ケイケイの映画日記
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バラエティの印象が強い主演の鈴木紗里奈が、マドリード国際映画祭で最優秀外国映画主演女優賞を受賞して、話題となった作品です。11月公開予定ですが、近所の布施ラインシネマで、8/19 に舞台挨拶付きの先行上映があり、観てきました。当日一回上映のはずが、早々にソールドアウトとなり、急遽上映前に舞台挨拶を用意しての、二回目の上映で鑑賞。鑑賞前の舞台挨拶はネタバレできず、あんまり盛り上がりませんでしたが、主演の紗里奈は帰り際、身を乗り出して手を差し出す人々、一人一人の手を握り、挨拶していました。気さくなええ子やな、と私も端の席で、座って見ていたのですが、私に近づくと何と彼女の方から手を差し出して、「楽しんで下さいね」と、にっこり微笑んでギュッと私の手を握る。そんなんされたら、ファンになってしまうやないか(笑)。作品は、やや平板な印象でしたが、それだからこそ、誰にでもわかる真心を感じ、笑って泣いて、心が温かくなる作品でした。実話を元の作品です。監督はジャッキー・ウー。
1995年、震災から半年の兵庫県西宮市に住む主婦の美幸(鈴木紗里奈)。家族は大学助教授の夫、7歳の息子・勇希、重度の脳性麻痺の5歳の娘・望の4人家族。望の介護に掛かりきりになり、勇希はほったらかしなのが悩みです。仕事に忙しい夫に家事や子育ては頼めず、やむなく大分に住む母(赤座美代子)に手伝いを頼むも、「望のような子は、自分で育てられるわけがない。こちらも生活があるので、手伝いなど行けない」とけんもほろろ。怒る美幸。しかし、いつも美幸を気にかける近所の老婦人大守(雪村いずみ)から、「全部自分やからね」と、優しく声をかけられます。この言葉をヒントに、美幸が変わろうとしていた時、大分の父から、母に認知症の兆候があると電話があります。
自分が変われば、周囲が変わる。簡単に言えば、視点を変える、です。言い尽くされた感のある、この手のお話に説得力を持たせるのは、一重に語り口です。この作品の好感度が高いのは、この点が上手いからだと思います。
首の座らない五歳の望を、移動のときはいつもおんぶしている美幸。発作がいつ起こるかわからないので、睡眠もままならない。過酷な状況で、心身ともに疲弊している美幸に、物凄く同情してしまいます。私も酷い母だと怒る。しかし夫の「お母さんは、望の祖母である前に、あんたの母親やろ?」と言う言葉にはっとしました。孫可愛さより、娘の辛さを思い、辛らつな言葉を掛けたのじゃないか?と言う意味に取りました。そんな有り難い夫のアドバイスに、けんもほろろの美幸。まぁ、自分のお母さんそっくりじゃないの。
しかし大守さんや夫のアドバイスは、少しずつ美幸の心に残り、母の日に描かれた、たくさんのお母さんの絵を見て、彼女の心が開くシーンは、月並みな描き方ですが、誰もが共感するでしょう。母なのに、何故?ではなく、母だからこそと、実母を観る美幸の視点が変わったのです。
大分まで介護に行けない美幸は、返信不要の絵手紙を、毎日母に出そうと決心します。大守さんに「言葉だけで人を支えることが出来ますか?」と問うと、「それ以外に何があるの?」と、にっこり微笑む大守さん。あぁ、そうやねと、物凄く頷きました。本人が頑張れるよう、心に滋養を与える。他者の出来ることは、それが一番です。
毎日手紙を出す娘と、それを受け取る母の春夏秋冬が交互に出てきて、母の心模様が変化する様子を丁寧に描写。いつまでも見ていたいような、多幸感に包まれて、この作品で一番なシーンに感じました。
児童文学の作家を目指す美幸は、書くならクスッと笑える事をと、毎日ネタ帳をつける日々。しかし微笑ましさを探す毎日は、苦労の多い彼女の日々を明るく照らし、作家としての腕も上げる事に。誰かのために励む日々は、必ず善き現象として自分に返ってくる。豊かな人生を送るには、これは極意ではないかと思います。
二番目に好きなシーンは、ある事で自分を責め、せっかく書いた原稿を美幸が破ってしまうのですが、それを長男が拾い集め、セロテープで繋いでいる。「お母さんには、これが必要なんや」。もう号泣しました。私も子供たちの幼い時、あれもこれもと励まして貰った事が、蘇りました。この長男君、子育てのパートナーの如く、母を支える良い子でねー。これも家庭生活にありふれた風景でしょう。夫はイマイチ存在感が薄いですが、時々飄々と良い事言ってくれるし、仕事をしっかりしてくれているから、良しとしよう(笑)。いやいやほんまに。
家族が心配だから、留学先から帰国すると言う夫に、「家族の誰も、我慢したらあかん」と答える美幸。「あんたは、望のために我慢しているやん」と夫が言うと、「何を言うの。望のお陰で、どれだけ私らは幸せか」と、答えます。望がいるから、小さな事にも感謝し、人と繋がり、心豊かに生きられると、美幸は言いたいのです。テレビのドキュメンタリーで、生まれつき顔に障害を持つ娘さんを持つお父さんが、「この子がおったから、私はこんなええ人(善人)にさせて貰いました」と微笑んでおられた姿が、重なります。
鈴木紗里奈の演技は、演技以上に存在感が抜群でした。ほっそりとスタイルの良い彼女ですが、大きな子を始終おんぶする姿がとても自然で、苦労よりも、私が育てる!と言う気概に満ちていました。持ち前の明るさと逞しさが、功を奏してます。最初の舞台挨拶の時は、シングルマザーで子育てする自身が、役柄と重なってと、涙したとか。様々な彼女自身の要素が美幸に投影され、しっかりとした役作りになったのでしょう。彼女の起用は、大成功だと思います。
望役の八日市屋天満ちゃんですが、ビックリするほど、望になりきっています。「奇跡の人」のパティ・デュークくらいと言えば、想像して貰えるかな?彼女の演技も、見所です。
描き方が高尚過ぎたりお仕着せがましいと、敬遠されがちな、この手のテーマ。正直ここはもうちょっと工夫して・・・と、思うシーンもチラホラありましたが、そんな小さな事は、気にしなくて良し。描かれている内容は、人生哲学です。それを大衆的に、ユーモアと愛情いっぱい、泣き笑いで描いています。終了後は劇場万来の拍手でした。やっぱり映画っていいですね!
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