ケイケイの映画日記
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2018年02月21日(水) 「僕の名前はズッキーニ」(吹き替え版)




手作り感いっぱいの、フランスのクレイアニメ。私は子供に弱いので、子供が主役だけで高評価してしまい勝ちですが、それを差っ引いても、傑作だと思います。

ある不運な事故が元で、アルコール依存のママを亡くしたイカール。パパは以前に女の人と出て行ってしまい、一人ぼっちに。事故を担当した警官のレイモンに、イカールは「僕はズッキーニ。ママがずっとそう呼んだから」と、ズッキーニと言う名前に拘ります。レイモンに同じ境遇の子供たちが集まるフォンテーヌ孤児院に連れられます。当初はボスのシモンに意地悪されるものの、複雑な事情を抱えた者同士、子供たちは打ち解けて行きます。そんな頃、カミーユと言う少女が園に連れてこられ、ズッキーニは彼女に初恋します。

画像は子供たちのキャラ。可愛いけど、不安げな様子が哀しい。これは不安定な彼らの心情を表しているのでしょう。子供たちの背景は、不法移民で子供だけ残された、親が麻薬中毒や精神疾患を持っている、性的虐待など、共に悲惨な背景。冒頭のズッキーニの母の死の件は、本当に衝撃でした。9歳の子に、こんな大きな荷物を背負わせるなんて。父親が不実な母親を殺した、カミーユもです。

しかし、暗いお話なのかと言うと、さにあらず。孤児院の一般的な印象は、愛情に飢えた子供たちが連想され、良いものではないはずです。でもフォンテーヌ園は違う。厳格ですが温かい園長の下、若い男女の先生2人が、子供たちを心から慈しんでいる。スキー合宿で、ダンスパーティーもあるんだぞ。自分たちは、親に捨てられた子と、自尊心が育たない彼らの元に現れた救世主カミーユ。「魔女のような」叔母と暮らすくらいなら、ここでみんなと暮らしたいと言う。子供たちはカミーユのお陰で、自分の境涯を受け入れ、自身を見つめ直し、確かな友情を育んでいきます。

幼い恋心が描かれたり、「子供って、どうして出来るか知っているか?」と、ワイワイ話す様子など、流石はフランス、早熟だわと思いましたが、それは違うなと感じてきます。愛情に乏しい幼い人生を送ってきた彼らは、自分たちが、何故生まれたのか?その意味を知りたいのだと感じました。

度々ズッキーニに面会に来るレイモン。「仕事だから来るんでしょ?いつか来なくなるんでしょう?」と、切なげに聞くズッキーニに、「そんな事はないよ」と言う。何故なのかは、彼の家を見てわかりました。亡くなった息子の写真が飾られており、その子は、どことなくズッキーニに似ています。「親を捨てていく子供もいるんだよ」と、淡々と語るレイモンですが、先立つ子を持つ親は、このように感じるのだと、涙が止まらなくなりました。

シモンの機転で、無事皆が揃ったのも束の間、子供たちは二手に分かれる事になります。寂しさを隠さない友達に、身の置き所がないズッキーニ。でもシモンの後押しで、決心します。ここも泣いたなぁ。この出来事は、孤児院では宿命みたいなものではないかしら?幸運を喜んでこそ真の友情なんだと、この子たちに教えられます。

この孤児院は私が観る限り、良き保護者たる人たちがいて、子供たちをしっかり導いてくれる、信頼に値する施設です。多くの親に恵まれない子に、悲観するなかれ、ここで居場所も誇りも見つけなさいと、語りかけている気がしました。その役割をカミーユに投影し、子供たちの変化を描いていたのでしょう。子供だけではなく、世の大人は全て、子供たちに信頼される人にならなきゃと、それも心に刻みます。

私が嬉しかったのは、若い男女の先生たちの間に、赤ちゃんが生まれたこと。その生育を子供たちが見るのは、自分たちは、生まれた時は愛情のある両親から生まれたのだと、自分自身を肯定出来るはず。先生たちに受けた愛情を、赤ちゃんに是非注いでね。愛情の循環は、必ず皆に幸せをもたらすはずです。

100点満点と言いたいところですが、苦言も少し。内容的には66分でこれだけ描けるのは素晴らしいですが、時間を考えると、一般は1500円では?私はレディースデーで1100円で観ましたが、たまに映画を観る人は、66分のアニメに、1800円は出しません。当日も一人客がほとんどで、私のような、映画には金に糸目はつけないタイプの方々にお見受けしました。

それと吹き替え版は、何故子供たちの声が大人なんでしょう?字幕版は子供です。私は時間の関係で吹き替え版にしましたが、これなら字幕にすれば良かった。アフレコに問題があるのではなく、最後まで違和感がぬぐえませんでした。

料金のことを書きましたが、お金さえ許せば、少しの空き時間で観られる作品です。私は泣いたり笑ったり、鑑賞後は目がカエルの様に腫れて、困りました。感動は太鼓判の作品です。


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