない悲劇に身をおいたとき、感情を完全にコントロールすることは精神衛生上よくないし、まして感情豊かな気質では難しい。「ジョン先生の恋人」では、「自称かわいそうな女」への軽蔑の影に、ユーモアがあろうとなかろうと、苦しんでいる女への、同族としての同情もまた感じられる。
わたしはみじめな人間なのだと、いったん女が自分で決めた場合、あなたはその女をそのままみじめな状態に放置するだけでいいのです。
「ジョン先生の恋人」（『ルーシーの約束』より）
一方にはたぐい稀なユーモアのセンスを持つ者がおり、また一方にはそれを全く解さない者、少しは解する者がいて、他人を悪く言ったためしの無い善良な人がいて、小さな共同体が成り立っている。そんななかでユーモアのある者は、冷徹なほどの観察眼で瞬間の面白みを探し出し、人生の苦難を切りぬけてゆく。こればかりは先天的な傾向なのだろうが、「何かしらおかしなこと」を見つけるということは、「他者への皮肉」と表裏の関係である。それをもって自分自身をも笑えるかどうか、作家なら重要なキャラクターをもその目で見通すことができるかどうか。普遍性の種はそこにも根を張るのかもしれない。
見るからに見聞のせまい、ゆとりのない心持を思わせたが、事実そのとおりであった。しかし、口のあたりに何か、もう少しどうかしたらユーモラスなものになる、と言えなくもない感じがただよっていた。
「赤毛のアン」
これは、先にも紹介したマリラの初登場の描写。読む方は、そんな偏狭な女性が我らがアン（まだ登場してまもないとはいえすっかり読者をとりこにしてしまった11歳のおしゃべりな少女）の母親がわりになって大丈夫かと心配になる。ただし、このマリラはアンと出会うまでの姿であって、アンによって大きく変容してゆくマリラの姿こそ、物語の柱である。だからこそこの、「もう少しどうかしたら」がとても重要なのだ。これが全く箸にも棒にも引っかからない人物であったら、変容の可能性は無きものとしてモードはもう一種類の人種、つまり理解できないし、したくもない人種に振り分けてしまう。社交上はともかく、作中ではモードは性格の特質によって人種を分け隔てていた節があり、時にユーモアを解さないしそうなる可能性も持たない「困った人々」への憤りが容赦なく作中に現れることもある。
「あたしって、そりゃあ人と変ってるのよ」と、ヘイゼルは溜息をついた。
他の人々とそれほど異っていることは、実際は困ったことであるが、それでいて、自分は別世界からまぎれ込んだ人間であるかのように素晴しくもあった。ヘイゼルは人と異っているため、どれほど難儀な思いをしようとも、ありふれた人種の一人には絶対になりたくなかった。
「人はそれぞれちがっているものよ」と、アンは面白そうに言った。
「アンの幸福」
この、少ししか登場しないヘイゼルという娘については、全作品中でも最も扱いが酷いようだが、後にアンの校長時代の下宿先「柳風荘」の住み込みメイド、アンを崇拝するレベッカ・デューにもヘイゼルはこきおろされている。
「子供の頃のあんた（アン）を知っちゃいませんが、そんなことはないと思いますね。なぜというと、言い方はどうあろうと、あんたの言いなすったことは本気だったに違いないし、あの娘はクリームの振りをする脱脂乳にすぎませんよ」
レベッカ・デュー/「アンの幸福」
さらに、その後ヘイゼルからアンに来る手紙もかなり酷いもので、いわゆる「キンドレッド・スピリット」でなくても周囲の人に好かれやすいアンのエピソードにしては、なぜか辛らつの度合いが高い。私も、自分は人と違っている、変っているなどと人前で騒ぎ立てる愚だけは避けようと、つくづく思わされたものである。
人物を名前や代名詞でなく、その人が置かれたおかしな状況によって形容するユーモラスな場面も多い。「お化けの森」に現れる空想のお化けにおびえるアンのことをゴースト・シーヤー（幽霊を見る者）と呼んだり、アンの末っ子リラが、第一次大戦の戦時下で捨て子を拾い育てる状況のように。英語的な表現なので、原文をつぶさに読めばもっと見つかるだろう。
「明日の午後、家でジョーと結婚式を挙げたらいいじゃないの？」
と、リラが言った。
ミランダは驚きのあまり涙を呑込んだので、喉を詰らせそうになった。
「だって─だって─そんなことは無理よ、リラ」
「どうして？」と、赤十字少女団の組織者と、スープ入れによる赤ん坊の運搬者は問い返した。
「アンの娘リラ」
随所にちりばめられたユーモラスなアイデアのなかでも、特に私のお気に入りは、こんな風なさりげない一文である。
今朝、目先を変えるためなのか、小さな地震がありました。
「モンゴメリ書簡集�機�
こうした日常のユーモアには笑いと救いがある。モードはいつもそんな気のきいた一言で回りの人を打ち解けさせていたにちがいない。どんな素晴らしいことや悲劇を見聞きあるいは体験しても、すぐにその裏にあるはずのものを探ってしまう性格の傾向。そして、組み合せることでそれらが完成されたかのように実感する傾向が、ここにはある。ある意味でそれは「容赦ない公平さ」だろう。
人間ひとりでいるときはたいてい神さまと一緒です──あるいは悪魔とね。
「エイブルの冒険」（『ルーシーの約束』より）
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