ケイケイの映画日記
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2024年04月25日(木) 「異人たち」




山田太一脚本、大林宣彦監督の「異人たちとの夏」のリメイク。元作はテレビ放送時に鑑賞。骨組み以外は、ほぼ覚えていません。私は親を恋しがる子供には滅法弱く、主人公アダム(アンドリュー・スコット)が、12歳で両親と別れた設定だけでも、号泣する自信がありまして、今回も何度泣いたか。監督はアンドリュー・ヘイ。この作品単体として、好きな作品です。

40代の独身男性アダム(アンドリュー・スコット)。脚本の仕事をしており、ロンドンのマンションに住んでいます。彼は12歳の時、事故にあった両親(ジェイミー・ベル、クレア・フォイ)と死に別れています。現在当時の事を小説として書いている彼は、昔暮らしていた家を、久しぶりに訪れると、30年前当時の若さの両親と、再会するのです。これを切欠に、アダムは度々両親を訪れるようになります。

ぎこちない再会当初と打って変わって、段々子供の頃に戻るアダム。矢継ぎ早に現在の彼がどんな暮らしなのかを聞く母。恋人は?の問いに、自分はゲイだと告げるアダム。母は気持ちの整理が付きません。今から30年前の価値観なら、当然です。「あんたは昔から、何を考えているのか、解からない子だった」と言い放つ母にはクスクス。うん、咄嗟に母親が言いそうなセリフですよ。どんな言葉をかければ良いのか、解からないのですね。

心配する母に、結婚も出来るし子供も持てるので、心配ないと答えるアダム。嘘だと思いました。確かに同性同士の結婚も、子供を持つ事も可能になりましたが、ストレートの人でも、生涯のパートナーを見つけるのは難しいのに、分母の小さいマイノリティーは、一層難しいはず。子供もしかりです。孤独なのは、世間に本来の自分を曝け出せないのも要因のはず。

それと同時に、恵まれない家庭環境の辛さは、自分が善き家庭を持つ事で払拭できるでしょうが、アダムには、それはとても難しい事なんだと思い至ります。。静寂をまといながら、切々と孤独が浮かび上がる画面は、アダムの心情を表しているのでしょう。私はこの「孤独」を一層際立たせるため、アダムをゲイにしたのだと思いました。

子供の頃、部屋で泣いていたろう?と聞く父。級友に虐められていたからだ。何故聞かなかったのかと問う息子に、暫くの後、「自分が級友なら、お前を虐めていたからだ」と吐露する父。このセリフのために、ベルをキャスティングしたのかと思ったほど、腑に落ちました。華奢な体に童顔を隠すような髭。子供時代のアダムよりも、父はもっと幼く、苛めの標的になったような容姿だったでしょう。先手必勝のつもりで、隙の見える同級生を見つけては、苛めていたのだと思います。コンプレックスの裏返し。繊細な我が子を得て、何の解決にもならない自分の行いを、後悔した事でしょう。「だから僕も言わなかった」と答えるアダムに、心から謝る父。父と息子の心の澱が、流れていくようでした。

亡き両親との逢瀬と並行して、同じマンションに住むハリー(ポール・メスカル)との男性同士の恋模様が描かれ、結構ハードな濡れ場もあります。思うに、生と性の繋がりの深さを描くのに、これらのシーンは、作り手に取って必要だったのだと思います。私には、特別な思い入れのあるシーンではありませんが、有りか無しかと言えば、私は有りだと思います。男性同士は、身体が結ばれ、その後愛情が芽生える方が、自然な気がするので。男女のように、先に心の愛情を育む時間が無いと思うのね。

今なのか過去なのか、両親と居るかと思えば、外に放り出されいるアダム。意識が混濁してきている。息子を想い、もう会うのは止めようと言う両親に縋るアダムに、もう私は滂沱の涙です。アダムが過去を取り戻したい12歳の子にしか、私にも見えない。それと同時に、二度目の別れをする両親の、身を切る様な辛さも感じるのです。別れのシーンでは、また号泣。思い出しては、また涙が出そうです。

タワマンなのに、アダムとハリーしか住んでいない部屋。薬物を使用している。深酒もある。そしてハリーの秘密。これはアダムの想念が呼び起こした出来事というより、私はアダムが、黄泉の国に片足を踏み込んでいるんだと取りました。途中で気がつきましたが、電車に乗る時の座席は、ずっと後ろ方向でした。

有り得ないプロットから、親子の愛情、恋人同士の恋愛、孤独。全て無理を感じる事はありませんでした。演出もですが、編集が上手かったと思います。元作では、薬物や同性愛はなかったので、元作とは別物のような気がします。これから元作も鑑賞予定で、楽しみです。



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